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□HAPPINESS(愛の音)
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耳を擽る、早起きな鳥たちの可愛らしい声。
カーテンの隙間から射し込む柔らかな朝陽。
寝起きの目に映った、いつもとは違う天井。
自分の部屋ではないことに一瞬だけ、戸惑うけれど…
素肌に感じる、優しいぬくもりと無条件にただ満たされてゆく心が
記憶の糸をつないだ。
ぬくもりは翠の腕。
すぐ隣で眠っている翠の、素肌のあたたかさだということに
気づいたから。


一人暮らしの翠の家には今までにも何度も来たことがあったし、泊ったことだって何回かあったから、翠と迎える朝は初めてではない。
翠は私をすごく大事にしてくれていた。
大事にしすぎるくらい大事に。
ずっとずっと。
翠と迎えた朝はいつだって幸せで特別だけれど、3回目の今朝は・・・いつもよりも特別。

雪が溶け、寒さに凍えていたつぼみが花開くように
冬から春へと季節が移り変わるみたいに自然に、私たちはむすばれた。
そしてそれは、今まで巡ってきたたくさん季節の中で、いちばん幸せな季節だった。



満たされた幸福に漂ううちに、何時の間にか眠りに落ちてしまったのだろう。
私たちはまるでひだまりの動物みたいに、ぴったりと寄り添って眠っていた。
私は翠の肩に頭をくっつけて
翠は私の身体を抱きしめて。


しなやかで、だけど、大きな翠の胸。
くっついている私の身体が、翠が呼吸するたびに一緒に上下する。
この胸が、この腕が……
どれだけ優しく、強く
私を、抱きしめたかを、思い出す。
初めての深い口づけの、甘い苦しさ。
身体中を優しく撫でた指。
私を見つめていた、熱を帯びたその瞳を思い出す。


いつも私のが先に眠りに落ちてしまうし、朝は私より先に起きているから、翠の寝顔を見るのはこれがはじめて。
眠りの中の翠はいつもの大人っぽい雰囲気とは違って、どこか少しあどけなくみえる。
そんな穏やかな顔を、こうして傍で見られることが…
こんな幸せな朝を迎えられたことが…
涙が出そうなくらい、うれしくって。
溢れる愛おしさが零れ落ちないように、
翠の胸に顔をくっつけた。
とくん、とくんと、穏やかに響く翠の鼓動。
途切れることのない一定のリズム。
命を奏でるその愛しい音を守りたい、そんな風に思って。
翠の身体をそっと抱きしめた。


するとその時、ふわりと髪の毛になにかが触れた。
それは春風みたいに優しい、翠の手。
顔をあげれば、眩しそうに片目を細めて微笑む、翠のまなざしと重なった。

「…翠」

「………おはようございます。
目が覚めましたか?」

翠は陽だまりみたいにあたたかく微笑んだあと、
腕を伸ばして、私を強く抱き寄せた。
肌と肌のわずかな隙間が、ぴったりと埋まる。

「今…何時かわかりますか?」

「うん、7時半すぎたころみたい」

翠はすこし驚いたように、時計を見て、そしてくすくすと笑った。

「…ああ、本当だ。
私はあれから2時間も寝てしまっていたのですね」

「あれから?」

「ええ、実は私、5時半に一度起きたんです。
そのまま起きているつもりだったのですが…ふふふ。
ついつい眠ってしまいました。
真奈の身体はあたたかくて……柔らかくて………とても心地良いから……。」

私の首元に顔を埋めて、翠はぎゅうと強く抱きしめた。
まだ目覚め切っていないせいか、いつもよりも大胆な翠の腕の強さに、途方もない幸せを感じて
私はまた翠の胸に顔を埋める。

「起きていたなら起こしてくれれば良かったのに……」

「とんでもない。
起こしたりしたら、真奈の寝顔をゆっくりと眺められないでしょう?」
そんなのもったいないないです、と翠は小さく笑い、こめかみに小さくキスをした。

「…………す、翠……!」

寝顔を見られてしまっていたなんて…
こみ上げてくる恥ずかしさに赤くなる頬。
慌てる私を見て、翠はいたずらっぽく微笑む。






「……眠っている真奈もとても可愛かったです」

「…も、もう翠ってば!」

「ふふ、本当のことですから」


そんなことをさらりと言ってキスを落とすものだから、
私の頬の熱は、どんどん上がってゆくばかりで。
顔を隠すように、翠の胸に顔を埋めた。

赤くなって慌てる私をどこか楽しんでいるようにも見える、
そんな翠ははじめてで。
でもそんな翠のあどけなさが、なんだかうれしくって。

「…翠のいじわる」

恥ずかしさとうれしさのせめぎ合いの中、せめてもの抵抗でそう呟いた。
翠は柔らかく微笑むとごめんなさい、と髪に優しくキスをした。



部屋中にあふれてゆく春の光。



「…真奈。
…痛みは……ないですか?」

胸にうずくまる私に、翠は優しく訊ねた。
何処までも穏やかな、深く響く声。

「…うん、少し違和感があるけど、大丈夫だよ」


私は翠の胸の中に隠れるように、もっと深く顔を埋める。
思い出される幸せな出来事に、私の頬はまた緩んで、翠の顔を見られないから。

「無理をさせてしまってすみませんでした」

申し訳なさそうに苦笑する翠に、私はあわてて首をふる。
翠はずっと私の身体を気遣ってくれていた。
やめるという選択肢を、私にずっと残しておいてくれていた。
最後の最後まで。










