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□あなたの手が、触れる場所(Intermezzo Op.1)
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瑠璃丸君が帰った日。
すぐに私たちは尾張から旅立った。
冬を越す場所を求めて。

…あれから、三日。
私たちは、尾張との国境にある、この町にたどり着いた。
行き交う商人で、にぎやかな町。




―どこか行きたいところはないかー
旅立つ時、雅刀は私に訊いた。
だけど、私はどこも思い浮かばなかった。

―旅の途中、考えるか
幸い、まだ秋は終わらない。―
雅刀は言った。
浮かばないのはお互い様みたいだった。






秋と冬の間。
時間はどこか特有の焦燥感をもって流れていた。


Intermezzo Op.1
「あなたの手が、触れる場所」














夜中にふと、目が覚めた。
目に映る、見慣れない天井。
起き上がりあたりを見回す。
一瞬遅れで、頭が動き出す。


…ここは……
…そっか…宿…だ。






身体を起こし、隣を見る。

……雅刀は…いない。
もぬけの殻の布団が申し訳なさそうに佇んでいるだけ。
手を伸ばしそっと触れてみる。
ひんやりとした冷たさが、主がいなくなって久しいことを伝えている。







野宿続きで疲れた身体を癒すため、私たちは久しぶりに宿に泊まった。
川の近くにある、鄙びた宿。
「おやすみ」を言って、一緒に眠ったはずなのに…雅刀はいない。
………尾張の……あの…夜と同じ。




「雅刀…」


頭をよぎる不安。
紛らわせるように身体を、痛いくらいに抱きしめる。
昔、何度感じたかわからない恐怖。




……あの夜私は気づいてしまった。

「雅刀はまだ軒猿をやめていない」
ということに。



そして……あの時から…
私の心はずっと、混乱している。








軒猿をやめていないことが嫌なわけじゃない。
それは…こうしていなくなったりしたら心配だし、怖いけど
…でもきっと雅刀には雅刀の事情があるのだろう。
それは仕方ないことだと、思う。
……言ってくれないことが寂しくないと言ったら…嘘になるけど…。
でもそれも仕方ないと思う。








血の匂いを感じたあの翌朝、
私たちは尾張を出た。
まるで逃げるように。
この道中、雅刀はしきりに背後を気にしていたし、
ここは尾張との国境。
ひょっとしたら、あの夜と同じように今も…。



雅刀が人を殺めること。
それを嫌だと、思ってるわけじゃない。
…勿論…そうしなくて済むのならそれに越した事はないけれど…
そんな綺麗事が通じないなんてわかってる。
…殺すか、殺されるか。
でもそれが雅刀が
…軒猿として雅刀が、生きてきた世界。


そんなことわかってる。
全部わかりきってる。
なのに、何で今更…
何でこんなにぐちゃぐちゃなんだろう。
まるで小さな子供が好き放題に絵の具を出したパレットみたい。
私は、自分の心を染めるこの色を、
なんと呼べばいいのか
……わからない。





考えてもわからない問いに
行き先のないため息を、薄闇にこぼした
ちょうどその時、
すうっと、ふすまが開いた。





月明かりを背に、入ってきたのは、
当の雅刀だった。


「………雅刀…!」





「…………真奈」



起きていた私にびっくりしたように雅刀は言った。
良かった…。
見たところ怪我もしていない。
無事に帰ってきてくれたことに、
ほっとする。



「……起きていたのか。」

雅刀はなんとも言えないため息を零した後
いつも通りの無愛想な調子言った。


だけど雅刀が一瞬見せた表情が、教える。
外で雅刀が…何をしてきたかを。


「…なんか…目が覚めちゃって。
雅刀は?」



何をしていたか、なんて
聞いちゃいけないって、わかってる。
でも聞かなければそれはそれですごく不自然な気がして…
私はつとめて普通に、なんてことないように、尋ねた。


