夢色シャトル

□狂い咲きの恋愛事情
1ページ/1ページ


いつからそれは始まったのだろうか。
いつからこんな事になったのだろうか。
始まりは一体なんだったのか。
彼女には悪いと思いながらも、陽介にはそれら総てを思い出すことなんて出来なかった。
だって自分は彼女とは違う世界の生物で、ましてやある日突然に彼女、我妻由乃から言い寄られるはめになるなんて事夢にも思わなかったからだ。

そしていつしか、クラス公認の恋人同士となるには時間が掛からなかった。

彼女は見た目は美形な方だから、傍目から見れば目を惹くし、なんであんな男と一緒に居るんだと囁かれる事もある。
実際、そう言われれる自分ですらも不思議に思っていた。最初のうちは。

「帰ろ、陽介君。」

いつも通り放課後には机から立ち上がる自分の手を引く由乃。
にっこりと微笑んだ彼女は自分の隣が定位置のように、ぴったりと隣に寄り添ってきた。
その様子を眺めていた友人がひやかす事を言っていたが、由乃も自分も振り返らない。否、由乃に至っては頬を染めて嬉しげに目を細めていたが、それを見せないように自分があえて彼女を振り向かせなかった。

…面倒な事になるからだ。

「陽介。」

と、ふと自分の肩を控えめに誰かが叩いた。
動こうとした足をぴたりと止めて、自分は教室の後ろのドアで閊えた。

「ん?…あ、ああ。」
「あのね、昨日渡すの忘れちゃったんだけど、これ陽介が休んでた間の授業のノート。」
「え…」

振り返ればそこには自分のよく知るクラスメイトの姿。
否、陽介が今まで必要以上に注目していた女子の姿がそこにちょこんと立っていた。
内心陽介は絶句して、どぎまぎしてしまうも、慌てて平静を振る舞い彼女に声をかける。
すると彼女はいつも通りの大人しい笑みを浮かべて、静かに手元に持っていたノートを差し出した。

「いや、でも俺頼んでないし、」
「あ。いいのいいの、それはこの間陽介が私に勉強教えてくれたお返しだから。私が好きでやっただけ。」

いいと手を左右に振って遠慮しようとするも、朗らかな笑顔で「はい」とやはり此方に突きつけてくるクラスメイト。

「また明日ね陽介。陽介が学校来ないとつまらないから。」

そう、彼女がふりふりと手を振って去る。
去り際にちらりと此方を振り返ったような気がしたが、多分自分の勘違いだろう。

「あ、ああ。またな。」

言葉少なな会話を終えて、少々心にほんわかとした幸福感を抱く。
やはり彼女は自分にとっての癒し系で、そしてやっぱり好きな女子だ。

だが先程まで共に帰ろうとしていた存在を思い出し、陽介は改めて由乃に振り返って、じゃあ帰ろうかと声をかけようとした。
その彼女の異様な雰囲気に言葉を失わなければ。

気付いたらいつの間にかその手に忍ばせていた鉛筆を持っている由乃が居る。
削り終えて鋭利になった筆先を輝かせ、濁った目で一点を見つめていた。
あ、これはまずい。と陽介は本能的に察して、ふらっと動き出す由乃の腕を掴んだ。

「由乃、」
「うん。大丈夫、大丈夫だよ陽介君。さくっとやってきちゃうから。」

何をだ。何をさくっとやる気なんだ。
そして、その『やる』という文字に入る漢字はなんだ。
内心で冷や汗をかきながら、陽介は自分ではなくどこかを見つめている由乃の視線を戻そうと必死で声をかける。

「ちょっとつまづいちゃってって事にするから、大丈夫。陽介君は心配しなくて良いよ。」
「いや、するだろ。普通。」

全く楽しそうではない薄ら笑いを浮かべて、陽介の手を振り払おうとする由乃。だが、ここで彼女を放してはならないと陽介は確固として引き止めた。

「休んでた間のノートとか、たかがノート一つで優位に立ってるなんておかしいよねあの女、私だったらこんな所で渡さないできちんと家に行って届けるわ、こういう厭らしい所が嫌だったんだよね陽介君」
「あの子はただの友達だから、」
「大丈夫だよ、陽介君には由乃が居るもん。」
「由乃は友達にはなれないだろ。」
「なれるよ、私ならただの友達よりも陽介君を満足させちゃう。あんなあざとい女よりも絶対私の方が楽しいわ。」
「…由乃、由乃は友達じゃなくて俺の恋人だろ。」

