夢色シャトル

□腑抜けと隣人の一夜
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「え、なに。まだ辞表出してないってそれどういうこと?」

ぽかんと目を丸くして呆気に取られている少女を前に、この部屋の家主の虎徹は帰ってきて早々肩身の狭い気持ちになりながら、おどけてみせた。

「あー…はははー、いやそのだな、話せば長くなるんだがな…」

タオルを首に巻いて今まさに荷物を抱えていた彼女にとてつもなく後ろめたくなって、虎徹はうろたえながら視線を逸らす。

その際ちらりと昨晩一緒に整理したはずの荷物や、恐らくはさっきまで彼女が纏めてくれていたであろう、途中まで手をつけてあったダンボールの山が目に入って、虎鉄はとても申し訳ない気持ちになった。

「…え、ちょっと待って。ええとそれはつまり、アレ?
あなたはまだ同僚に一言も言ってない上に、相棒の兎さんにも何も言えずに、今日一日ただだまーって過ごしてきたと。
…そう言う訳なの?」
「えー…平たく言えば、そ、そういう…」

はっきりとオブラートに包む事無く本当の事を口にする彼女の言葉が、虎徹の胸にぐさりと突き刺さる。
虎徹はにやけた顔で苦笑しながら静かに視線を逸らした。
すると、どさっと目の前で彼女の手から落とされた小さなダンボール。
うおっ、と驚いて虎徹はしゃがみこみ、ダンボールから零れた中身を掬おうとする。
だが、

「触らないで」

ぴしゃりとした口調で厳しく制され、虎徹は思わずぴたりと手を止めた。
今一度固まった後に、恐る恐る面を上げて彼女の顔色を窺う。
だが見上げた先のその表情は影になって何も見えず、それが余計に虎徹の恐怖心を煽った。

とりあえず立って。と彼の肩をぽんぽんと叩き、虎徹はそれに「いやでも、これ…」と視線をちらと下に向ける。
しかし、再度「いいから」と強い口調で言われてしまえば逆らえるわけもなく、素直にいう事を聞いて虎徹は重い腰を上げた。

「話、聞かせて。」
「あ?…話、というと…」
「今日あなたは辞表を出しにここまで来たんだよね、いつも通りに日常過ごして能力も使えないのにだらだらとヒーロー続ける為に此処にきたんじゃないよね、楓との約束を破る為に仕事しに行ったんじゃないよね」
「あ、お、おーおー、そりゃーもう。そりゃもち、」
「だったら今日一日の経緯を事細かに、どうして辞めるという一言をいえなかったのかはっきりと言って。」

強い力、といってもあくまでも男である自分にとってはそれほどではないが、彼女にとって精一杯の力で虎徹の腕を掴み上げて、真剣に此方を見上げる華南。
此方を見つめるその瞳はとても鋭く冷たいのだが、如何せん上目遣いのように見えてしまうのはこの威圧感から逃れたいが為の現実逃避か、それとも別の意味なのか…虎徹はさり気無く眼を逸らして、「え、ええと…なにから話せばいいのやら」と曖昧に苦笑する。

「…まさかと思うけど、オヤジ…職場に愛人か何かが居てそれと上手く別れられなかったから、辞めるに辞められなくなったとか…!」

突然はっとしてわなわなと震えだす華南に、虎徹は「はあ?!」とぎょっとしながら、大袈裟に首を振って即効否定する。

「んな訳あるかッ!俺は清廉潔白、愛妻家だってのは、真横で俺を見てるお前がいっちばん良く知ってるだろうが!」
「…そりゃそうだね。」
「大体、女が居るんだったら毎日のようにおまえをうちに泊めたりしねーよ。」
「いや、オヤジならやりそう。」
「おい。」

はっきりと否定した虎徹を暫し驚いたように見ていた華南は、ほっとして少し肩の力を抜く。
だがしかし、これを否定した所で辞められなかったと言う理由の確認にはならないわけで、再びキッと華南は虎徹を睨む。

「ならっ、どうして辞められなかったの。」
「俺がやめるって言おうとした矢先にな、バニーまで辞めるなんて言い出しちまったんだよ。」
「…なんだそれ。」

まあ話を聞いてくれよ。と首を傾げる華南の肩に手を当てながら、虎徹は彼女の言うとおり今日一日の事を愚痴り半分、悩み半分で彼女にぶつけだす。
すると、最初の剣幕とは打って変わって理由が理由な為に真剣に話を飲み込む華南。
次第に二人は長い話になるのを互いに悟り、とりあえずまだ残してあったソファへと隣同士で座り込んで会話をした。
と言っても、虎徹が一方的に話すのを華南が口も挟まずに黙って聞くというだけの事だったが。

「それは、…困ったね。兎さんが。」
「…ああ、困った。…い、一応俺もな?」

うんうんと頷くだけだった華南が漸く口を開いたのは、「どうすりゃいいんだろ」と虎徹が少し弱気に放った後だった。

「オヤジはただ辞めるって言えばいいだけの事なんだけど、自分の信じてた記憶が嘘っぱちだなんて思ったら正気で居られないのが普通だよ。
…私はほんとのトコ、兎さんの精神の方が心配。」
「そりゃ、…そうだな。」

