□泡沫世界の片鱗にて
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彼女と彼が出逢ったのは、あくまで何の変哲も無い喫茶店。
何故その場所に彼女がいたったかの経緯は良く思い出せない。
また彼女も、どうして知るよしもない、入る理由もないその場所にふらっと足を踏み入れてしまったのか理解不能で。
こじんまりとした個人経営の喫茶店の空気にあっさりと呑まれた。

中に入れば、そこには白衣を着て昼間だと言うのに堂々と酒を飲んでいる眼鏡をかけた男が居た。
白銀色に靡く、若干丸く包まった天然パーマを掻き毟りながら、彼は机の前に置いた新聞紙…恐らくは競馬新聞であろうものを真剣に見つめ、表情を険しくしていた。
内部にはあらゆる人々が滞在していたが、それに目もくれずに至って見栄えもしない普通の駄目なおっさんに第一に見惚れたのは、恐らくはその人物の髪色のせいだろう。

「いらっしゃいませー、お客様一命、あらいけない。一名様で御座いますか?
申し訳ありませんが、今店内は大変込み合っておりますので、相席の方をお願いできますでしょうか。」

現れた人の良さそうな割烹着姿のウェイトレスがにこやかな笑みを浮かべて白野の方へと向かってくる。
え、相席?と辺りを見渡して、僅かな違和感を感じた。
何故ならばその場は確かに人が居るものも、決して満員と言うわけではなかったからだ。
ちらほら開いている席があるし、確かに二人組みで居る所もあるが、決して相席にさせられるほど混んでいる訳ではない。
けれどもその違和感を感じながらも、如何してか彼女は逆らうことが出来なかった。

割烹着姿のウェイトレスに曖昧ながらに頷けば、彼女はにこりと席へと案内してくれる。
その際にふと周囲の様子を見窺えば、そこにはなんとなく異色な、普段であれば決して一線を越えることはないであろう人々が目に入った。

「どうぞ、此方になります。
すみませーんっ、相席宜しいですかー。」

白野が店内の顔ぶれを吟味している間に、いつの間にか席にたどり着いたのだろう、ウェイトレスの溌剌した声が耳に届く。
はっとして彼女は自分の通された席を確認しようと振り返る。
だが、そこにいた人物に大変度肝を抜かれた。

「あー…?…ああ、はいはいどーぞどーぞ。
お好きにしてくださいなー。」

酷く棒読みな声で放ったその人物は、確かに先程白野が目を惹いた人物そのもので、白野はぽかんと驚いた。
ごちゃごちゃとテーブルの前に広げていた新聞を慌てて回収すると、彼はへらっとぎこちなく笑い、へこへこと頭を下げて手を差し出した。
眼鏡の奥の瞳は死んでいるように見えて、聊か底が知れない。

ぼんやりと彼を見ていれば、ウェイトレスからぽんと肩を叩かれた。

「この方、ちょーっと癖の強い方ですけど、悪い人じゃないのでどうか許してくださいね。ご注文決まったら及びください。」

てっきり自分が彼に対して嫌悪を抱いていると思ったらしく、そんなフォローを耳打ちされてしまった。
突然の話に目を丸くしていた白野だったが、はたと気づいていやそう言うわけじゃ、と彼女が口にしようとする。
しかし、既にそうしている間に彼女はさっさと居なくなり、小走りをして何処かへと注文を取りに行ってしまった。
取り残された白野は軽く途方に暮れ、けれども立ち尽くしている訳も行かずに一度頭を下げてから、静かに彼の前へと座ることにした。

 お邪魔します。

「あー、ハイハイどーぞどーぞ。」

既に彼の視線は白野ではなく、眼前の新聞にしか向かっておらずに、彼女がその様に丁寧な素振りを見せても愛想がなかった。
ぞんざいに白野をあしらうと、顎に手を当て新聞とにらめっこする彼。

一体如何すれば良いんだろうかと軽く悩むも、眼前のその際にぷんと匂う刺激臭に、彼女は嫌そうに顔を歪める。
それを目にした相手の男は暫し口を止めて白野を眺めると、酒を置いて先程とは違うウェイトレスの一人を呼んだ。

「はい、なに?」
「なー、悪いんだけどこれ苺牛乳に変えてくんない?あ、駄目だったら焼酎の苺牛乳割りでも、」
「うちのツケ払ってからそう言う事言ってくださいこの白髪。」

