夢色シャトル

□写真に収めきれぬ一場面
1ページ/1ページ


見習いカメラマン、華南には大事な日課があった。
それはいつも仕事がひと段落終えた後、必ず自分のお気に入りのバーに顔を出すことだ。
正直の所、彼女は酒がとても苦手だった。
そろそろ自身はいい歳を行っていると言うのに、ちょっとでも度の強い酒を飲むところりと床についてしまうくらいに。

しかし、そんな彼女でも酔わない、しかも飲み心地のいい酒を出してくれた店が、この鏑木酒店の鏑木村正。
彼女は彼の腕前に一目惚れをして、そして何よりもその仕事に真摯に向かう姿勢を一度でいいからシャッターに収めたいと思ってその瞬間を狙う為、この店に毎日と言っていいほど通い詰めをしていた。

「村正さあーんッ!今日も来ちゃいましたー!」
「……お前か。」

今日も今日とて店の戸を衝突せんばかりの勢いで叩いてやってきた華南に、村正は溜息を一つ零して肩を竦める。
もう少し静かにできないのかと言う大人しめな叱咤を頂きながらも、めげる事無く華南はえへんと胸を張った。

「何言ってるんですかー、村正さんってばこの間は私がのっそり入ってきたら『なんだお前居たのか』なんて酷いこと言ったくせに!
だから私今度は気付かれるようにこうしてどばーんっとですねっ」
「客が居たらどうする」
「居ない時間をリサーチしてきているんですよっ。」

何せ私はここの大大ファンなんですからっ。
握りこぶしを作って力強く語る華南に、村正は心底物好きだと呆れたようにはいはいとそれを流す。

「もう、信じてませんね村正さんってば!この(自称)凄腕カメラマン華南、人の事を調べることについては右に出るものなんて居ないんですよっ。
なにせ報道記者顔負けの、いやさ!NEXT顔負けと言っていいほどのリサーチ能力をもっているんですからね!」
「はいはい。…で、今日は何を?」

むうっと頬を膨らませながらも、華南は黙って席について「それじゃとりあえずいつもので」と在り来たりな注文をして机に肘を付く。
村正はそれを聞いてこくりと頷き、いつもなら客に見せる愛想も見せずにちゃっちゃと酒を作り出した。

彼女の言ういつもの、とは冒頭で言ったあの彼女でも酔わない飲み心地のいい酒の事だ。
あれからあの味に病み付きになってしまった華南はこの店に通うときはいつもあればかりを頼んでいた。

「(最初の一口は少し辛いんだけど、その後から病み付きの味になっちゃうのよね)」

そんな村正の背中をじっと眺めながら、華南は自然と両手の親指と人差し指を使ってカメラの形を作り、指の中から村正の姿を映す。
いつもなら大事にしている愛用のカメラが彼女の傍らにあるのだが、何故か村正は自分に撮られるのをあまり好まないらしく、自分がカメラを持っているときは必ずと言っていいほど酒を出してくれなかったのだ。
だから止むを得なく華南はこの店に来る時だけはカメラを持ってこなかった。
けれども、やはり内心では華南の中には複雑な気持ちが生まれていた。

「(どんな景色よりもどんな人よりも、やっぱり私は村正さんが撮りたいのに)」

どんな美しい景色があって感心しても、どんな美麗な人が居て感服したとしても、自分が、華南が心から綺麗で撮りたいと求めているのは今目の前に居る鏑木村正以外他には見つからないというのに。

「(もう、どうして村正さんはカメラが嫌いなんですかっ)」
「カメラじゃない、写真が嫌いなんだよ俺は。」
「へっ」

途端、まるで心の中を読まれたかのように口にしなかった言葉に返事してきた村正に、華南は眉間の皺をぱっと消してぽかんと口を開く。
するとちらりと視線だけ此方を向いた村正が「お前は言いたいがすぐ顔に出る」とだけ言って再びそっぽを向いてしまった。

「えっ!?マジですか!」

ぎょっとした華南は自分の頬に両手を当てて、ぺたぺたとそこかしこを触る。そんな千晶を見て、くすりと村正は口角を上げた。

「そんなんじゃ、一人前の報道カメラマンには向かないな。」
「うへえ。それを言わないでくださいいい…これでも頑張ってるんですからっ」
「まあ、こんな田舎じゃ大きな事件と言っても老人が腰を抜かした程度のものしかないだろうが」
「そんな事はないですよっ。この間私の家の二件先の奥さんが元気な五つ子を産みました!」

にへらと嬉しそうに笑った後に、元気良くブイサインを見せる華南。
注文の品が入ったグラスを華南の前に差し出して、村正はぽんぽんと華南の頭を撫でる。
まるで、よくやったとでも子供をあやすように。
もう、馬鹿にしないでくださいよっと華南は村正をキッと睨んだ。