「……………。
……眠れなかったから………散歩…してきた。」


雅刀は一拍の間の後に言った。


「そっか。気持ち良さそうだもんね、川沿い。」


正しい答えを、雅刀が言ってくれないことはわかってた。
そしてそれを、追及することができないことも。

決められた筋書きを指でなぞるような、
歪つな時間が流れる。


ふすまの間から差し込む一筋の月明かりだけが、
この空間で唯一現実感を持ってる。







「…どこか…調子でも悪いか?」

ふいに雅刀が訊いた。



「え?…どうして?」


唐突な質問にびっくりして、雅刀の顔を見つめ聞き返した。


「…いや……最近…元気がないような気がした。
…気のせいなら、いい。」

雅刀は言った。

「ううん大丈夫。
ちょっとバテ気味なだけ。
しばらく鍛練サボってたから、身体が鈍っちゃって」


心配しないで、と手をひらひらとふって笑ってみせると、
そうか、と雅刀は安心したようにほんの少しだけ頬を緩めて笑った。


「……まだ夜明けまで時間がある。
しっかり休んでおけ。」




穏やかな声。
どうもありがとう、と言うと
雅刀は少しきまり悪そうに、ひとつ咳払いをした。


雅刀は優しい、そして、すごく照れ屋だ。





「……何処に行くか、決めたか?」


雅刀は上着を脱ぎ、簡単にたたんで脇へと置きながら私に聞いた。

「うん、まだ考え中。
雅刀は…?」

「……そうだな…。」

考えているのだろう、
雅刀は腕を組み天井を見あげている。
雪の降らないところ。
私たちの行き先はまだそれしか決まっていない。








ぼさぼさの髪。
いつもより着崩れた服。
何時の間にか雅刀は、ずいぶんやつれた気がする。
私よりもずっと、雅刀はくたびれて見える。

まるで年季の入った布切れみたいに、
すり減ってしまっているように。



「私よりも雅刀の方が疲れてるようにみえるよ。
…雅刀…大丈夫??」



顔を覗き込んで私は言った。




「………そう…だな。
……少しだけ、疲れてるかもしれない。」

私の言葉に雅刀は
びっくりしたような顔をして、
少しだけ考えてから、そう答えた。
まるで今まで、そんなこと気づいてなかった、みたいに。

そんなところが私は心配になってしまう。




「…雅刀も、ちゃんと早く寝てね?」


「…ああ。ありがとう。」



そう言って雅刀はほんの少しだけ微笑んだ。
穏やかな眼差し。

雅刀は私の顔にそっと手を伸ばした。

…だけど。
私の髪に触れそうになった瞬間、
その手は寸前でぴたりと止まってしまった。






「……雅刀…?」




問いかけても、返事はなかった。
雅刀は眉間に深い皺を刻み、ふいと目を逸らして。

空に浮いたままのそのてのひらは私には触れることはなく、そのまま膝へと下ろされた。

…ズキンと痛む、胸。



「…………夜更かしは身体に障る。
もう寝ろ。」


雅刀はこぶしをぎゅっとにぎり短くそう言うと、
そのまま立ち上がった。


「ま…雅刀…?…どこ行くの?」


私は咄嗟に雅刀の手を掴んでいた。



「…川で顔洗ってくる。
…あんたは先に寝てろ。」


だけどその手は…簡単に振りほどかれてしまって
雅刀は振り向かないままでそう言うと
部屋を出ていった。

残ったのは、
言葉と、すり抜けていった手の感触だけ。


「………雅……刀…」





私は動けなかった。
金縛りにあったみたいに、身体が動かなかった。







雅刀がまだ軒猿なのは、わかっていた。
危険な目にあうことも、
逆に誰かを殺めなければいけないことも。

私に事実を隠さなければいけない、事情があることも。
…全部、わかってた。
はずなのに。
ずっとわからなかった。
全てを理解しているはずなのに、
どうして時折こんなにも胸が苦しくなるのか。





だけど。

雅刀が私に触れるのを躊躇った時、
雅刀の目をみてわかった。
相手を殺すたびに、
雅刀自身も傷ついてきたこと。
手にかける度に、
雅刀の心も血を流し、
その痛みにひとり耐えてきたことを。


…そして、
触れることのなかったその手は、
雅刀がどれだけ私を大切に思ってくれているかを、教えてくれた。







「…雅刀…」



私は自分の事しか考えていなかった。
寂しいとか、怖いとか。


雅刀の方が私より全然辛い。

隠すことも、嘘をつくことも。人を殺すことも、その痛みも。
それなのに雅刀はひとりで、戦って。





「…雅刀……」


知らぬ間に溢れ落ちる涙。
雅刀の痛みに気づかなかった自分のふがいなさに、
ひとり戦い続ける雅刀の強さに、
自分の方が辛いのに私を心配してくれるような、雅刀のそんな深い深い優しさに。



そして
心に溢れて行く
雅刀を好きだという想い。









雅刀は軒猿をやめてない。
きっとこれからも、やめることはない。
………それならば。





「……雅刀!!」





見えた光。晴れた視界。
名を呼ぶその声と同時に
私は、部屋を飛び出していた。

心の中の色に、名前を見つけたから。
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