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□Harvest
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夫婦となって変わった事…
…そうだな、4つある。

















1つ目は…
左の手の薬指が
今までより少し重くなったという事だ。


この単なる小さな銀色の輪っかが
烏滸がましくもオレ達の絆を気取っているのは少々滑稽なのだが、
真奈が相当に気に入っているようなのでな。
結婚をしてからというもの、起きている時も寝ている時も、
真奈が指輪を外したことはない。
なんでも、オレがいつでもそばにいるような気がする、のだそうだ。

そんな輪っかにオレの代わりなど役者不足だと少し癪なのだが、
オレをいつでも感じていたいと真奈が思って、片時も外すことなく付けてくれているのは
悪い気はせぬものだ。

だからオレも外すことはない。
この指輪は「ふたつでひとつ」なのだからな。





2つ目は「幸せ」の意味を知ったと言うことだ。

朝目を開けると隣に真奈がいて、
夜眠りにおちるその瞬間まで真奈を感じていられる。
真奈の笑顔もオレを呼ぶその声も
いつも側ににある。
手を伸ばせばそのぬくもりにいつだって触れることができる。
まるで当たり前の事のようにな。

真奈の笑顔を見る度に心が満たされてゆく。

オレの人より長い人生の中で
今ほど温かく愛しい時間を過ごした事は無い。


















…だが、幸せを知ることは必ずしも幸せなことではないのかもしれぬ。





確かに俺は真奈と過ごす日々の中でオレは幸せを知った。
だが「幸せ」を知ったせいで、オレはその対極にある「孤独」も思い知る事になった.



またいつの日かオレと真奈は
別れる日が来てしまうのだからな。
そうだろう?
真奈はいつか死ぬ。
オレは死ねずに…また独りになる。
これは仕方のないことだ、最初からわかっていたことだ。

…今までのオレには一人など
どうということもなかったのだがな。








今まで有り余る時間を持て余し、
何十年も何百年も過ごしていた。
退屈しないように、ただそれだけを考えて。
普通の人間にとっては莫大な時間をいたずらに過ごしてきた。


そんなオレが
今ではこの一秒が愛しくてたまらない。
掌から砂がこぼれるように過ぎていく一秒一秒を止めたいと
…心から願うようになった。


…これが3つ目だ。






……そんな顔をするな。

…時を止めるなど到底無理な話だ。
詮方ない事だ。
いずれ別れることが避けられぬのならば
オレはオレの全てで真奈を愛する。
遠い未来を嘆くのではなく
真奈がいなくなっても
真奈の笑顔も怒った顔も
オレを呼ぶ声も
忘れないように
目に耳に脳に心に身体に刻み込むように今を愛する。
それが何十年であろうと何百年であろうと…
オレは真奈と、真奈のいるこの一秒一秒を愛する、それだけだ。










…思ったより長い話になってしまったな。
本当はこんな話より真奈との愛の挿話を話したいのだが、
いや…それでは時間がいくらあっても足りぬか。










…なんだその顔は。
ほう…羨ましいのだな。
お主にも良い相手を見つければよいだろう。
まあ、いずれにせよオレと真奈を結ぶ愛の強さには敵わぬよ。
しかしそれは詮無いこと。
そもそも比べる事自体が、間違いなのだからな。












うん?
ああ、そのハートマークか?

結婚して初めての連休だから旅行にでも行こうという話になってな。
オレは真奈といられるのならば家で過ごしても構わぬのだが…
そのカレンダーの印を見てもわかるように真奈が楽しみにしているのでな。

それに真奈は早く家事に慣れようと日々頑張ってくれている。
オレにしてみれば、真奈さえいてくれれば他に何も望まないのだが…そうはいかないそうだ。
なんと健気なのだろうな。


たまには思いっきり羽を伸ばさせてやりたいからな。



ちなみに…本を片手にたどたどしい手つきで料理を作る姿などは、
形容のしようがないほど愛らしい。
だが危なっかしくて目が離せぬのでな。
だからオレが家にいる時は
なるべく側で見守るようにしているのだ。

