夢色シャトル

□少年とおば様の日課
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陽介にはいつも必ず日課があった。
いつも家の前を通るゴクルト運びのおばさんの後を何故か追いかける事だ。

彼女は以前、陽介が困っていた時にちょっと助けてもらったことがあったりした。
だが不思議な事にその助けてもらったことに関する記憶が曖昧にしかなくて、陽介はその不思議な思いから普段余り人に対して関心を持たないはずであったが、どうにも彼女の事は気になって追いかけていたのだ。
ただのおばさんであるはずなのに。
なんら変わりのない何処にでもいるようなおばさんのはずなのに。
…言っておくが、陽介には特殊系の恋愛趣味は無い。

確か名前は雪枝といったっけ、と以前彼女の娘らしき人物が呼び捨てにしていたのをぼんやりと思い出す。
ストローを啜ってちゅーっと中身のオレンジジュースを吸い取る華南。
からからとゴクルトのカートを先に進めながら、雪枝は一軒の家の前に止まる。
ピンポーンと家の呼び鈴を鳴らせば、普段通りにそこで中へと声を上げた。

「ゴクルトいかがですかー。」

やや訛りの入ったおばさんの声。
彼女の声は辺りに響き、雪枝はゴクルトを上に掲げて返事を待った。
すると、暫く経ってから扉が数cmほど開き、中から人が顔を覗かせた。
肩先に流れる黒髪と、白粉掛かったような白い肌、そして自然の色にしては血色の良すぎる唇を見て女性だ。しかも割りと年が行っている。と結論付ける。
じっと此方、主に雪枝をねめつけていた女性はふんっと鼻息荒くしてからわざと大きめに音を立てて戸を閉めた。

「あきまへんわ。」

あからさまに嫌味なその態度に、雪枝は全く怖気づくことも、そればかりか悲しむ事もなく、無表情でゴクルトをカートに戻す。
見込みがないと判断したのか、雪枝は後腐れもなくその場を後にした。
その後を更にまた陽介が追う。

「ゴクルトいかがですかー。」

少し先を行った次の家でも、雪枝は先程の家で起こした行動とほぼ同じ態度でゴクルトを進める。
だが、雪枝が全く変わらないのと同様に、対応する家の住人も全く変わらない様子で雪枝を拒絶した。

「あきまへんわ。」

また雪枝はゴクルトをしまって、カートを引く。その後を陽介が追う。繰り返し。
三件目でも雪枝はゴクルトを勧め、また拒絶され、また先に進み、それを追いかけ。
淡々とほぼ同じ作業が繰り返される中、唯一違うのは怒り方の機微くらい。
雪枝に対して並ならぬ罵倒の言葉をぶつける家もあった。
雪枝に対してゴクルトを投げ返す家もあった。

それを目にする度に、後を追いかけていた陽介は捨て置けずに、一歩前に出ようとする。
しかし、雪枝の此方を制止するようなはっきりとした手の意思表示に負けて、結局後を追うばかり。
そして雪枝はやはりこう言う。

「あきまへんわ。」

赤くなった顔を摩りながら、からからとカートを押していく。
陽介は呆然と彼女を見つつも、その後をやはり追いかけた。

「よくやるよ。こんな商売。」

良い事なんかないのにさ。
元来、勧誘と言うものはしつこく、此方の都合も好みも考えずに無理矢理と割り込んでくる、自分勝手で不必要なものだと陽介は踏んでいた。
それゆえに嫌がられていたりするものだ。
かく言う自分だって勧誘なんてもの好きじゃない。

「所詮こうやって人から厄介がられるだけの仕事なんだ。」

残り少ないジュースを吸い込み、陽介はふんと鼻を鳴らす。
先を行く小さなおばさんは柔らかな声色で彼を諭した。

「いやいや、そうでもあらへんよ。
ええことだって少なからずあります。
現にこうして陽介ちゃんと友達になれたやないの。」
「陽介ちゃん呼ぶな!つーか、俺とアンタがいつ友達にっ…」

口元に手を当てて振り返った雪枝に、陽介はむっとしてその呼び名について反論をする。
しかし、友達について言及した時に何故か強く否定できない気持ちを覚えて言葉が自然と止まってしまった。
はっとした陽介は声を消して、雪枝をじっと見つめる。
しかし雪枝は当然だが堪える事もなく、けれども困ったように首を傾げた。

「ほんまにもー、最近の子はよう怒ってかなんわー。ちょっと待ったって。今おばちゃんがいいものあげるさかい…」

そう言いながら雪枝はカートの中から一つの帽子を取り出して、ずいっと陽介に差し出した。

「ほれ、うちの会社の帽子。若向きでっさかい。
コレ被ったらほんまによーモテはるモテはるー。」
「阿呆か!俺は子供じゃないんだからそんなモンで喜ぶかっ。」
「私から見たら十分子供ですわ。えーからえーからっ。」

此方の言葉も聞かぬうちから、のろのろと此方に歩んできた雪枝は陽介の頭に帽子を乗っける。
陽介は突然暗くなった視界に戸惑いながら、手に持っていたジュースの殻を落としかける。
帽子を上げてやや不満気に眉間に皺を寄せた。

「ほらもー、かなんかなん。色男になったやないの。」
「帽子一つでそんなまさか。」

ばしばしと加減なく肩を叩いてくる雪枝に、陽介は痛みを堪えながらぐらぐらと揺れる。
続けて、容赦のない間合いで今度は陽介の前に彼女を語る上では欠かせない四角い長方形の飲み物を差し出してきた。

「ほんなら後はゴクルト飲みんさい。」

健康なるし。と、ずいと勧めて来る雪枝に対して、陽介は流石にそこまで。とそれは遠慮しようとする。
しかし、穏やかな彼女の眉がキッと上向きに釣りあがったのを見て、はっとした陽介は慌ててそれを頂戴した。

「……それじゃ、頂きます。」

両手でそれを受け取ると、雪枝は忽ち仏の顔に戻り、こくこくと何度か頭を縦に揺さぶった。

「あんた、楽しそうでいいよな。毎日。
羨ましいよ。俺なんて一日楽しいなんて思うこと無いのに。」

はあーっ。と大袈裟なほどの溜息を吐き捨てて、陽介は帽子を上げつつ雪枝を眺める。
雪枝はやはり表情を少しも変えぬまま、何処か遠くを見て口を開いた。

「楽しいだけの毎日なんてあらへんよ。嫌な事糧普通にあります。
ただ、それを自分が如何受け取るかで毎日なんて変わるもんでっさかい。
なんでもかんでも笑えとはいいまへんけど、笑えることだけでも笑っとき。
それだけで一日変わりまっせ。」

前にもそんな事聞いたことがあったような。なかったような。
陽介は貰ったゴクルトを眺めつつ、不思議な気持ちに襲われる。
すると、雪枝が先に陽介に言葉を投げ掛けた。

「せや。陽介ちゃん、お姉ちゃんは元気にしとる?」
「え?」

不意にそう告げられて陽介は目を丸くする。アレ、確か俺。雪枝に姉が居ることを語っただろうか、と疑問に思う。
けれども不思議と素直にこくりと頷いてしまった。
雪枝はそれにそうかそうかとやや嬉しげに弾んで頷いて先に進んだ。

◆ゴクルトのおばさん

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