「た、確かに今はちょっとした事しか取材できませんけど…私はいつかシュテルンビルトへ行って、モンの凄いビッグなカメラマンになる 予定 なんですからっ。」
「夢を持つのは良い事だな。叶っても叶わなくても」
「うわあん!またそういう意地悪な事いうっ」
「しかし、シュテルンビルトか…」

そう呟いて村正は物憂げに視線を落とした。
ふと一瞬雰囲気を変えた彼に、どうかしたんですか?と華南はきょとんと振り返る。
村正は軽くかぶりを振った後に、ちらりと華南と目線を合わせた。

「あっちには俺の弟も居てな」
「弟さん…ああっ、聞いたことあります!楓ちゃんのお父さんですねっ。」
「ああ。…本当に、幾つになっても手の掛かる弟でな」

まるで懐かしむような村正の笑顔に、一瞬華南はぼうっと見惚れる。
もしもこの場にカメラが合ったら即その表情を収めたいと思うくらいの貴重な村正の笑顔。

「……やっぱり村正さん、素敵だなぁ…」
「は?」
「え……あぁっ!?」

思わず口から出てしまったのは、撮りたいなあではなく素敵だなあ。
よもや自分がそんな事を口に出してしまったのにも驚きだが、それ以前に撮りたいという感情以外を彼に持っているという事が衝撃だった。
わたわたと慌てる華南は、自分の起こした発言によってしんとなってしまったその場を取り成そうと何か言葉を考える。

「え、ええとっ、あの、えっとなんていうか!今のはですねっ」

しかし言葉は出てこない。
変わりに華南の顔が見る見るうちに真っ赤に変わっていくだけだ。
羞恥なのかそれとも別の意味なのかその時の華南にはわからなかった。
だた、先程の発言をしたことで明らかに自分の中の何かが熱を持ち始めていることだけを理解していて。
だが、華南ひとりが慌てた所で村正が何の反応も示す事はなく、寧ろ村正はやはり黙り込んだまま、ぷいっと華南から目を背けた。
それに気付いた華南は「あっ」と名残惜しそうな小さな声を上げる。

「…(…わ、私のばかー…何言ってるんですかもうー…)」

あからさまに相手を不愉快にさせてしまったようだと感づいた華南は、しゅんと肩を竦めて先程とは打って変わって大人しくなる。
変な事言わなきゃよかった。と後悔しても後の祭り。
はあと聞こえないくらい小さな溜息を零して、華南はグラスを両手に持った。

「(失礼になるから一杯だけ飲んで、すぐに帰ろう…)」

折角作ってくれたものを無碍にするわけも行かないと、華南はグラスに口をつけていつもよりやや甘味の強い舌触りの酒をごくりと飲み込む。
すると村正が溜息を吐いて、華南に声をかけた。

「…お前は、」
「…んぐっ!は、はあい?!」

突然、口を開いた村正に予想していなかった華南はどきりとして心臓どころか全身を跳ね上がらせて即座に村正を見た。

「…お前は、変な奴だな。
そういうのは、男が言うものだろうが」
「そ、っそ、そうですねえ!」
「まあ、俺はお前に言わないけどな。」

冷静に続ける村正にがあんと頭にでっかい金盥を落とされたような衝撃を受けて、心臓をナイフで抉られたような痛みが走った。
自然と込みあがってきた涙を俯いて堪えながら、華南は唇を噛み締める。

「お前は綺麗と言うよりも、可愛いほうが似合うからな。」

「…… …はい?」

唐突に言われた言葉の意味がわからず、華南はきょとんと目を丸くして幾度か瞼を瞬かせた。
ぽかんと間抜けに口を開いた後、ゆるゆると頭を上げれば、此方を見ていた村正とばちりと視線が合う。
村正は絡み合った視線に気付くと、「二度も言わせるな。」とだけ言って華南に背を向ける。

「慣れてないんだよ、あまりこういうのは」

呆けていた華南は、先程まで胸の中にぐるぐると渦巻いていた様々な感情がまるで洗い流されたかのように綺麗になくなっているのを知る。
変わりに、胸には僅かな温かく灯るなにかと、早くなった心音が彼女の中に残されていた。

「(わ…わわ、わー。)」

声にならない声を浮かばせて、瞬間ぽぽぽっと真っ赤になる頬。
今度は確実に羞恥から来るものではなかった。

「や、やっぱり村正さん綺麗じゃないですっ」
「あ?」
「超絶っ、かっこいいです!!!」

自然と緩んだ表情を浮かべて、華南は前言撤回して、はっきりとそう彼に告げた。
すると今度は僅かに振り返った村正がきょとんと目を瞠る番で、頬を染めるのも村正の方だった。

「…恥ずかしい奴だな。」
「そ、そんなあ。それほどでもぉ…」
「褒めてない。」

だらしなくえへえへと笑ってグラスを傾ける華南は、村正を幸せそうにじっと見つめる。

「い、いつか村正さんの事、私に撮らせてくださいね。」
「…いつかお前が有名になったらな。」
「全力で有名になって見せますっ!!」

◆初めて貴方が承諾してくれたから

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