夢絆

□遅すぎた自覚
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女垂らしと悪名高い高倉冠葉と言えば、華南が初めて口付けを交わした男であり、初めて彼女が付き合った一人の男であった。

だがしかし、彼女と冠葉の付き合いは残念な事に三日足らず持たなかった。
何故かというと、単純にそれは二人の友人期間が長かった故に、恋愛感情が上手く持てなかったからだ。

昔から男友達のように常に傍に居た二人故に、今更恋だの愛だのでいちゃいちゃするような気分にはなれなかった。
とは言えど、男女のいざこざと言うものがあって別れた訳ではないので、恋人同士ではなくなった後も自分達にはなんら変わらぬ交友が合った。

「(まあ、付き合った男が他の女と居るのに何食わぬ顔で接してるお前はどうかしてるって、事情を知る友達には言われたけど。)」

苦笑しながら華南は今日のスケジュールの入った携帯をぽちぽちと押して、ふと冠葉を思い出したことに苦笑する。
と言うのも、自分が先程立ち寄ったコンビニで冠葉の噂をした女子がいたからだ。
その女子は良く見かける女子高の制服を着ており、お譲様達にまで冠葉の悪行は知れ渡っているのか、と我が友人ながら華南は可笑しくなってしまった。

その際に過去に付き合っていた女がどうのだの言っていた為、ついつい付き合いだした頃を思い出してしまったというわけだ。

「(まあ、実際は女の子達が思うような甘いものじゃなかったけど、私の場合。)」

ぱちりと赤色の携帯を閉じて、華南はこれからスーパーに寄って母に申し付けられた品を買わなくてはと足を進める。
するとそんな風に足元を見ずに歩いていたせいか、ふと足元にある何かを靴の先で蹴ったくってしまった。
同時に、下の方で僅かに呻く声。
あれっと漸く我に返って目を開いた華南は、足元へと視線を落とした。

「まったく…乱暴な奴だと思ったらなんだ華南か。」
「おお、噂をすれば。」
「は?」
「いやいや、なんでもないよ女垂らしの冠葉くん。」

これぞ運命と言うか何と言うか、偶然と言うか何と言うか、調度噂をしていた彼がよもや目の前に現れるとは思わず、華南は軽くぽかんとした後にやりと不適に我が友人に笑みを浮かべた。

「で、そんな薄汚い所に隠れて君はなにをやってんのかなー、冠葉くん。」
「ちょっとな。」
「流石にソレは言い訳としては難しいかな、っていうかどうせまた女絡みで隠れてるんでしょっ。」

ポリバケツの裏になんか隠れて、明らかに「ちょっと」とは言い難い雰囲気ではないか。
華南はにやにやと楽しげな顔をしたまま、乱暴に冠葉の隠れているポリバケツを蹴ると「なんかあったのか言え」と尋ねる。

「…相変わらず、乱暴だな。」
「でもあたりっしょ?」

はあと呆れたように肩を竦める冠葉は、仕方なさそうに重い腰を上げて背伸びをする。
そしてきょろきょろと辺りを見渡した後に、改めて華南に向かって口を開いた。

「コンビニの前で昔の女に見つかってな。
そいつがまた厄介で、ちょっといざこざになって面倒だから隠れてた。」
「やっぱり。てか、あんたの昔の女何人居るんだ。」

相変わらず女にはだらしがないんだから、と華南は嫌味の一つでも彼にぶつけてやろうとすれば、先に待ったをかけられた。

「説教はさっきの女で懲りてる。
お前からも他の女と同じような事を言われたくないな。出来るなら、もっと可愛い労わりの言葉とか」
「悪いけど、私にはそういう小細工は効かないから、薄ら寒いくらいだし。」

さらっと前髪を掻き揚げて、ニヒルな笑みを浮かべる冠葉。
きらりと歯を輝かせる彼に、阿呆かと呆れた素振りで華南は完全に靡くつもりはないのを示した。
冠葉は、今度は作り笑いではなくあどけなく笑うと「流石華南だ」と華南の肩を叩く。

「えへへ、マジ私の冠葉スルースキルすごいっしょ。」
「ああ、凄い凄い。凄すぎてお前にいつ男が出来るのか俺は心配になるよ。」
「うわー嫌味。出来るよ出来る!私にもっ。
きっと今は運命の赤い糸が繋がっていないだけで!」
「今更乙女チック気取っても全然可愛くないけどな。」
「あんたこそ、男前気取っても全然らしくないしかっこよくないよ。
どっちかってーと、私は全然気取らない弟くんのが好きだなー。」
「晶馬はお前になんかやらない。」

