夢色シャトル

□既に視えなかった未来
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陽介は御目方の信者の一人の息子だった。
幼い頃から御目方と呼べる少女と触れ合ってきた彼は唯一彼女の友人と呼べる存在だった。
また彼にとってもそれは同じで、けれどもいつしかその幼い友情が、異性に対する愛に変わるのは間もなかった。
やがて二人は程なくして恋仲となった。

互いに思いを伝えることは無くとも、ただ自然と惹かれ合って。
ここまでならただの純愛物語だ。
しかし、話は此処から幕を開ける。

無力の陽介の目の前で、なす術もなく彼女が信者に犯されてから。

「ねえ、何を考えているの?」
「……いや、なにも。」

ふと、意識を何処かへと飛ばしていた陽介が彼女の声で我に帰りそう咄嗟に嘘をつく。
すると彼女はくすくすと笑って、その耳元に唇を寄せた。

「嘘、…昔から本当に陽介くんは嘘が下手ね。」

片方の手で背中を撫でる椿の掌がくすぐったくて目を閉じた。
陽介の背中に当てているその手は、彼がきちんとそこに居るかどうか確かめる為のもの。
陽介はその掌の温もりを感じながら、訊ねる。

「…それは、日記とやらの力?」
「いいえ。…貴方の事なら何でも分かる、私自身の力…」

妖悦に囁く彼女に一瞬身震いがするものの、その直後に放った言葉で軽く凍りつく。

「第一、信者なんてもの、ただの私の目に過ぎないわ。」
「椿、誰かが」

聞いているかもしれない。
陽介が危惧してそう彼女に注意しようと振り返る。
すると、振り返った陽介の頬をしなやかな指先がすらりと撫でた。
ぎくりとした陽介は、椿をぎょっと見る。
手探りをする事はなく、まるで盲目の筈のその目に自分が映っているような正確さに面食らって陽介は軽く絶句した。

「つば、」
「陽介君」

彼女の名前を呼ぼうとする声を、その彼女の声が封殺する。
くすりと柔らかに椿は微笑み、陽介の頬を愛おしげに撫でた。

「私にはただ陽介君だけ居ればいいの。」

薄桃色の唇が紡ぐその言葉は、まるで熟年の女性のような艶が入っていた。

「ねえ陽介君。私はね、どんな信者の声よりも、どんな日記の声よりも、貴方の声が一番好きよ。」

やがて彼女の指先が自分の唇へと至る。
指の腹で下唇を撫でて、椿は目を細めた。

「貴方の声が、私に一番真実をくれるから。
貴方は一切穢れていないから。
貴方は総て綺麗だから。
貴方は私にとって、私だけの、見えない世界でただひとつ、貴方だけが私の救いなのよ陽介君。」

貴方は私に光をくれるから。
涼やかな声が耳に突き刺さり、その耳を塞ぎたい衝動に駆られる。

違うんだ、椿。
自分は救いなんてものじゃない。

だがそう言おうとすれば、まるでこちらの心が見えているかのように彼女がすぐさま別の言葉を編み出して、一切此方に主導権を握らせてくれなかった。

「いいの、陽介君が例えどう思っていても、陽介君があの事件によって何を考えになろうとも、それでも私はいいの。
私にとって貴方だけが、あの見えなかった世界で唯一の救い。
あの汚らわしい豚共の中に入らなかった貴方が唯一の救い。
もしも貴方が一瞬でも私の視界に入ってきていたならば、私は貴方すら信じることが出来ずにいたわ。
絶望して、それこそ貴方を殺したくなった。」

護りたいとはただの偽善で、本心では彼女を護る気なんて毛頭なかった。
だって自分では護れるはずはないと早々に見切りをつけていたからだ。
あの時、あの日、目の前で信者に穢される椿を目にしたその日から。
その時その瞬間に手を伸ばす事が出来なかった陽介には、彼女を救う権利なんてものは既に失われていたのだから。

「だから貴方は貴方の視界に映った私の事で一生苦しんで。
一生私の事しか考えないように。
一生私をその視える視界に目に焼き付けて。」

そして私達は共に愛を確かめるの。
互いに映った視界の中の世界で。
彼女が放ったその一言が、重く自分に圧し掛かった。

◆君の未来を奪ったのは僕


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