…下心があるんじゃないか、だと?
…さて、どうだろうな。





旅行の行先はまだは決まってはおらぬのだが…
…そろそろ桜が咲く時期…か…
では京都か…いや奈良も捨てがたいな。

温泉にふたりでゆっくりつかるのも悪くない。
北の方へ足を伸ばせば、まだまだ雪見風呂も楽しめるだろう。

風呂上がりの浴衣姿の真奈を愛でるのも、法悦の極みだ。

…まあどのくらいの時間、真奈が綺麗に浴衣を着ていられるかは
オレ次第だがな。



そういうわけで、
今晩仕事の帰りに本屋によって旅行雑誌を買ってこようと思っている。
ああ、猫がコマーシャルをしているやつだ。
…旅行の下調べと言うのはインターネットで見るよりも
本で見る方が味わい深いものよ。
なんでも知ってしまえばいいというものでもないだろう?
想像の余地を残しておくことも旅をする上で大切なことなのだ。

それに真奈とふたり顔を寄せ合って、一冊の本を見るのも、それはそれで楽しいものだ。
















さて、夜が逃げ切ってしまう前にそろそろ寝ることにする。


また眠るのか?だと。
…オレは「目が覚める」とは言ったが、
「起きる」とは言わなかったはずだぞ。




オレは真奈を胸に抱いて、その安らかな真奈の寝息を子守唄に、
今ひとたびの浅い眠りにつく。
結婚した当初はくすぐったそうに身を捩っていたが
最近では眠りの最中にあっても真奈はオレの胸に素直に身体を預けるようになった。
なんともうれしい無意識だ。





オレは真奈の温かさを感じながら
その可愛い唇に起こされる、その至福の時を待つのだ。


何のためにオレがこんなに早く一度目を覚ますのかは…
それはまたいつか気が向いたら教えてやる。








余談だが、オレを起こそうと一生懸命になっている真奈の姿といったら
すぐさま狸寝入りを止めて、
強引に抱きたくなるほどに愛らしい。


……朝から何してるんだ、と真奈に怒られそうだから
まだ実行には移していないが
……まあ…これもいずれ変えてみせるさ。

オレの朝の日課が増える日もそう遠くないかもしれぬな。








…なんだ?
朝から発情しすぎだと言うのか?

…人を盛りのついた牡犬のように言うな。
真奈の可愛らしい姿を間近で見ていながら
よくここまで我慢できるものだと
自分の鋼のような理性に我ながら感心しているというのに…。



…ふん、まあいい。
オレはオレの好きなようにやるまで。
愛しいものは愛しい、それだけだ。








さあて、大分明るくなってきたな。
オレは今度こそ寝るぞ。









…なに?
4つ目を聞いていないだと?

…なんだ、覚えていたのか。
4つある、と言ったはいいものの
これは結婚した事と直接関係があるわけではないのでな。
敢えて言う必要もなかろうと思ったのだが…



真奈が女らしくなったことか?だと。
…当たり前の事を言うな。
花は愛情を注がれて美しく咲く。
それと同じだ。
真奈は日を追うごとに美しくなり、それでいて可憐さを失わぬ。

特にオレとひ…









……やめた。
オレ以外見ることのできない真奈の可愛らしい姿を
勝手に想像などされたらたまらぬからな。








…話が逸れたな。
そうだ、4つ目の話だったな。
…と言っても大したことではないのだが…。




…どうも妙なのだ。
真奈と暮らし始めた頃から
なんともいえない不思議な感覚を感じるようになった。
何が、と明言することができぬのだが…
今までとは身体の感じが違うのだ。
病といった類のものでもない。
むしろ、以前より食欲も増しているし、眠りもきちんと訪れる。
…だが、なにかが妙だ。

この今まで味わった事のないこの感覚…
それがいったい何を示すのか未だわからぬのよ。

だが……不思議な事に悪い気がせぬのでな。
…いずれおのずから解る時が来るであろう。
無理に追求することもあるまいと放っておいている。
真奈に要らぬ心配をかけたくもないのでな。




…どうだ、わざわざ聞くほどの話ではなかったであろう?
耳を汚してしまってすまなかったな。

詫びにとっておきの真奈の話をしてやろう。
忘れもしないあれは…













…なんだ、いいのか?
…そうか、残念だ。













さて、そろそろ本当にオレは寝るぞ。
最後まで何者かはわからぬままだったが…お主はなかなか良い話し相手だった。
…いや話していたのはオレだけか。










…眩しくなってきたな。
七色の光が降り注ぐ、目のくらむ朝だ。
どうやら今日は本当に良い天気になりそうだ。







ではな。
いつか気が向いたらまたオレの話を聞かせてやろう。



   
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