ぱんぱんと自分の服を叩きながら、冠葉は偉い偉いと何気なく華南の頭を撫でて、華南は照れ臭そうにくすくす笑う。
しかし、すぐに「お前ソレ砂落とした手じゃんかよー」とむすっと冠葉に怒った。
暫く二人でそんな何気ない談笑を楽しんでいれば、ふと冠葉が顔色を変える。

「ちょっと、悪い。」
「え、」

言うが早いか冠葉は突然華南に覆いかぶさって、壁際に両手をついた。
その際に、ついでにお気に入りのニット帽子まで奪われる。

「コレ、借りるぞ。」
「は、ちょ…っ」

だが此方の制止の声も聞かずに、冠葉はそれを自分で被ると、煩いと言いたげにぐいと華南に顔を近づけた。
休息に近づいた冠葉の顔に、びくりと華南は怯えるように驚く。

「ッ…」
「少し黙ってろ」

低い声でそう囁かれ、華南は思わず息を呑んだ。

「(なによ、なんなのよ一体!)」

声を出さずに心の中でそう怒鳴れば、ふと冠葉がちらりと視線を自分に背ける。
そして、アレを見ろとでも言いたげに顎で横を指した。
未だに納得の行かない顔で冠葉を睨んでいた華南だったが、彼に指定された通り一応そちらに目を向ける。
すると目線の先に居たのは、なにやら小奇麗な姿で着飾った、すらっとしたモデル体系の美女。
誰もが振り向く位に美しい彼女は、うっかり同性である華南ですら見惚れるほどだった。

「(うはー。なんだアレ、別次元の可愛さ)」

美女は自分達から少し離れた場所に位置するコンビニの前で、きょろきょろと辺りを焦った様子で見渡している。
その整った顔は僅かにくしゃりと歪んでいた。

まさかと気付いた華南は、じろりと冠葉に再び振り返ると、冠葉は苦笑して明後日の方へと視線を移した。

「…まさか、アレ…」
「さっき言った昔の女だ。」
「わちゃー。」

気まずそうに、けれども隠す様子はなく冠葉は華南に応えると、「まだ追ってきていたなんてな」と一人愚痴る。
はあと大きな溜息を零す華南は、「あんなに可愛い子なのに」と呟いた。

「なんであの子と別れたかな」
「性格の不一致って奴があってね」
「それ前にも聞いたから。」
「はは、そうか。」

他愛のない会話を零す間にも、サーチレーザーのような彼女の視線はいつまでも冠葉を捜し求めている。

「もういっその事出て行っちゃえばいいじゃん。いつもの冠葉だったらこの程度、」
「言ったろ。アイツは他の女と違って少し面倒なんだ。」

正論を言う華南にどんよりと顔を曇らせて、すっかり疲れきった溜息を出す冠葉。
だったら初めから付き合わなきゃいいのに。と華南は思うも、あえてそれを言わずに居た。

すると次の瞬間、彼女の瞳がきろりと鋭く此方に向いて、真っ直ぐに自分達をその瞳に映した。
思わず目が合ってしまった華南はぎくりと背筋を震わせて、慌てて冠葉を見つめる。

「ちょ。どうしよう、冠葉っ!あ、あの人こっち見た…!!」
「馬鹿、なんでお前はそっち向いてるんだよ。」
「だってー…」

これはまずいと一度焦りながらも、だが気になればやはりまた視線を逸らしてしまうもので。
いけないとは思うも、確認の為に再び先程の女性に眼を逸らした華南は、明らかに女性の瞳がこっちを見ている事を確信した。

「(ああ駄目だ。こりゃ確実にバレるわ。)」

華南は早々に、諦めにも似た覚悟を抱くと、じりと一度足を動かし、冠葉に視線を送る。
もうこうなったらダッシュで逃げるしかないよ、冠葉。と。
しかし、冠葉の瞳は色を変えず、どちらかと言うとそんな判断を下した此方を厳しく諌める様な目を向けた。

「華南」

すると再び彼が低い声で自分の名前を呼んだ。
まるで自分を落ち着かせるようなその声に、華南は自然と身体を硬直させた。
漸く女性から眼を離して、瞬きをすれば冠葉の顔は間近よりも、明らかに息が掛かる距離にまで達していた事にはたと気が付く。

「かっ、」

近い。と思って声をかけようとしたその瞬間、華南の唇は塞がれた。
冠葉の唇によって。

華南は一瞬頭の中が真っ白になる。
自分の唇に触れている温もりは昔に一度感じたことのあるものだった。
けれどあの時は別に肌と肌を重ね合わせるのと変わらないと思っていた為に然程頭に残ることはなかった。
なのに、どうしてか今こうして唇を合わせたときの方が明らかに触れ合う感覚が違っていた。