自らのコップを指差してなにやら訳の分からない飲み物を要望する男。
何処にでも居るようなウェイトレスは冷たく彼を一瞥した後、ぶちぶちと言いながらも、結局彼のグラスを持って行き、再度苺牛乳の確認を取りながら去っていった。
馴れ馴れしい彼と彼女の様子につい知り合いなのだろうかと気になるも、それ以上に自分と目があった瞬間に、まだ飲みかけの酒を飲むのを止めた事に驚いた。
それは恐らく彼女の自意識過剰であり、本来は何の意味も無く、彼は本当に唐突に苺牛乳が飲みたくなっただけなのかもしれない。
あくまでもそれだけだったのかもしれないのに、僅かに彼女の心は揺れ動いてしまった。

「はい。どうぞ。」

乱暴に置いて行かれた苺牛乳を前にして、彼はじとっとウェイトレスを睨む。
しかし、彼女は既に背中を向けていて此方に振り返ることは一切なかった。

「ったく。」

一言、そう苦々しく吐き捨てながら、彼は早速グラスに口をつけて、ぐびりと一杯苺牛乳を飲み込む。
すると、白野と目が逢った瞬間に、一口飲み込むと口を離したグラスをずいと彼女の前に差し出した。

「お譲さん、飲んでみる?」

目をぱちくりとさせて彼女は差し出された苺牛乳と、彼を交互に見て動揺する。
いや、それは、先程、貴方が。
口をつけていたものじゃ、と言い掛けて、けれどもそれを口にする事は何処か恥ずかしくて、白野はどぎまぎしてしまう。

そんな彼女の顔色を窺っていた彼は、実に愉快そうにニヤニヤといやらしい笑みを浮かべていた。
それは確実に彼女をからかっている以外の何者でもなくて、寧ろからかうことが目的でその様な事をしていた。

冗談冗談。とへらへらする死んだ目の男に、白野はほっとする…と、同時に不思議な名残惜しさが胸に芽生えていた。





「白野、貴様二度とあの店へは行くな。」

何処からどうして帰って来たのか全くの不明だったが、気付けば彼女は自らの家に戻ってきていた。
ハッと我に帰れば、そこには姿を現したサーヴァント二人が彼女を険しい顔で見下していた。
そして、真っ先に不機嫌そうな理由の無い禁止令を言い渡された。
あまりにも唐突で、あまりにも脈絡の無い我様王の言葉に、白野は直ぐに理解できるわけが無く、不思議に思って問い掛けた。

 それは、一体どうして。

在り来たりな疑問符を述べれば、次に返してきたのは彼ではなく、英雄王同様に姿を実体化させたもう一人のサーヴァント。

「一言で分かりやすくはっきりと言わせていただくならば、危険だからです。」

白野はやはり、首を傾げて不服そうにした。

「あの場は実に奇妙だ。
存在する総てが作り物であるかのように何処もかしこも違和感が拭えん。
だというのに、誰もそれを気にも留める事もなく無視していると言うのが実に不愉快極まりない。
なによりも、対面したあの男の空気が実に下種で不愉快だ。」

吐き捨てるようにギルガメッシュが言えば、珍しくランサーも同意する。

「魔術的なものが働いているか否かと言えば、確実に前者でしょうが…
けれども得体が知れないためにやすやすと頷けません。
兎も角、今後あの危うい場に足を運びになるのはお止め下さい。
…いつ、またあの男と遭遇するやも知れませんし。」

彼女の脳裏にあれだけの時間で刻まれてしまった白銀の髪を持つ男に対しての嫌悪感がありありと表れていた。
けれども彼女はそんな二人の気持ちなど露知らず、ただ自分の身を案じてくれるのだと理解して、白野は止むを得なくその申し出を受け入れる他なかった。
だが正直言えば、名残惜しさはやはり拭えなかった。

「…今回初めて我は貴様を見直したぞ雑兵。」
「突然なんだ英雄王。」
「手が届く位置で何もできんと言うのは歯がゆくて実に不愉快だ。
それを貫き通せる貴様は中々につわものよ。」
「……そうでなければ今の今まであの主に寄り添っていられんさ。」

◆ひと時だけの夢の彼。
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