夢絆

□無知な野花に添えた薔薇
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華南は夏芽真砂子の一声で動く秘書のような存在だ。

と、秘書のような存在とは、実に聞こえがいいものだが、実際はそんな格好いい物ではなく、ただ単に秘書と似たように一人の人物と一緒に居るというだけで、どちらかと言えば夏芽の金魚の糞と言う方が的確な関係であった。

夏芽が自分を呼べば、華南は何も異論なくその後を付いていく。
けれども夏芽は一切華南になにも頼まないし、一切華南に苦労をかけるような事はさせない。
ただ単に華南には何もさせずに、そこに居てもらうだけ。
ただ自分の傍に居るだけの存在として、夏芽は華南を扱っていた。

さながらそれは愛玩用のペットの如く。
或いはまるで片時も離れぬ恋人の如く。

二人のそんな関係を見て、ある人は夏芽さんはそれほど華南さんを大事に思っていらっしゃるのね、との温かな眼差しを送り、ある人はなにもしないのに傍に居るなんて、あの二人には何か訳ありなのでは…といった奇異の視線を二人に浴びせた。

そのおかげでか、一部では夏芽と華南は怪しい関係に深読みされることがあり、けれども実際は違うのに両者ともそれを否定する事もしなかった。

華南は今日も夏芽に連れられて、ある病院の一室の前に立っていた。
夏芽がお見舞いに来た人物の部屋だ。
此処まで彼女の代わりに見舞い用の花を持ってきた華南だったが、この部屋に来た数刻前にその役目も無事終わり、後はただ待つばかりとなった。

勿論病院に知り合いも居ないし、やる事もなく暇なので、現代っ子さながらにかちかちっと携帯を弄くって遊んでみる。
だがそんな事をしていてもやはりいつか飽きは来るもので、一体何分経っただろうと華南は一旦携帯を閉じ、腕時計を見た。

目線を落とす先は、ペンギン顔の形をしたちょっと変わった藍色の腕時計。
華南はこの腕時計がとてもお気に入りだった。

大分前に買った時計だが、中々丈夫なのと、この時計を買った際に自分にとって思い入れがあるのを考慮して、今でもずっと重宝している。

「(別にペンギンは好きなわけじゃないけど)」

本音を言えばこれと同種のライオン形の時計の方が好みだったのだが、これを買った際に一緒に居た男に「こっちの方が似合うよ」と言われてしまった為に、止むを得なくこっちにした。
今思えばその時のライオンの形の時計はほんの僅かに値段が高くて、彼はそれを危惧してわざと此方を勧めたのだろうななんて考えてしまう。
しかし、嫌なら嫌と断ればいいのに、あの笑顔に引っかかってこっちでいいかなんて買ってしまったあの時の自分も自分だ。

「(やはりあの時無視してでもあっちを買っていればよかった。)」

とは言えど、やはりこれもお気に入りなのは確かなので、まんざらではない笑みを浮かべる。
すると、何かに気付いたようにちらりと華南は後ろを振り返り、腕を隠す。
扉はまだ開く気配はない。

華南はほっと胸を撫で下ろすと、携帯を片手に腕時計を外した。
そしてそれをやや乱暴に開いている鞄に放り込むと、まるでそれを見計らったようにがらりと病室の扉が開いた。
はっとして一度瞼をぱちくりさせ、洗礼された動きで華南は振り返る。
そこには華南が待ちぼうけていたお望みの人物が立っていた。

「お見舞いは御済になりましたか?」
「ええ、もう十分。」

肩にかかった長い髪をさらりと優雅に腕で流し、夏芽はすらっとした綺麗な指先で扉を閉めた。

「今どのくらいの時間かしら」
「少々お待ちを。」

開口一番の疑問に答えるため、携帯を開いて、デスクトップに表示されている時刻を読み、華南はそれを素早く伝えた。
すると、まあ。と夏芽は演技掛かった声で驚く。

「嫌だわ早く磨り潰さないと」
「…はあ?」
「いいえ、此方の話。」

相変わらず意味深な発言をする我が女帝に、華南は実に可愛らしくない訊ね方をして、首を傾げる。
夏芽はそんな華南に可憐に笑うと、ぽんと美羽の肩を叩いた。

「可愛いわね、」
「はい?……ああ。」

言いながら美しく微笑んだ女王様は、華南の携帯ストラップを褒める。
それは売店で買ったライオンのぬいぐるみのストラップ。
華南は表情を変える事無くぺこりと頭を下げて、「恐縮です」と一言。
すると女は可笑しそうにくすりと笑った。

「あらいやだ、そういう時はありがとうの方が的確ではなくて?」
「大変申し訳ありません。改めて、ありがとうございました。」

間髪居れずに微塵も申し訳ないとは思っていないような感情の篭っていない謝罪。そして無機質な礼。
敬意を少しも払わないそれは本来ならば怪訝な顔をされても不思議ではないものだ。
けれども夏芽はそれを不満に思わずに、寧ろ満足そうに宜しいと喜ぶと、「今度からは間違えてはいけないわよ」と注意をした。
これまた無表情で「はい」と答え、華南は再度頭を下げる。
夏芽はふふと鼻のような笑みを浮かべた後、ストラップから手を離してくるりと踵を返した。
ふわりと長い彼女の髪が宙に舞う。
その隙間から見えた瞳が、妙に此方を鋭く射抜いていたのに華南は僅かに警戒する。

「でも可笑しいわね。」
「なにがでしょう。」
「此処に来る前、貴女の右腕には時計があった気がしたのだけれど」

進めようとした足を止めて、振り返らずに夏芽は呟く。
まるで独り言のように。
そんな彼女の発言を耳にした華南は、一度眉をぴくりと動かしたものの、表情は一切変えぬままふうと溜息を吐いた。

「気のせいでしょう。」
「まあ、そうかしら。」
「ええ。」

きっぱりと肯定しながら、華南は一歩踏み出し、彼女の横に並ぶ。
夏芽は何か言いたげな、けれども愉快そうな笑みを浮かべて華南の横顔を見て華南の掌にそっと自分の手を合わせた。
まるで恋人同士のように。腕を絡み合わせて。

「綺麗な指ね、貴女は」
「ありがとうございます。」

相変わらず、感情皆無。
けれども夏芽はやはり満足したように自分の指と彼女の指を絡めた。

「本当に、憎らしい位可愛くて綺麗な人」

瞬きをして開いた瞳は一瞬漆黒に変わり、影を纏った。
声色にも若干の変化が見られる。
華南はそんな彼女の呟き等、聞こえなかった振りをして、鞄越しに中に隠してある藍色の時計に目を移した。

以前、元彼氏の高倉冠葉と買った腕時計に。

ちらりと病室に振り返って、華南は僅かに目を細める。
この病室の中に居る人物も、確か我が元彼と付き合っていた女の一人だ。

「(貴女は知っているんでしょうか、私が高倉冠葉と接点があることを。)」

それとも、あえて知って泳がせて置いているだけなのか。
華南は心の中で夏芽に問いかけ、そして沸きあがってくる疑問を直ぐに消した。
何かに気付くのが怖かったからか、それとも単なる考えても仕方ないと思った故の思考放棄なのかは自分ですら定かではないが。

さながらそれは、執行猶予を与えられた犯罪者と、犯罪を起こさないか窺う刑事。

自分達の間に住まう何かは、少なくとも他者が思うような綺麗と呼ばれるものとは程遠い、寧ろ対角線上にあるものだと華南は改めて感じ取った。

◆ ぶ き み 

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