「でもまあ、私は楓が幸せだったらどこに迷惑が掛かろうが、オヤジが痛い立場になろうが、兎さんが失脚しようが関係ないから、さっさと兎さんに辞める事オヤジが告げて楓の所に帰ってくれたら嬉しいんだけど。」
「鬼かお前はッ!今さっきまでのバニーへの心配どこいった!?」

パートナーである彼の事を心配する素振りを見せた後に、一瞬でけろっと仕方ないよねと鞍替えする彼女に、がくりとまるで漫画のように前のめった虎徹は華南の肩に突っ込みを入れた。
だが、華南は平然と「心配はしてるよ」とだけ言って此方にくるりと振り返る。

「勿論兎さんの事だって気になるけど、でも私、それ以上に鏑木親子の絆の方が心配で大事だから。」
「…お前の主軸は、本当に楓だな。」
「やっぱり……変?だめ?」

まるで楓と姉妹のように育ってきた華南は、楓の事がとても大事で大好きだった。
それゆえに、迷う事無くえへんと胸を張って断言する。
だが、その後に遠慮がちに不安そうな瞳で此方を除いてきた。
虎徹はにこっと笑うとその頭にぽんと手を置き、「まさか」と優しく口にする。

「寧ろ、感謝したいくらいだよ。お前が楓を気にかけてくれるから楓だって救われてるんだ。
俺だってお前のおかげで仕事に専念できる。」

「…私はあんまり仕事に専念してほしくないんだけど、ね…。
だって楓の事が疎かになるし。…だから、」

ちょっと嬉しそうにはにかんだ華南は、よいしょと突然立ち上がる。
迷わずに一点の方へと歩いていくと、何かを取ってこちらに戻ってくる。
そして手にしたソレを此方にずいと押し付けた。

「…ん。」
「…ん?」
「とりあえずこっちの話は済んだからすぐに楓に電話、かけて。」

一番説明しなきゃいけない人に説明するの忘れてるよ、とにっこり笑顔を浮かべる彼女に虎徹はぎくりと固まる。

「…い、いやいや待て待て?俺にも心の準備と言うのがあってだな。お前に言うのでさえもこっちは命がけで…」
「言い訳はいいから。」

せめてものささやか抵抗をして見るも、遠回しに「早くかけろ」と言われてぐうの音も出ずに黙り込んでしまう。

「オヤジ、そうやって逃げ回ってたらまた更に楓に嫌われるよ。
底辺にあったオヤジの株が折角上がり始めたばかりだったのに」
「底辺言うな!そこだけ余計なんだよッ」

それでも直ずいと押し付けてくる彼女の電話を手で軽く振り払って、「自分の電話でかけるからいい」と立ち上がる。
恐らくは電話線はまだ繋がっているだろう、とちらと彼女を見て確かめれば「大丈夫だよ」と華南の方から頷いてきた。

そして案の定、虎徹なりには頑張って一生懸命に説明をしたのだが、電話口で楓に叱られ、挙句無理矢理切られてしまった。
あのときの冷たい瞳の楓は一生忘れられそうにない。

虎徹はソファに不貞寝し、それを横目で苦笑しながら、華南は転がったダンボールの中身を片付けていた。

「かえで〜…違うんだよ、本当にパパ違うんだよー…」

今はもう聞こえない娘に半泣きでぼそぼそと愚痴る虎徹は寝転がって天井を見た。
向こうに帰るまでに何日を要するか分からないが、とりあえず、あと一日はこの部屋にご厄介をかけるようだ。
それを思えば、虎徹はちらと華南を見て、「おい、お前どうすんだ今日」と自然と声をかけてしまった。
きょとんと振り返った華南に、虎徹はしまったと一瞬固まる。

「…どうする、って…なにが。」
「いやだから、その。」

泊まっていくか?とただ一言訊ねればいいだけなのに、いつも出来るそれがどうにも今日は上手くできなくて、虎徹は言葉を濁らせる。
もにゃもにゃと口の中だけで言いながら頬をかき、眉を歪めてあーと唸った。

「…もう遅いから向こうに帰れないし、ここ泊まって行ってもいいよね。」
「お、おう…」

すると、自分の言いたいことを悟ったのかそれともただの偶然か、華南はにこりと小さく微笑むと「この部屋もあと少しだしね」と首に巻いていたタオルを取った。

「ちゃんと向こうに帰ってよ?」
「お、おう。絶対帰るって楓の為に。」
「後数日で帰らなかったら、無理矢理にでもここから追い出すから。」
「おいおい…」

早く帰らないといけないと焦燥する気持ちと、それでもまだ此処に居たいと思ってしまう愚かな気持ちが共存して複雑になった。

◆結局君に甘えてる

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