夢絆

□気まぐれ姫様と王子様
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あれから、数日の間自分の登校は以前と変わらず普通のものになった。
時間をずらして登校する様になれば自ずと彼と出会うことも無くなり、完全に接点は遮断された。
とはいえど、時折目が何かを探すように自分の意思と関係なく自然と動いてしまう。
恐らくは目が彼に慣れすぎたに違いない。
家族でも友人でもないのに何度もああして自分の前に現れたエキストラは始めての事だったから、尚更珍しかったのだろう。
けれども、もう二度と逢う事はないのだから幾ら捜した所で意味はない。
そう自分に言い聞かせて、一つ深呼吸をした。

折角心に平穏が訪れたのだから、と気分を変えるように辺りを見渡して適当な顔ぶれを脳内に植えつけ始める。

さて今日は一体何の妄想にしようか、と頭の中の貯蔵庫を巡って設定を考え始めた。
とりあえず、今回はSF的なものでも良いかもしれない。
突然宇宙人が振ってくるか、それとも怪獣が襲ってくるか。

…いや、なんだっていいか。

珍しく細部まで考える気になれず、とりあえず適当な所で手を打とうと簡単な怪獣物で総てを喰らいつくすのでいいや。と半ば投げやりに判断した。
普段ならこんな風に怠慢になる事はないというのに、こんなところまで怠慢になってしまった自分に少々面食らう。
だが、それ以上感情はなく、まあこういう事もあるだろうと切りをつけて瞼を閉じた。

その次の瞬間だった。
何者かにがしっと腕を掴まれて、進行先を遮られたのは。

自分の意思とは関係なくぴたりと止まった足に、瞼を開いてぱちくりと目を白黒させる。
如何した事だろうとふと圧迫感のする腕の方を見て、それからその腕から生える一回り大きなこげ茶色の掌に気づいた。
今度はそれを辿って見上げれば、見知らぬ男がにやにやとしただらしない顔で此方を見下ろしていた。
不審な様子になんだと思いながら訝しげに眉を顰める。

なんでしょうか。

邪魔なのですが、と言いたいところを我慢して、一応は普通な問い掛けをする。

「いや、なにっつーわけでもないんだけどさぁ…っていうか、なにっていうのは君の方でしょ?」

………はい?

男はねっとりとした耳障りな声で、へらへらと軟派に続けてきた。

「っつーかさあ、君さっきこっち見てたじゃん?あれでしょ、俺の顔見て見惚れちゃったとかでしょ?」

……
………

…何言ってんだこの原始人。

何の話だと此方が強気に出ようとすれば、その顔を見てはっとした。
それは先程自分が繰り広げていた妄想劇の中で使った顔そのもの。
そして真っ先に適当な怪獣に噛み殺される役柄を背負っていた人物だった。
改めて面を上げて、その顔をきちんと目にした自分は思わず絶句する。
すると、その自分の様子に相手の方も理解した様子に気がついたのか、今度こそにんまりといやらしく笑って腕を引っ張ってきた。

「ほっらー、やっぱ覚えてんじゃん。恥ずかしいからって知らないフリしなくていいんだよーッ。
俺、君みたいな子なら即オッケーだし?」

…いやこっちは即NGだし。
げんなりとそう内心で思うも、口には出さず視線だけで不満を伝える。
だが男にはそれは一切伝わっていないらしく、やはり締りの無い顔つきで

こういうのが空気読めないという事か。
今までそれを使うのは殆どあのなにかと喧しい友人の前のみだけだった為に、初めて他人にこんな言葉を使ったのが少し新鮮だったりした。
だがしかし、迷惑なのは変わらない。

私急いでいるので。

そう彼を押し退けて先に進もうとすれば、「いやいやちょっと待ってよぉ」と男が自分の腕を掴んでいる方の手を引いた。
その意外な握力と引っ張る強さに思わずよろける。
見た目はちゃらちゃらしているくせに、力だけはあるところはやはり男という事か。
ふとよろけた際に辺りを見てしまえば、出勤途中のサラリーマン、朝帰りのOL、登校途中の女子高生等が、さっと眼を逸らしてそそくさと立ち去っていくのが目の端に映った。
…恐らくは余計な事には関わりたくはないというのだろう。
また、自分も特に騒がないものだから余計にあまり気にしないで素通りする人が多い。
まあ、止むを得ないといえば止むを得ない。自分だってこんな場面に遭遇したら気にも留めずにさっさと立ち去るだろう。
勿論一度目にした顔であっても、どうせ直ぐに忘れるのだからと気にした事ではなく。

だから彼らに救いを求めるのも恨むのもお門違いなので、特に何も思わずに今は眼前の敵を何とかしようと考えた。
これがもしも妄想の中ならば異形の力を得た自分が相手を真っ二つにして、血塗れになってその場から立ち去るなんて事になるのに。
仕方ないから彼の足でも懇親の力で踏んで、そのままダッシュで逃げようか。そうしよう。
そう思ってふと俯いて彼の足に目線を落とした。
すると観念したと勘違いした男が、嬉々として声を高らかに馴れ馴れしく自分の肩に手を掛けた。

よし今だ。
完全に狙いをつけて足を出そうと持ち上げた


その瞬間だった。

「ご、ごめん!待った!?」

………、え?

