夢色シャトル

□こぶたと人形
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ぶんっと、大きく腕を振れば、その上を向かってきた玉が素通りして自身の背中に飛んでいく。

「あ。」

普段であれば容易くぶち込められるはずだったたった一球。
それが不意に頭を過ぎった余計な考えによって、大きく空振りをしてしまっていた。少し油断をしなければ必ず入るはずだったその一球。それがとても惜しく、とてもハルユキにとって重く圧し掛かった。

苛められる自分が唯一誇れるもの。
それすらも、取りこぼされた気がして。

自分が残した前のスコアはまだ残ったままだ。けれど、それも他の誰かによって既に塗り替えられてしまっている。
だから、それを越そうと思って今度は更なる高みを目差したというのに、結局、スコアは更新する事が出来ず、珍しく失態を犯してしまっただけだった。

「……はあ。」

溜息を落としてその場に腰を降ろす。否、転がり込むという方が正解かもしれない。
二本の指で支えていたラケットはずるりとハルユキの手からすべり落ちて、地面に音を立てて叩きつけられた。
沈黙の間にその音はとても大きく響く。
耳を塞いでしまいたくなるほどだった。

すると、ふとかつんと一つの音がした。
それは自分が落としたラケットのものではなく、もっと軽い。綺麗な音。
不意に顔を上げたハルユキは、その音がした方に振り返る。

「あ…」

ハルユキは思わず口をぽかんと開いた。
一瞬、人形なのか、否か。と戸惑うほどに無表情で立ち尽くした少女がそこに居た。
ハルユキは無条件で身体の全身が凍りつく。

すぐに見られた。という羞恥に駆られる。
しかもあんな無様な様を。普段であればもっとスコアを狙えたというのに。
あんな凡ミスをした様を。

すると彼女は無表情に此方にこつこつと近づいてきた。
てっきりその場でくすくすと笑われて何処かに行かれてしまうものだと思っていた為に、その行動はあまりにもハルユキにとっては想定外過ぎた。
逃げ出そうと思ってみても上手く身体が動かずに、あ。だの、う。だのどもった声が喉の奥から出るばかり。
やがてその細く長い両足が自分の目の前に立つのは間もなかった。
此方を視線のみで見下した彼女の口がゆっくりと開かれる。
その唇が紡ぎだすのは、恐らくは罵倒。あるいは嘲笑、そうに違いない。
聞きたくなくて、頭の上に生える耳に手を当てて俯こうとすれば、

「こぶたかわいい。」

ぽすん、と頭部に柔らかな感覚が落ちた。

「え?」
「こぶたかわいい。」

もう一度、同じ事を口にした彼女はじっとハルユキの顔を眺めた。
にへっと笑った彼女の顔には一切として先程感じた人形の面影は何処にもなかった。

そんな一連の出来事があった後日の事。
ハルユキはその時の事もすっかり忘れて、今日も今日とてパシリに徹していた時だった。
ふと、すれ違った廊下で誰かがハルユキに向かって声を発する。

「こぶた。」
「へ。」

振り返ると、そこにいたその顔に、ハルユキは驚いた。
まるで時が止まったようにその場から離れる事が出来ず、自然に風が吹き付けたことによって漸く時間が動いている事を自覚させられる。

「君、あの時の……」

人形みたいな、少女。
その続きを口にする事は、学校のチャイムに遮られて無に終わった。
その音を聞いたハルユキは何気なく上を見上げる。
そのたった一瞬の出来事が終わった時、次に背後を目にすればもうそこに彼女は居なかった。

「あれっ、」

ハルユキはぽかんとして周囲を見渡してみるものの、教室に帰り始めた生徒の姿が目に入るだけでその中に彼女を見つけることは出来なかった。
ほっとしたような、けれども何処か残念なような、複雑な気持ちに支配された。

「こぶた。」

それから彼女とまた遭遇したのはその次の日の事だった。
しかもそれはアバター同士ではなく、いつもリアル世界。現実の、校内にて。
更に、またしても自分がパシリをされているときに限って。
自分の姿を見かければ、彼女は直ぐにそう後を追ってくる。

「こぶた。こぶた。」

段々と馬鹿にされているような気になって、無性に腹立たしくなってくる。
こぶた、こぶたって。確かに自分のアバターはあのような醜い姿だ。
現実の自分と同じような、写し身と言っても過言ではない醜悪な姿だ。
けれど、そんなに何度も連呼されるのは幾らなんでも腹に据えかねる。ぎゅっと拳を握り締めて、ハルユキは背後の存在にキッと凄みをきかせてねめつけた。

