□些細な波乱
2ページ/2ページ


鼠が罠に掛かるのは早かった。
それこそ、あの彼女が怯えていたのが本当に信じられなく思えてしまうくらいに。

囮として使った白野の服に扮して買って来たばかりの服を無防備に外に干しておけば、間も無くそれに手を伸ばす男が現れた。

片手に少し大きめの鞄を抱えて、ニット帽を深く被った妙におどおどとした少年らしい男。

最初は見苦しく言い逃れをしていたが、彼を捕まえた二人を振り払う際に大振りに振った鞄の中から一枚の写真が落ちた事から話は展開した。

不審に思って荷物を預かれば、その中から出てきたのは彼らの主の写真ばかりで。
外での様子は勿論、家に入る直前までの様子までも写されていた。
写真の中の彼女は最初は普段彼らが見ていた朗らかな表情と変わりは無かったが、徐々に暗い影を帯びて怯える姿もあった。
ランサーはその写真に言い知れぬ苛立ちを感じる。
こんな風に克明に写真として切り取られている彼女の感情を、どうして彼は理解できないんだろうかと、奥歯を噛み締めた。

その上、彼が盗んだらしい彼女の靴までが透明なビニール袋に入った状態で出てきた。
どうやら、足のサイズを測ったらしく、無言で英雄王が拾い上げたひとつの写真の後ろにそのサイズがマジックで書かれていた。

幾ら調べても主の着替え等のものは見つからなかったのが、唯一の理性を繋ぎ止めるための救いではあったが…。

うっかりと完全武装をしようとする英雄王を何とか説き伏せたのがランサー。
その気持ちはよく分かる、自身としても冷静を保っていられるのが不思議な位だ。
しかし下手に問題を起こせば責任は総て彼女に到る。
それは自分の望むところではない。
だから、何が何でも穏便に済ませる必要があった。
そして目の前の捨て置けない問題について、どうして対処してくれようかと暫し悩む。
案の定、僅かの隙を見せてみれば男は弁解を試みてきた。

惚れていると言う訳ではない。
ただ笑いかけてくれたから。
落し物をした時に、皆は白い目で見下すだけだったのに彼女は拾ってくれたから。
だから彼女の事を知りたくなった。

哀れだ、と思う。
拾ってくれたから、だからへの繋がり方が全く意味が分からないとランサーは非常に悩み果てた。
実際それを無様だと嗤った英雄王は彼の了承を得る事もなく彼が持っていたカメラを足蹴にし、無残に砕いた。

「失せろ、雑種が。」

先程まで可笑しな位に無言を貫き通していた英雄王は、すうと息を吸うと同時に地の底から響くような低い声を吐き出した。
実に冷ややか過ぎる視線で男を見下すと、男はその威圧的な英雄王の態度に尻込みした。
怯えていた男が見る見るうちに青褪めて、口を開くことすらままならなくなる。

「次に我の前に姿を現してくれたら首と動を分裂してくれる。」

その言葉が効いたのか、男はぴたりと反論を止めて不承不承去っていった。
魔術師ではなくて何よりだったものの、あのような人間を呼び寄せてしまうのも困ったものだとランサーは息を吐く。

「つくづくあの女は異様な者にばかり好かれるな。」

吐き捨てるように英雄王が言い残した言葉を拾い上げて、ランサーは苦笑する。
なら、俺達も同じようなものか。と。

後日、白野の家には何週振りかの紅茶が机に並んだ。
新たに買ってきた缶詰や今日使う食材をスーパーの袋から出しながら、白野は嬉々として鼻歌を歌っている。
そんな彼女にまったく関心がないように反応しない英雄王は、昼間からワイングラスに何処かから持ってきたワインを注いで報道番組を意味も分からずに眺めている。
洗い終わった皿を布巾で拭いていたランサーは家の中の普段と変わらぬ雰囲気に心から安堵を抱いた。

まるでつき物が取れたような彼女を見るのが心から嬉しいのか、ランサーは素直にそれを喜んだ。
すると、くるりと振り返った白野がランサーに微笑む。

 二人ともお疲れ様。

白野はランサーの肩に手をかけて、ずいっと背伸びをしてきた。
何事かと振り返ろうとした瞬間、その頬に柔らかな感触がぴたりと接触する。
ぱちっと一度瞼を瞬かせ、ランサーはぽろっと手から布巾を落とした。
皿を持っている手からも力が抜けかけるが、ずるっと手から滑り落ちる感触がして、すぐに我に返った。

確りと皿を掴んでいるうちに、白野はランサーから離れて、何処かへと駆け足で跳んで行く。
その直後、背後で何かが割れたような音がした。

◆床がワイン塗れ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