「(こ、このやろう…何を行き成り!こ、殺す!絶対殺す!)」

頭の中には物騒なワードが渦巻いて、それだけしか覚えていないみたいに他の言葉が一切遮断された。
その後は冠葉殺す、殺す、冠葉の野郎!と何度も恨み言のみばかりが吐き出されていく。
別に自分は馬鹿ではない。成績だって悪くはないほうだし、人並みに頭は良いはずだなのにどうしてこう言う時にはこんな陳腐な怨嗟しか出てこないのか。
こういう時はもっと冷静に、かつ相手の心を深くざっくり抉るような、そんな酷いワードでも思いついてくれてもいいものなのに。そして何よりもそれを口に出来たらいいはずなのに。
残念ながら、唇は目の前の男によって塞がれている。
そして、その男は全く自分に関心を示していないように雰囲気なく瞳を開いて、此方を気にかけているだろう女の方を見ていた。

瞬間、焼け付くようなかっとした怒りが華南の中で芽生える。

「(人にいきなりこんな事しておいて…なんで私ばかりが緊張しなくちゃいけないんだ…!)」

そう気づいた時初めて華南は、はっとして何故こんなに緊張しているのだろうと自覚した。
別に、緊張する事なんて何一つないだろう。
今こうして近くに居るのはなんら変わらぬ友達の冠葉なのだ。
知らない男で緊張しているわけではない。
なら、何故?
ああそうか。恐いのか。
彼の共犯になったことでその女にもしばれた時に自分までとばっちりを食らうのが。
しかし彼の共犯をやらされたとは言えど、自分は無理矢理何も言わずに加担させられた事を素直に言って被害者面でとんずら扱けばそれで済む。
自慢じゃないが足の速さはそこいらの女子には負ける気がしないし、この冠葉にだって負ける気はしない。
だからさっき自分は冠葉に逃げようと提案したのに。

なのに、彼がこんな事をしてしまったから。

恐らくはそれを言ったら多分この男は涼しい顔をして、あんな所で無様に逃げ出したら確実に自分が不利になると踏んだからとかなんとか言い出すに違いない。
だから行動をとったに違いない、と長年の友達づきあいから大体の彼の言いたい事は察している。
察しているのに、なのに、まだどうして自分はこんなに心臓が張り裂けそうにどくんどくんと音を上げているのか。

「(早くどっかいけ早く消えろ早く居なくなれ早く離れろ)」

次第に彼に対する言葉なのか、それとも彼を捜している彼女への言葉なのかわからないくらいに頭の中は懇願で埋め尽くされた。
さっきよりもずっとどくんどくんと跳ね上がる鼓動がいやに煩くて、ついには外部の音すらまともに耳に入らなくなった。

長い。
もう既に三十分は優に立っているんじゃないかと言う錯覚をする。
しかし実際はまだ一分も立っていない。
すっかり時間間隔をなくした華南は、ぎゅうっと両手で胸の前を抱きしめた。

途端、目の前の大きな壁がゆっくりと離れた。

「…行ったみたいだな。」
「え、」

そうぽつりと呟くと安堵したようにあっさり彼は離れる。
視界を覆っていた影がすんなり晴れて、窮屈だった両手から開放された。
そこで漸く呼吸をする事を思い出したようにふう、と離れた彼に聞こえないように小さく小さく息を吐く。

「助かった、近くに居たのが華南でよかったよ。
お前じゃないとこんな事しないからな。」
「えっ…」

だが此方の気も知らずに、いつものように自分だけに見せる笑顔で笑う冠葉。
あれだけ言いたかった事は、予想外の彼の発言に打ち砕かれて、言葉を無くす。

「(…あれ、なに私。おかしいな。)」

あれだけ彼に怒って、腹を立てていたのに。
いまや怒りを通り越して、離れていった喪失感が胸に入り込んできた。
同時に、ぽかぽかと変な温かみを持つ胸。

「(お前じゃないとこんな事しないって言葉に、なんか…喜んでる、私?)」

次第に消えていく鼓動や火照った熱に、窮屈だったその瞬間がまるで名残惜しいかのように空しくなる。

「(なによ。これ)」

呟いてもそれが一体何なのかわからず。

「(なによ。こいつ)」

怒りを彼にぶつけても的を得た理由は得ず。

「(なによ、私)」

最終的に自分に疑問をぶつけて、その疑問が探り出した答えを認めないまま目を逸らした。

◆友達に戻って気が付く恋心

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