夢色シャトル

□泡沫姫君
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ぎりぎりと体が軋む。
まるで狂った歯車のようにその音は鳴り止む事はなく。
痛みは徐々に自分を蝕み、やがて慣れて無と変わる。

一心不乱に剣を振るう。
まるでそれしか覚えていないように。

一心不乱に剣を薙ぎる。
まるでそれしか体が出来ないように。

僅か一振りを捧げれば、目の前で舞う奇妙な物体は真っ二つに消えて砂のように消えていく。
何度もそれを繰り返す。
自分に向かってくる総てをなぎ払って。
何度も、何度も、何度も。
何度だって。

「…っはぁ…」

ああ、煩い。

ふと息を洩らす自分の声ですら、酷く耳障りで仕方ない。
まるで耳鳴りでもしているかのような、酷い雑音。
それは魔女の鳴き声のようで、人の声のようで、或いはただの自分の唸り声のよう。

煩い。
煩い。
煩い。

僅かに耳に入る吐息ですら、今は自分の荒んだ心を荒立てるナイフ。
もうなにも聞きたくない。
出来るならばいっその事この耳を切り落としたい。
けれども絶え間なく向かってくる敵は自分に余裕を与えてくれず、そうする事も出来なかった。

耳鳴りのような雑音が脳髄に直接響く。

煩い。

「(本当は何処かでわかっている)」

黙れ。

「(恭介にとって自分はなんでもなかった)」

黙れ。

「(ただの迷惑でしかなかった)」

黙れ。

「(自分の行動は果てしなくどうでもよかった事)」

黙れ。

「(けれどそれを認めてしまったら)」

黙れ。

「(私は一体どうなるの)」

黙れ。

「(愛した人にすら見放されてしまって)」

黙れ。

「(今度こそ自分は自分の歯止めが聞かなくなるしかない)」

黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ

「うああああああっあああッ!!!!」

まるで呪詛だ。
自分で自分の耳を劈く悲鳴。
何処か祈りにも似た叫び声は誰にも届かない。
幾ら掌を上に伸ばしてもこのどん底から救ってくれるなにかはない。

求めてはいる。望んではいる。
けれどもそれは自分の目の前には現れない。

「恭介」

たったひとつの愛したもの。
たったひとつのほしかったもの。
美樹さやかが美樹さやかとしていられたもの。

「仁美」

大事な友達だったもの。
ずっと傍に居た友達だったもの。
美樹さやかが美樹さやかとしていられたもの。

ひとつひとつ呟く事にほろほろと落ちていく様々な思いと様々な顔。
お父さん。お母さん。頭に思い浮かぶ人物を総て口にして、やがて桃色の髪色を持った柔らかく笑う人物が過ぎる。

「…まど、かぁ…。」

大事な大事な大事なお姫様だったもの。
振り返ればそこに絶対居てくれた親友だったもの。
美樹さやかを美樹さやかとしてみてくれたもの。

ひとつひとつ、呟くほどにほろりほろりと何かが頬を流れていく。
赤い雫と透明の雫が合い重なって、どちらが流れたのかよくわからない。

「…陽介、」

ぼそりと小さく最後にその言葉を思い出したかのように呟く。
けれどもその名前は、今まで呼んだ名前の中で一番自分にしっくりくる気がして、

「陽介、」

もう一度彼の名前を呼んでみる。
その名前は自分の胸にすとんと落ちた。

今の今まで自分がほしかったのはずっと恭介のみだった。
恭介しか要らなかった。今でもそうだ。
彼しか要らない。彼がほしい。

なのに、そう思っているのに何故か陽介の笑顔が浮かんでは消える。

どうして。なんで。だって。私は。

そして今更気がついた、自分を形成する上でなくてはならなかったもの。

「…陽介…ッ…!!!」

唯一美樹さやかと真っ直ぐに向き合ってくれたもの。
唯一美樹さやかを美樹さやかでなくても受け入れてくれたもの。

「さやか」と彼の呼ぶその声が好きだった。
「さやか」と困った声で自分を呼ぶ彼が好きだった。
「さやか」といたずら小僧のように笑う彼が好きだった。
「さやか」と当たり前のように呼んでくれる彼が好きだった。
「さやか」とゾンビであるものにでも普通に呼んでくれる彼が救いだった。

今更思う。
どうして自分は彼で満足できなかったのか。
こんなに真横に自分を受け入れてくれる人は確かに居たというのに。
だというのに自分は、黒い感情で塗りつぶされ、まどかを、陽介を、自ら手放してしまった。

「ごめんね…ごめんね今更、私虫が良すぎるよね…」

初めから自分は、自分を真摯に受け止めてくれる彼に救いを求めるべきだった。
なのに何故自分はそれをしなかったのか。

「(だって彼は必ず傍に居てくれると思っていたから)」

いつなにがあっても必ず傍に居てくれて、必ず自分を助けてくれると思っていたから。
離れないと、思い込んでいたから。

「(心の底ではわかってた、彼はあらゆる意味で一番かけがえない存在だったという事を)」

ただ認めてしまったら、もしも一度認めてしまったら今まで自分がしたことは、願いは一体なんだったんだと本気で自分が哀れになるから。

でも今彼は隣に居ない。隣どころか何処にもいない。
これ以上哀れな事なんて何処にもないから、今はもう認めたって構わない。

「どこ、どこ。どこにいるの、ねえ、陽介。答えてよ」

いつもあんたは必ず私の傍に居た。
どんな無茶でも必ず押し通して、それでも笑っていてくれた。
だから今も本当はどこかに居るんでしょう?
でないと、私、本当におかしくなってしまう。

「やだ、やだよ。おいてっちゃやだ、私はあんたの隣に居たいよ」

いつの間にか手から零れ落ちた血塗れの剣がからんと音を立てて地に落ちる。
同時に、美樹さやかの身体もぐらりと揺らいでその場に崩れ落ちた。
両手で顔を覆ってふるふると震える。

「陽介、陽介、陽介…!」

ごめんね、ごめん。
今更気付いてごめんなさい。
こんな所で浮かんだのが貴方でごめんなさい。
会いたいです。何処に居るの?傍に来て。手を繋いで、温かく撫でて。
抱きしめて。笑って。あいたい。

雨粒のように零れ落ちる涙は、彼女の両手を濡らし乾かない。
思いは溢れて止まらない。
声は乾いて使い物にならない。
けれども彼は気付いてくれるだろうか。

「陽介」と心がまだ彼を求める声を。
完全に瞼を閉じる瞬間、彼が自分の名前を叫ぶ声を聞いた気がした。

それは所詮、自分が勝手に思い描いた幻想だったかもしれないけれど。

きりきりと胸が軋む。
まるで今にも壊れそうな音を立てて。
まるで狂った歯車のようにその音は鳴り止む事はなく。
痛みは徐々に自分を蝕むも、それは愛しさに変わったまま消えなかった。

◆愛してくださいお願いします

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