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□あなたの手が、触れる場所(Intermezzo Op.1)
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雅刀を見つけるのは簡単だった。
数十メートル先の川辺に
降り注ぐ月明かりの中に佇んで、
月を映す川面をじっと見つめていた。






わかった、心の色は。
すごく単純な名前だった。
今となってはなぜそれが
解らなかったのかが不思議なくらい。


-私は雅刀が、好き-

軒猿でも、軒猿じゃなくても。
無愛想で優しい、雅刀が。

…だから、雅刀の苦しそうな顔を見たくない。
それだけだった。







「雅刀!」


早く伝えたくて、早く抱きしめたくて
私はまだまだ遠いところから大声で呼んだ。


その声に雅刀ははっと振り向いた。




「……真奈…?…あんた何し…」
「今!そっちにいくから!」


驚いたままの雅刀に一方的にそう告げると
私は雅刀の方に走り出した。



「お…おい、危ないから走るな!」



もちろん私が素直に聞くわけなんてなく、私は走り続けた。
大した距離ではないのに、暗くて、枯れ草が足元を邪魔して
なかなか速く走れない。



「おい、真奈…!」


諦めたのか、
何度も転びそうになる私を見て、居てもたってもいられなくなったのか、
雅刀は血相を変えて私の方に向かって走りだした。


さっきの倍以上の早さで、縮まる距離。
何度も草に足元を取られそうになりながらもスピードを上げて
私は、雅刀の胸に、飛び込んだ。


ほんの少しだけよろけながらも、
雅刀は勢いよく飛び込む私を、その腕でしっかりと抱き留めてくれた。

何も考えずに抱きしめてくれる。
反射みたいな無意識がうれしい。



「…………ったく…何を…してるんだ…あんたは…!」



雅刀は脱力したようため息をつくと、
掠れた小さな声で言った。
存在を確かめるように抱きしめてくれるその腕はやっぱりあったかくて
私に触れるその手は、途方もなく優しくて、それが、うれしくて、愛しくて、
私は雅刀を、ぎゅっと抱きしめた。


「お、おい……」


狼狽える雅刀の胸に顔を埋めたまま私は言った。


「…ねえ、雅刀。
…行きたい場所、見つけたよ。」


「……行きたい…場所…?」


雅刀は、びっくりしたように繰り返した。
何を突然言い出すんだ、というように。






「…ほら、雅刀訊いたでしょ、何処に行きたいかって。
……やっと見つけたの

行きたい、場所。」



わかったんだよ、雅刀。
私、自分の心が。


私は雅刀の身体を、
おおきくてあたたかいその背中をぎゅうっと抱きしめた。



「…………遠く。
すっごく遠く。
思いっっっきり遠くに行きたい。」


「…遠…く…?」


聞き返す雅刀に、私は頷いて答えた。



「…そう、ずーーっと遠く。
誰も知らないくらいに遠く。
ふたりでずっと、一緒にいられる場所に」



雅刀は軒猿をやめていない。
冬があけたらきっとまた、
雅刀は、人を殺すことに苦しみ、傷ついてしまうのならば。
それならば、
せめてこの冬の間だけは、
遠くに、遙か遠くに。



朝起きたらおはようって言って
水汲みをじゃんけんでお互いに擦り付けあって
晴れたら、手を繋いで川に魚を採りにいって
眠れない夜は布団の中で、くだらない話をして…

命を狙われることも、
人を殺めて苦しむことも、傷つくこともない。

そんな当たり前の、普通の生活を、送れる場所へ。




一時しのぎでも
遠く離れても、どうにもならないかもしれないけど
それでも…

せめて…この冬の間だけは…
雅刀が、苦しむことのない場所へ



「…ね、
ずっと遠くに行こう。」











穏やかな沈黙。
月の輝く音が聞こえて来そうな静けさ。
聞こえるのは時折吹き抜けてゆく、どこか冷たさを纏った秋風だけ。
季節は、着実に流れようとしている。
そんな事を感じて。

























