睡眠時間

□彼女はうちの所有物
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彼女のバイト先に立ち寄ったのはほんの気まぐれだった。

ただ先日、陽毬からがあの姉が働いてる店の名前を内緒で聞いて気になって探しただけで。
立ち寄る気はなかったし、声をかける気もなかった。
単に遠目から華南を見て、なんだきちんと働いてるのかつまらない。と思うだけで十分だった。

だが、運の悪いことに自分がその店に通り掛かった瞬間に雨が降り出し、一旦凌ぎの為にその店の扉を思わず叩いてしまった。

中からは軽快な「いらっしゃいませ」というお決まりの台詞。
ぱたぱたと走って来るウェイトレス服…ではなく、男物の服を着た我が姉が自分に「何名様でしょうか」と見ればわかる質問を投げ掛けてきた。

「って、お前かい。」
「…なんでお前が此処に居るんだ。」

恐らく言いたいのは向こうの方だろうに、あえて言葉を奪い取ってそう言ってやる。
すれば姉はやや苦笑した後に、いやあ。と頭をかいた。

「言ってなかったね、ここ私の働き先の一つ。つってもバイトなんだけど。」
「へえ。…バイト先ねえ。」
「一名様?」
「見りゃ分かるだろ。」

ちらちらと店内を眺めていれば、華南がお決まりの文句を吐く。
そんな彼女に相変わらずの態度で返せば、やはりにこりと「はいはい」と返って来た。
適当な席に連れて行かれて、まるで他人のように「どうぞお客様」と振舞われる。
それにやけに居心地の悪さを感じつつも、次の瞬間には姉はぱっと口調をいつも通りに変えた。

「珍しいね、お前がこんな隠れ家の店に来るなんて。まさか私に逢いに来たかい?」
「言っておくけど俺が此処に来たのは偶然だぞ。誰がお前なんかに逢いたくて此処に来るか。」
「だろうね。」

冗談だと笑ってあっさりと肯定する華南。
半分本音、半分嘘なのだが、こうもさらっと受け流されると少し腹立たしい。

「つかお前、濡れてる。」
「え、」

と、何気なく華南はわしゃわしゃと冠葉の頭を撫でた。

「ちょ、」
「なんだ外雨降ってるのかい。」
「…い、今振り出した所だよ。」
「その割には結構濡れてるがね。こんなんじゃ風邪引くぞ冠葉。」
「ばっ!…と、時と場所考えろ!!」

一瞬面食らって、冠葉は目を丸くして慌てて手を振り払う。
華南はそんな冠葉にきょとんとしながらも、今居る場所を思い出して、そういえば。と苦笑した。

「あはは。悪いね、お前の顔見たらうちと混合しちゃったよ。」
「……この馬鹿華南が…。」
「あ。悪い。ちょっとお呼び掛かった行って来る。」

そう言うとぱっと手を離して、さっさとその場から踵を返して立ち去った。

冠葉は、頭に感じる熱にぼんやりとしたままで、さっさと彼女が退散してくれて良かったと本当に心から安堵する。
でなければこんな情けない顔を奴に晒す事になっていたからだ。
ふと、窓の方を見れば自分の朱色に染まった顔が映る。
どうにもそれが腹立たしいのに、けれども心から悪くはないと思っている自分が居て、複雑な心情を押し出すように冠葉は舌打ちした。

ふと自然と姉が先程触れた自分の頭の辺りを、自分で撫でてみる。
勿論の事ながら全然気持ちよくはない。

「(…つーか俺、なにやってんだ。めっちゃ気持ち悪い。)」

窓の方を改めて見てみれば、その不審な姿に羞恥が湧いて居た堪れなくなった。
考えてみれば今さっきの自分の姿は自分の頭を自分で撫でている変な人だ。
普段ならこんな事はしないのに、一体何をしてるんだろうと思わず冠葉は深く溜息を吐く。
すると、誰かが此方に近づいてきた気配がして、きょとんと顔を上げた。
その直後、ことんと自分のテーブルに置かれる水。

「キミ、華南のお知り合い?」
「…あ?…ああ、はい。まあ。」

つーか姉なんだけど。
とは心の中の声。
本来の事を言わずにあえてそう嘘をついて冠葉は曖昧に頷く。
だが何も知らない気さくそうな男性はにこりと微笑んで安堵したように「そうか、そうか」と言った。

「華南の友達が来るのなんて初めてだから、なんか吃驚しちゃったよ。
あの娘があんなに言葉乱してるの久々に見たし…」
「久々?」
「ああ、普段はうちで働いてる彼女の友達の娘さんと、僕にしかあんな言葉しないから…。」
「…ふーん。」
「あんな風に楽しそうな彼女を見たのも久々だし、もしよかったら、また来てね。華南の友達だったら大歓迎だから。」
「はあ。」

饒舌に話す相手の優しい言葉とは裏腹に、冠葉は酷く気のない返事を返す。

「(…呼ぶなよ)」

彼がさり気無く呼ぶ姉の名前と、そしてまるで自分のもののように話す口振りに、何故か酷くもやもやとして嫌悪感を抱いた。

「(あの馬鹿の名前を呼んでいいのも、わかってるのもうちの連中だけだ。)」

惜しげもなく「華南」と呼ぶ彼を一度睨みつけて、次は二度とこの店に来るものかと決意を新たにした。
なるべく相手の顔を見ないように頷けば、相手は去っていく。

すると自分の背にする方向に歩き出したさっきの男が、再び華南を呼ぶ声が耳に入る。
振り向きはしなかったけれど、華南の声の調子からしてきっと楽しそうな笑顔なんだろうと言うのはすぐにわかった。
此処にきたときと大差ない、あの笑顔。

「(笑ってんじゃねえよ馬鹿。)」

◆なんとなく、むっ。

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