夢色シャトル

□眼鏡の君
1ページ/1ページ


「勉強する時は眼鏡かけるんだ。」
「え?」

ぱらぱらと教科書を眺めていた陽介は、ちらと隣に居るクラスメイトを眺めてぼそっと小声で言った。
真剣にノートに噛り付いていたはずの彼女は、その陽介の言葉に気付くときょとんと此方へと振り返る。
陽介はよもや独り言に近かった自分の呟きが彼女に届くとは思わずに、激しく動揺してしまった。

「いやその。ごめん。なんとなく…」
「あ、へ…変かな?」

恥ずかしそうに眼鏡のふちに手を当てて、彼女はゆっくりとそれを外す。
飾りを取って露にされたその顔は、今をときめく話題のアイドル、中川かのん。
桃色の髪がさらりと揺れて、チャームポイントの黄色いリボンがたなびいた。
真丸い彼女の瞳がおずおずと陽介の方を向いて下がり眉で笑う。
その何処か遠慮がちな微笑みに、陽介はどぎまぎとしながら否定した。

「まさかっ。似合ってるよ。可愛い。」

ぶんぶんと幾度も首を左右に振って陽介は必死で彼女に訴える。
彼女の方を向いて、椅子から転げ落ちそうなほどに前のめる陽介。
そんな彼を穏やかに見つめた後、かのんは「ありがとう」と気持ちが良くなる丁寧な礼を述べて、ふわりと柔らかい、テレビの前で見た事のある笑みを浮かべてくれた。
画面を通してでしか見る事が出来なかったはずのその笑みが、今まさに自分の肉眼を通してこの身に受けていると言う事実に陽介は眩暈がしかけた。
自然と頬も緩んで、気づけば締りのない顔に変化しようとしていた。

「かのんちゃんってさ、Citronやってた頃から眼鏡かけてたろ。
だからなんていうか、懐かしいなって思って嬉しくなって。」
「え、」

陽介は自分の間抜けな表情を悟られぬように話題を摩り替えて、不器用に笑った。
そんな意図から何気なく陽介がさらっと振ってきた会話。
それに対してかのんはぽろっと手からシャーペンを落とすと、文字通りに目を点にさせて呆然とした。

「し、知ってるのっ?」

暫しの間を開けてから、かのんは長い触覚のような髪をぴょんと跳ね上がらせた。
丸い瞳を輝かせて真っ直ぐに陽介を映している。
そのかのんの人が変わったような雰囲気に、陽介は驚きつつも返事をした。

「…ま、まあ、そりゃ。
だって俺『中川かのん』のファンだし。」

今の中川かのんだけではない。
その前から、三人組の中央に立っていない長髪眼鏡の頃から、ずっと中川かのんは陽介にとって唯一無二のアイドルだった。
それこそ誰になんと言われようとも、中川かのんしか見えていなかったほどに。

「え、で、でも。でも、陽介くん。確か、アイドルには興味がないって噂聞いたような……ええっ。」

なにやら一人で狼狽し始めた彼女に、陽介はきょとんとして何の話だろうかと首を捻る。
だが、直ぐに思い当たる節が見つかると背凭れから身体を離して回答を述べた。

「興味ないんじゃなくて、黙ってただけだよ。
俺、普段桂馬以外とは交流ないから、そう言う系の話題誰かとした事なかったんだ。」

いわば言い方は悪いがむっつりオタクとでも言うのだろうか。
そう言えば、彼女本人は目をぱちくりさせた後、ぽぽっと顔から湯気を出しそうなほどに頬を赤らめてしおしおと俯いてしまった。

「そ、そう…だったんだ……。」
「そう。」

陽介はかのんに頷くと、ごほんと咳払いを一つして視線を逸らした。

「他の誰かより、かのんちゃんの事だったら、…ずっと見てたよ。」

アイドルと言えば、かのん。それ以外に誰も浮かばぬほどに。
そしてそれ以前に、異性としては一番に彼女しか浮かんでこないほどに。
両方の意味を込めて陽介がかのんにそう気持ちを向けて、さり気無く彼女の様子を窺うようにかのんを見た。
するとかのんは意味合いがわかっているのか居ないのか、未だにどこか不明瞭な具合だったが俯いてかのんは眼鏡をかけ直す。
そして、えへっと陽介に微笑んだ。

「……も、もう少しこのままで居ようかな…」

◆遅い事実

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