「…………遠く…」


黙って聞いていた雅刀は、天を仰ぎ見てぽつりと呟いた。
そしてゆっくりと大きくため息をついて、
小さく笑った。


「……あんたは…そんなことを言いにわざわざこんなところまで来たのか。」


「……そんなこと、なんかじゃないよ。
大事なことだもん。
早く伝えたかったんだもん。」



雅刀は大袈裟にひとつ、ため息をつくと
私をぎゅうっと抱きしめた。

優しく、そして、強く。


「…あんたは…本当に…無鉄砲だな。」
十数分遅れで私に触れた雅刀の手は
遅れた分を取り戻すように、
すごく強く私を抱きしめてくれた。
苦しいけど、あったかくて、すごく優しくて…
その手のあたたかさが、うれしくて愛しくて…
私も、雅刀を、強く強く抱きしめた。


「…遠く…か……。」

雅刀はもう一度呟いた。
未だ見ぬ地に思いを馳せるように。


「………あんたのことだ。
…どうせ、行先も、具体的に決まってないんだろう。」

雅刀はからかうような、それでいて穏やかな口調で言った。


「…………うん。」



具体的な場所なんて、これっぽっちも考えていなかったこともお見通しだった雅刀は
呆れたように、でも、可笑しそうに大きなため息をついて。
そしてぎゅうっと抱きしめたまま鼻を髪に埋めた。



「……無鉄砲、無計画…本当にあんたは…。」


「………だって場所なんて…どこでもいいんだもん。
…雅刀と一緒に、いられるなら」



九州だって沖縄だって、外国だってどこだっていい。

……大事なのは雅刀と一緒にいられること。
苦しむことなく、ただ普通に笑っていられること…だから。



「…本当に…、あんたは…」

「呆れた?」

困ったように言葉をこぼした雅刀に
私が胸に顔を埋めたまま尋ねると
雅刀は小さく笑って
私を抱きしめる腕に力を込めた。


「……いや…。あんたらしくていい。」



こめかみで囁かれる言葉は、
憎まれ口でさえもすごく愛しく響いた。

でもそれはきっと、雅刀だから。
雅刀だからこんなに愛しくて、こんなにあったかい気持ちになるんだろうなって、そんなことを思った。




「…そうだな……思いきり…遠くへ行くか。
……先のことは、ふたりで考えればいい。」



やさしく響く雅刀の声に、また溢れそうになる涙。
強い腕も、優しい手も、不器用な口も
雅刀のすべてが愛しくて、愛しくて…
私はその胸に顔を埋めてぎゅっと抱きしめる。






「……長い旅になりそうだ。
…途中で…音をあげるなよ。」

確かめるように雅刀は言った。

「…上げないよ、絶対。
……だって雅刀と一緒だもん。」


私は顔を埋めたままで、答えた。
言葉が、思いが、振動となって…
雅刀の心に、直接つたわるように。




私たちの目的地は、相も変わらず曖昧。


でも。

どこまでだっていける。
雅刀と一緒なら。

雅刀とふたりだけでいられる場所になら、
どんなに遠くたって必ずたどり着く。
たとえそれが、世界の涯てでも。




だから私は、もう一度
雅刀をぎゅっと抱きしめた。

雅刀が行ってしまわないように
雅刀がもう…
ひとりぼっちで、苦しまないように









遠くに行こう

遙か遠く…
過去も未来も、現実も、軒猿も、なにもかも
関係のない場所へ

雅刀と私以外、誰も
届かない場所へ


雅刀が、ただの「雅刀」として冬を越せる場所へ


雅刀の手が、躊躇うことなく
私に触れてくれる、場所へ







秋が冬に、季節を明け渡すその前に



























……それから。









私たちは西へ西へと旅を続けた。
住むべき場所を求めて、ただ。
そして秋から冬に変わるその日に、
あの地へ、たどり着いたのだった。

私たちがふたりで冬を過ごした、あの懐かしい場所へ。


あの日々の事は、今でも覚えている。
風の匂いも、温度も、景色の色も、なにもかも、手にとるように思い出せるくらいに。
とても大切な想い出だから。


そしてそれは何度思い出しても色褪せることなく、
いつも私を甘く切ない気分にさせる。

……こうして雅刀と
夫婦になった、今でも。



尾張を出て、越後に戻るまでの
秋の終わりから春をむかえるまでの、短いあの季節。

どこか幼さを残していた恋が
確かな愛へと変わった
あの愛しい、季節。


これから始まるのは、
私たちが過ごした、大切な日々のお話。










「Intermezzo」



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