夜空には三日月。
怖いくらいに美しいその月を、私たちは眺めていた。

あまりに綺麗な三日月に誘われて行ってしまったのか、
いつしか私たちの間には言葉はなくなっていた。
代わりに訪れた甘い沈黙の中、
どちらからともなく、くちびるを重ねた。
何度も何度も重なるたびに、深くなっていったキス。
うまく息継ぎができなくて
酸欠の、甘い苦しさに朦朧とする思考
翠以外考えられなくなって
唇から、顎へ、首筋へ、胸へ、その…先へ…
優しくて、気高い、獣みたいに、ゆっくりと、慈しむように落とされる口づけに
翠の唇が触れた場所が熱を帯びて
翠の熱が、優しい毒みたいに甘く、緩やかに躰の奥を熔かしていって


ーこれ以上進んだら、もう止められる自信がありませんー

苦しそうに微笑みながら告げられた、最後通告。

どんな時だって自分よりも人のことを考える優しい翠が、
何よりも私を大事にしてくれる翠が堪えられないほど
ひとつになりたいと願ってくれることがうれしくて
翠の示したその選択肢に、私は微笑で応えた。
うれしさと幸せと少しの緊張がごちゃまぜになったぎこちない微笑み。
翠はそっとキスをすると、まっすぐに私を見つめた。


ーごめんなさい、もう、引き帰せない
真奈の全部が、欲しいー


初めてみる、熱を帯びた瞳と
唇から零れた、甘やかな吐息に
翠の昂ぶりを感じて。
優しい獣の、牙に、緩やかに壊されて
私の中が、翠で満ちてゆく
翠の熱で、蕩けてゆく
今まで感じたことのない、熱情に
私はただただ、呑み込まれた



熱を帯びた、その瞳の
翠の中に宿る、その炎に
灼かれてしまいたいと願った
身も、心も、何もかも
残らないくらいに











「真奈…?どうしました?顔が真っ赤です」

昨日のことを思い出していたらいつの間にかぼうっとしていたみたいで。
気がついたら翠が心配そうに私の顔を覗き込んでいた。。

「…やっぱり、痛いですか?」

「ち…ちがうの、ぜんぜんそういうんじゃないの」

私はあわてて首を振る。
でも昨日の翠のことを思い出していたことは、恥ずかしくて言えない。
すると翠はぎゅっと私を抱きしめ、ふふふと小さく笑った。


「…真奈を見てたら、とめられなくて。
愛しくて大事にしたいのに…そう思うのに…いつのまにか理性がなくなっていました」

ごめんなさい、と翠は申し訳なさそうに謝る。

「…ううん。すごく…うれしかった。
その…翠が…求めてくれて……」

途切れ途切れに告げる、うそ偽りのない想い。

「…それに…それにね。
この違和感だって、なんか、うれしいんだもん。
夢じゃ……なかったんだな、って思って…
なんか…すごく幸せ…なんだ」


これが愛し合った証。
翠とひとつになった証ならば、
痛みだって幸せに思えた。


「うれしいの、私、すごく」

「真奈……」

繰り返す、想い。
翠は私の身体を強く抱きしめた。息ができないくらいに強い力で。
そして耳元で、ふふふと笑った。
何度も、何度も。

「…翠…?」

「ふふふ、ごめんなさい、うれしくて。
ちょっと舞い上がってしまっています」


部屋中に満ちる春の光は、何もかもをきらきらと包んでゆく。

「……真奈、どうしよう。
幸せすぎて、満たされすぎて。
真奈が愛おしくて仕方ない。
この気持ちをどうしたらいいのかわかりません」

「…私も同じ。
幸せすぎてどうにかなっちゃいそう」

「ふふ、お揃いですね。良かった」

そう言うと翠は、腕の力を少し緩めて、隠していた顔を覗き込み、微笑む。
言葉にできないくらいに、愛おしくて、仕方がなくて
重なったくちびるも、同じ気持ちだって教えてくれて
泣きそうなくらい、うれしくなる。
くちびるが離れ、目が合うと、少し恥ずかしくて、でもうれしくて、
いとおしさを分け合うみたいに、鼻先をくっつけて微笑み合う。



「でもね真奈、私はこのくらいでは満足できません。
私たちは世界じゅうのどんなふたりよりも幸せになれる。
そう確信しているんです。

真奈のことを考えるたびに、心の奥にある何かが私に呼応するんです。
それは彼からの…前世の私からのメッセージのような気がするんです。
私の勝手な思い込みかもしれませんが、そう感じるんです。

『私』が叶えたかった願いを、私が叶えます。
『私』が出来なかった分も、真奈を守ります。全ての悲しみから、
全てのものから。
これが私の生まれてきた意味…
私はそう感じています。

だから幸せになりましょう。
これからももっと、もっと。
私たちならなれます。
真奈を思う気持ちは、『私』と私。
ふたり分の想いなのですから」

翠は微笑んだ、見たことがないくらい幸せそうに。
そしてその微笑みの中には、確かに翠炎がいた。
あの時のまま、あの時と同じ微笑みをたたえて。
切なくてこれ以上ないくらいに、幸せで、愛おしくて、この想いを表情する言葉が見当たらなくて、
私は何度も何度も頷いた。
いつの間にか流れていた涙を、翠の長い指がぬぐう。
私は何も言えないまま、ただただ、翠をぎゅっと抱きしめた。


春の光が私たちを包む。
何があっても大丈夫だって思えるような、あたたかさで。
翠の鼓動と、私の鼓動。さっきよりも早いリズムを刻みながら、ふたつの音が重なる。
どうかこの音がずっと続きますように。
部屋中に満ちる幸せのにおいの中、私は、愛の音を聞いていた。


翠炎が手に入れられなかったものを
翠炎に与えたかったものを
私たちが、築きたかったものを


かけがえのない愛おしさを紡ぎ合ってゆく
今も、これからも、
繋いだ想いの分も。
 

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