夢色シャトル

□兎さんと一緒
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人間、生きていれば物忘れをしたりするし、記憶違いをするというのはよくあることだ。
例えば今日が一体何日なのかわからなくなったり、青色のスポーツカーを見たはずだったのに、実際は緑だったりしたり。
別に痴呆症と言うわけではないけれど、そういう事は誰だって経験したりする。

けれど、その記憶がもしもそんな次元の話ではなく、まず記憶したこと自体が間違っていたとしたら?
そしてそれによって、自分と何の関係もない人間が、自分の記憶違いで不幸になってしまったとしたら?

「(…そんなこと、俺が考えても仕方ないけど)」

ふうと、灰色の息を吐き出して陽介は口にしていた煙草を一度放す。
なんとなく付けていたテレビにはつまらない放送が流れていて、陽介はそれをぼんやりと見ながら、時折ちょこっと出てくる女の子に見惚れる。
いつもならば自分の好みの女の子が出た瞬間に、「おっ」なり、「これは!」なり、一人なのにお構いなしに大袈裟な反応を見せるものだが、今日に限ってそれはしなかった。
単純に、自分の座っているベッドの隣には眠っている人物が居て、それを起こしてはいけないと気を使ったから。

別にベッドに寝ているといっても変な意味では決してない。
単純に自分に悩みを暴露しにきた友人が、自分に色々吐き出した挙句そのまま疲れで眠ってしまっただけの事だ。
まあ、ベッドで話し合いになるというのも聊か可笑しい話が、残念ながら自分の家にはソファと言う便利なものがなく、また椅子と言っても一人用しかないので二人で座れる場所が此処しかなかったのだ。

ちらりと視線を自分の隣で寝入っている友人に向けて、肩を竦める。

彼は四歳の時に両親を殺された。
彼はその犯人に復讐する為だけに毎日を生きてきた。
そして長い徒労の果て、漸くその両親を殺したという犯人を、暫く前に決死の末に倒す事が出来た。

「(けど実際は、その男が彼の両親を殺した犯人じゃなかった。)」

詳しい事はその場に居たわけじゃないから分からないが、どうやら大まかには彼、バーナビーの記憶違いだったとの事が、犯人の一人であった女の証言によって発覚した。

「(…記憶違いで片付けるには、ちと気がかりな点があるけど…
自分の記憶違いでこいつが滅入っているのが今は一番の問題だ。)」

彼を形成してきていたとも言えなくはない復讐がまさか勘違いでまだ終わっていなかったなんて、それはどれほど彼にダメージを与える事実か。
現に此処に来て話し込んでいる彼は、もう既にいつものような元気がなく、すっかり意気消沈してしまっていた。

再び煙草を口に咥えて、面白くもないテレビに目を移す。
いい加減同じ番組を見るのにも飽きたと、テーブルの上に置いてあるリモコンを持ちに行こうと腰を上げる。
すると、まるで後ろから引っ張られるような違和感を腰に感じて、同時に隣で寝ていた友人が僅かに身動ぎをする。

「(うおっ!?)」

うっかり声に出してしまいかけて、陽介は慌てて息を呑んだ。
起こしてしまっただろうかと一度ぎくりとして、背中に冷や汗をかきながらそろりそろりと静かに振り返る。
だが、そこには先程と変わった様子はなく、定期的な呼吸を繰り返しているバーナビー。

「(…驚かせやがって)」

ふうとやや灰色混じった安堵の息を吐いて、啓介はそっと煙草を灰皿に置いた。
そして、まるで何かに縫い付けられているような引っ張られているような違和感を感じた部分に視線を落とせば、バーナビーが自分の服の裾をしっかりと握り締めていた。

「(……でっかいガキめ。)」

心の中でそう悪態を付いて、すんすんと寝入っている男の腕から逃れようとする。
けれども眠っているくせに意外にもその腕は固く握られていて、自分を離そうともしない。
こうなったらと彼を起こす覚悟で手を離そうと陽介は手に力を込める。

「…、陽介…?」
「おお、起こしたか。」

案の定、バーナビーは自分が手を動かした瞬間にぱっと目を開けて、眠気眼を何度も上下させながら怪訝な瞳で此方を見ていた。
お前は親が居ないといられない子供か。と思いながら、陽介はその頭を撫でる。
するとやはりまだぼんやりしたままのバーナビーは陽介の腕に擦り寄って、心地良さそうに目を閉じた。