不本意ながらも、彼女を止める唯一の言葉を囁けば、ぴたりと彼女は動きを止めた。

「ふぇ?……え、えっと…や、やややだもう、陽介君ったら……!」

真っ赤に頬を染めた由乃が、ぽーっとその場に立ち尽くす。
途中我に返って恥ずかしげに俯いたり、頬を両手で覆ってえへえへと笑ったりしている。

そんな彼女の様子を見た彼女の友人が、「我妻さんどうしたのー」だの、「また陽介になんか言われたー?」だのわらわらと群がってにやにやしだす。
それを聞きつけた男子も此方に近づいて、「またやってんのか、陽介」とか「ラブラブだよなー」とかガキっぽく此方を囃し立てた。
…先程の一連の行動を何も知らずに。

「本当、陽介と我妻って嫌になるくらいベタベタしてるよなー。」
「っていうかあ、陽介クンに由乃ちゃんは勿体無いんだって!」
「や、やめてよ皆、…私は陽介君じゃないと駄目なんだから。」

わいわいとしだす皆にたじろぎながらも、はっきりと告げる由乃。
それを見ていた女子が黄色い声を上げて、男子は自分をぽかぽかと叩き始めた。

「畜生、陽介コノヤロウ!」
「お前マジで地獄見ろッ!」

物騒な言葉を囁きながらも、その顔色には本気が窺えない。
陽介は「やーめーろーやー」と冗談交じりに言って、笑って、普通を装った。
その際何気なく視線何処へと向けると、女子達の間にもまれて自分を見ていた先程のクラスメイトの女子の姿が見えた。
どきり、と痛みか、それとも別のものか、心臓が音を立てて跳ねた。

「……。」

気づいた彼女がはっとして、気まずいような、或いは悲しそうな顔で眉を下げ、ふいっと視線を逸らした。
その彼女の行動になんとなく胸が痛みつつも、昔だったらショックで立ち直れなかったものなのに、然程衝撃を受けていない自分に驚いた。

「だって由乃は、陽介君だけの由乃だもの。ね?」

いつの間にか自分の腕に腕を絡めて、皆の前で見せびらかすように公言する由乃。
問い掛けるように言いながらも、半ば断言してはっきり告げる少女に陽介は言い返せず黙り込む。
にっこりと笑う由乃は陽介に更に体重をかけて寄りかかり、そうだ。と何かを思いついたように陽介の耳元で囁いた。

「今日は陽介君の好きなシチュー作ってあげる。昨日は陽介君、お姉さん帰ってこなかったから食べ損ねちゃったんだもんね。
あ、それから脱衣所の電球も切れかけてるからそろそろ変えないと。」

ぞくり、とした。
普通に聞いていれば何の変哲もないただのちょっと行き過ぎたカップルの会話だろう。
だがしかし、陽介は自ら彼女を家に招待した事などは一度もない。
昨日の出来事なんて一度も由乃に言っては居ないし、ましてや陽介の家はマンションの三階。当然鍵もかけてある。
容易く入ってこられるような場所でもないのに、そんな陽介の家をどうして彼女が知り、内部の事まで事細かに知っているのか。

「ほらね、由乃が陽介君の事一番よく知ってるんだから。やっぱり他のだーれも居なくても平気だって。ね?そうでしょ。」

異常だとはわかっている。
けれどもそれでも彼女を引き離せない自分とて、どこか多分狂っていた。
由乃は僅かに頬を赤らめて、此方を覗き込んでくる。

「ね…陽介君、キスして」

しよう。という断言ではなく、してほしいと言うお願い。
それは自分が断れば素直に聞くであろう言葉だった。
その僅かな違いが自分にとっては少しばかり彼女を可愛いと思ってしまうところであった。
…恐ろしい存在にとんでもない感情を抱いてしまっていると感じているが。

狂わされたのか、元から狂っていたのかは定かではない。
ただ一つ分かる事は恐らく彼女の手からはどこへ行っても逃げられないだろうという事だ。

◆そう、あなたは由乃のもの

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