「ぼっ、僕の名前は有田春雪だ!」

やや言葉尻が空回ったような気がするが、ハルユキはそれも気にせずに、更に一歩足を踏み出して彼女に言いつける。
こぶたじゃない。自分は有田春雪だ。何度も何度も、馬鹿にするな。
気付けばわなわなと肩を震わせて、すっかり感情的になってしまっていた。
しかし最初の言葉以降は口にする事が出来ずに、ただ彼女を怖気づきながらも睨んでいるだけだった。
相手は驚いているのだろう。馬鹿にしていた相手が突然大声を張り上げたものだから。彼女は瞠目して立ち尽くしたまま黙り込んでしまっていた。
すると、ふと手元からパンが滑り落ちて地面に転がり落ちてしまう。
我に返ったハルユキがそれを取ろうとすれば、先に白い人形みたいな女性の手が伸びてきた。

「はるゆき。」
「え、」
「わかった。はるゆき。」

散らばったパンの一つを取り上げると、それをハルユキの前に差し出す。
ぽかんとしたハルユキはとりあえずはそれを受け取りながら、困惑気味に彼女を見つめた。
やがて、一人でこくこくと頷いた彼女はふらりとその場から去っていく。
後には彼女から貰ったパンを片手に床を這い蹲る自分がそこに残されていただけだった。
妙な喪失感だけが残ってハルユキは呆然としてしまう。
なんだったんだ、とハルユキがゆっくりと彼女から背を向けて、本来の道を歩み進む。早くに向かわないと、また後で苛められるに違いないのに急に足は重くなってとぼとぼと歩いてしまう。

「忘れた。」
「わあッ!?」

すると、背後から先程の聞いたばかりの声が耳元にダイレクトに響いた。
てっきり既に彼女は帰ったものだと思い込んでいたせいで、ハルユキは驚き再度その場に丸い身体を転がしてしまう。
それによって、再度持っていた袋はぶちまけてしまった。

「な、なんだよッ」

強気に。けれども抑揚なくハルユキが彼女に怒鳴りつける。
だが彼女は少しも堪えた様子はなく、しゃがみこむと自分自身を指差した。

「華南。」
「…………へ……」

彼女は此方に一歩近づいてしゃがみこむと、こてんと首を傾げて見せた。

「華南。」

人の名前らしきそれは彼女の名前であろう事は、なんとか察する事が出来た。しかし、それに対してハルユキは如何返せば良いのか、すぐに言葉が浮かんでくる事が出来ずに居た。
それでも、ハルユキに構わずに壊れたラジオのように何度も何度もその部分だけを同じ音調で飽きる事無く繰り返す。
恐らくは、此方が言葉を返さないと彼女は延々と同じ事を繰り返すだろう事が四度目の平坦な声色によってハルユキは知らされる。

「………華南?」

おずおずとハルユキがその名前を口にすると、ぴたりと彼女の声は止み、その唇は確りと閉じた。
よしよし、と彼女は頷くと今度は少しだけ弾んだ声で立ち上がると、

「華南。」

そう、自分を指差したままにこりと微笑んだ。
その笑みに、思わずハルユキは息を飲み込んだ。あの時よりももっともっとそれは華麗に見えたから。
すると、突然くるくると辺りを見渡した彼女は地面に散らばった頼まれた物の数々を再度拾い上げ始める。
ハッと気付いたハルユキが彼女を静止しようと手伸ばせば、あっさりと集め終わったそれを彼に総て渡してきた。

「あ、ありがとう…」
「ばいばい。」

自然と口から飛び出した御礼を聞くか聞かないかのうちに、彼女はくるりと背を向けた。
そして先程と同じように、軽快な足取りでたったと今度こそ走り去った。

「な……なんだったんだよ、一体。」

一人になってハルユキはやっとそう疑問を口にする事が出来た。
手にしたパンを眺め見てから、彼女が去った先を見つめて、そして再び手の中に視線を落とす。

「…え?あれ、もしかして。……今のって」

自己紹介してるって、勘違いされた?

誰も居ない場所から返ってくる声はなく、今度こそハルユキは一人になった。

その次の日からだった。
彼女が所構わずに、ハルユキを追いかける事になり始めたのは。

「ハルユキ。」
「うえっ。ちょ…えっ、華南さんっ。今授業中……」
「華南。」

そう。本当に、所構わず。TPOを少しも考えずに。

「こぶたになって。はるゆき。あそぼう。」
「だ、だからそういうのは休み時間、」
「いまがいい。みせてみせて。うごいてうごいて。」
「っていうか授業は如何したんだよっ。」
「しらない。」
「ちょ、なんだそれっ……華南さッ……華南!!」

◆加速暴走

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