「…居なくなったかと、思った」
「自分の家で居なくなるもなにもねーだろ」

冗談交じりにそう言いながら、眠気のせいでかやや弱気なバーナビーの言葉を笑う。
けれどもバーナビーは話を聞かずに、「どこに行く気だったんですか」と質問をぶつけてくる。

「あー…若いて言うならリモコン取りに行こうとした。」
「…りもこん。」

何処かを眺めて半目を開きながら、舌足らずにそう鸚鵡返しする友人。
陽介はリモコン。とはっきり再度頷いた。

「大丈夫か?リモコン、わかるか?」
「…知ってますよ、馬鹿にしないでください」

寝起きとは言えどあまりにぼんやりしすぎている彼に陽介は、本当に記憶障害にでもなったかと少し心配になって顔を覗き込む。
だが、失礼だとむっとしたようなバーナビーは自分の腕から顔を離して、不満げに片手を離した。
おお、どうやらプライドはご健在の様子だ。

「もう、朝ですか…?」
「んにゃ。二時間寝ただけだよお前。」
「にじかん…」
「もう少し寝ててもいいぞ。」

よっぽど疲れが溜まっていたんだろうな、と苦笑して陽介は煙草に手を伸ばす。
だが、その手をバーナビーに掴まれて妨害される。

「…あんまり、よくないですよ。ソレ」
「また説教かい。」
「…何度だって、しますよ。」
「昨日もされたばかりでうるさいんだけど」
「…きのう。」

陽介の労わりを聞かずに、のっそりと起き上がったバーナビーは憔悴しきった様子で大きく溜息を吐く。
その肩をぽんぽんと何気なく叩いてやれば、ふらりとよろめいて陽介の肩に頭を置いた。

「煙草は、陽介だ。」
「あ?」
「いや…」

僅かに鼻を動かして、陽介の服の匂いをくんくんと嗅ぐと、バーナビーは僅かに安堵したような素振りで目を伏せた。
きょとんと目を丸くして振り返った陽介は、友人の名を呼び、大丈夫かと声をかける。
バーナビーは何も言わずに頷いた。

「…さっき、」
「うん?」
「貴方がどこかに行ってしまうような夢を見た。」
「……ほう?」

ぼそりと呟く暗い声。
いつになく穏やか、というよりも張りのない彼の声は所々震えていて、非常に頼りがない。

「ありきたりで、有り得ない夢だなそりゃ。俺が何処に行くって言うのやら。」

あっさりと、彼の夢を看破する。
陽介にとってそれは確実に現実では無いに等しい事に違いなかったからだ。
そもそも自分は何処にも行く当てはない。
あると言ったらこのボロアパートか、或いはバイト先くらいなものだ。

「わかりませんよそんなの。そんなのわからないから、わからないどこかに貴方が行ってしまうから、僕は……」

けれども、現実主義な彼にしては珍しくそんな夢の話を鵜呑みにして、陽介が場所も分からぬどこかへ消えてしまうことを恐れているようだった。
ふるふると頭を振って、顔に手を当てるバーナビー。
その横顔はとても苦々しく青褪めていた。

「…貴方は今現実に居ますよね」
「変な事を聞くな。」

この煙草だって、本物ですよね。と先程手を伸ばしかけたまだ煙の残る煙草をじっと見て、バーナビーは確認する。
陽介はそんな彼を訝しげに見ながらも、まだ寝ぼけてるのかしっかりしろとチョップをしようと腕を上げた。

「こうしている今も、本当は幻で、貴方は此処に居ないかもしれない。
こうして話しているのは別の人物かもしれない。
こうして接しているのは、陽介じゃないかもしれない。
寧ろ、陽介こそ僕が作り出した都合のいい幻か何かと思ったら…僕は…」

喉の奥から押し出すような言葉を吐いて、彼は身震いをした。
彼の記憶違いの件は自分が想像していたよりも彼の心に影を落とし、蝕んでいたようだった。
例え、ここで叩いたとしても叩いた所で彼は何にも変わらない。
自然と手が止まった静かに陽介は手を下ろす。

「陽介は、此処に居ますよね?
…いて、くれますよね、ずっと。」

いつになく弱気な彼の問いかけ。
まるで懇願するような、その言葉。
あの冷静沈着でクールで変な所意地っ張りで、大人気ヒーローのバーナビーだなんて微塵も思わせないその弱弱しい姿。
痛々しい彼の様子に、僅かに陽介は視線を落とす。
だが、直ぐに深い溜息を吐いて「阿呆か」と呆れたようにバーナビーを睨んだ。

「お前ちょっと病み過ぎ、考えすぎ。
なんだよ、まず幻って。
俺がお前の都合のいい幻だったら、こんなにお前のいう事に反したりするかよボケ。
そもそもお前の幻だとしたら、他の連中に見えたり話しかけられたりするわけねーだろ。」

と、手始めに先程までの煙草に指を差し、その後、ちょっとした理由で先程彼の傍から居なくなろうとしたことを指摘する。
すると、バーナビーは我に返ったようにハッとして、気まずそうに視線を外した。

「わかっていますよ、そんなの。
現実的じゃない考えだって事くらい。…だけどっ、」

仕方ないじゃないか。
そう彼が口にする前に、陽介はわかってると真剣に言葉を遮る。

「記憶が確かじゃないっていうのは、かなり面倒な事だと思うし、そりゃ簡単に信用もできなくなるさ。」

否、実際は面倒なんて言葉で済ませられるようなものじゃないかもしれない。けれども、啓介はあえて軽い口調を抑えずに、然程深刻にならないような口振りで続けた。

「けど、お前にこんな事するのは他の誰でもない俺しか居ないだろ。」

頭を撫でてやるのも、いい年した男同士なのに一緒に寝てやるのも。
こうして拒絶反応なく抱きしめてやれるのも、恐らくは同性愛者でもない限り彼には自分しか居ないだろうし、また自分もこんな風にしてやる同性は彼しか居ない。
長年の友人なのだから。

「いいか、幻でも別人でもなんでもねえよ俺は。
現実の本物の陽介はお前の傍にずっと一緒に居るよ。」

その言葉を待っていたはずのバーナビーは、此方が驚くくらいぽかんとした表情でじっと此方を見つめている。
その視線に耐えられなくなった陽介は、僅かに頬を染めて「お前が居るかどうかって言い出したんだろ」とその額を指先で突いた。
はっとしたバーナビーは目をぱちくりさせた後、妙にしおらしく謝る。

「…その言葉、信じましたから。」
「おう。」
「破ったら承知しませんよ。」
「やぶらねーよ。お前こそ破んなよ。」
「破るわけないじゃないですか。」

僕の方から先に貴方を求めたんだから。
ふんっと鼻を鳴らして強気に言い放つ彼に、やっぱまだ何処か可笑しいなと思いながらも、態度は元に戻ったようだと安堵する。

「ずっと居てくださいね、ずっと。」
「ああ。」

両手で彼の頬を包み込み、こつんと額に自身の額を当てた。
まるで親が子供にするような仕種に、バーナビーが僅かにたじろぐ。
けれども気にせず陽介は俯く彼の瞳を見て、くすりと笑った。

「やっぱ、それがいつものお前らしいよ。」
「……陽介。」
「これから何度だって俺を頼れば良い。」

言いながら漸く身体をゆっくり離して、バーナビーの肩に手を置く。
だが、自分から離れていく陽介に気付くとバーナビーは機敏な動きで待ってと言いたげにその手を引っ張った。

「陽介っ」
「どこにもいかねーってば」

そんな彼の不安を拭い去るかのように、空かさず陽介は笑いかける。

「いい加減リモコン取りに行かせてくれよ。すぐそこだから。
このままテレビつけてたらむさいオッサン達てんこ盛りのテレフォンショッピングやりだすんだよ。」
「……、」
「せめて裏番組の可愛いオネーちゃん達のパチンコ入門を映させといてくれ。」
「…本当にくだらないですね、貴方は。」

陽介はやっとベッドの上から立ち上がり、両手を上げて背伸びをした。
振り返れば後ろでちょこんと座って此方を見上げているバーナビー。
その姿は本当に兎のようだなんて思いながら、陽介はその頭を優しく撫でた。

◆兎は寂しいと死んじゃうのです

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