突然割り込んできた別の人間の声に、自分はぴたりと足を止める。
勿論自分を動かそうとしていたその人物の声色ではないのは直ぐにわかった。
確かにれっきとした低い男性の声ではあるのだが、明らかに声色の調子が違うし、そもそもあの男はこんなに爽やかですんなり通る声ではない。
……ならば、誰?

すると、風の様に音もなく男と自分の間に滑り込んできた見知らぬ影に、目をぱちくりとさせて顔を上げる。

どくん、と大きめに心臓の音が鳴った。

何故だろうか、その人物の顔を確認しては居ないのに。
まだその人物の後姿しか見ていないのに、それだけで脳裏に思い出さないと頑なに決めていた顔がふっと横切る。

違う。絶対違う。絶対無い。それはない。っていうかあってたまるか。

頑として認めない自分の心とは裏腹に、身体はその人物である事を確信して熱く滾ったまま、心音は鳴り止まない。
嘘だ。絶対嘘だ。
終いにはもう何が嘘なのか判断が出来ないほどに、頭が混乱してしまう。

すると、暫く眼前の男と睨み合っていたように見えたその人物が、くるりと此方に振り返った。

「え、えっと…遅くなってごめん、華南。ちょっと寝坊しちゃって…」

言いながら、若干無理しているような笑顔を作るあの青い髪の少年。
その顔に見覚えが無いなんていうわけが無い。
見間違うはずも、忘れたくても忘れるはずも無かったのに。
見覚えが無いなんて、言えるわけが無い。

どうして、と口に出すはずだったのにそれは言葉にならず、ぽかんと間抜けに口を開いていれば、彼は口パクで何かを伝えてきた。

『 合 わ せ て 』

読唇術等は習っていないけれど、なんとなく彼の言いたい事が手に取るようにわかって、自分は呆気に取られつつも理解したと小さく頷く。
彼にだけわかるように目で合図すれば、彼は自分から顔を逸らしてさっと手を差し出す。
まるで王子様の如く。

「さ、行こ。華南。」
「おいコラ、ちょっと待て兄ちゃん。この子は俺をだなぁ…」

男は訝しげな顔で彼をぎろりと睨みつける。
自分からその注意が逸れたのに気付くと、男の腕を力いっぱいに振りほどく。
そしてそのまま自分は咄嗟に差し出された彼の手にしがみ付いて、俯いた。
ぎょっとしていた男は言葉を失って呆然と立ち尽くす。

「な……」
「じゃ、行こうか。」

自分が彼の思惑通りにその腕に飛びついたのを確認すると、彼はほっとしたように男に目もくれずに手を引いた。
自分と彼は歩幅を合わせてその場から逃げるようにさっさと歩き出す。
その際にちらと視線のみを上げて彼の横顔を見た。
そこには僅かに先程見た時より彼の顔色が良くなっていて、また額に汗も幾つか流れている彼のかんばせ。

……助けてくれなくてもよかったのに。

じっと見つめていた視線に気付いた彼が此方へと顔を向けてきた。
すると漸く安堵したように一息を吐いて、彼が口元を緩ませる。

「大丈夫、華南さん?…あ、そ、それと突然ごめん。驚いたよね。」

頼りなく笑う彼に、自分はそそくさと衝動的にそっぽを向く。

べ、別に。

彼にぶちまけたいものは幾つもあったのに、結局そのどれもが口から流れず、可愛くない返事を返してしまう。

もう先程の男の視界からは離れているというのに、なんとなく彼の腕を放せない。
彼も繋いでいる手については特に何も言わなかったので、結局知らない不利でそのままにしておく。
別に、このままで居たいとかそういうわけじゃない。
さっさと離して嫌がられてるって勘違いされても困るから、それだけだ。

「でも本当吃驚したよ、なんか誰かナンパされてるなって思ったら、相手の方が華南さんなんだから。」

…吃驚したなら、知らないふりをすればよかったのに。
あんなに焦っていたくせに。
どうしたらいいか分からなくなっていたくせに。
何で衝動的に飛び込んで来るんだか。

そのような事を途切れ途切れにぼそりと自分が呟けば、それが聞こえたのか、彼はやや唸りながら視線を逸らした。

「あー…それは、その………、…自分でも、よくわからなくて…」

よく、わからない?

彼がぽつりと言ったその言葉に顔を上げる。
すると彼は此方から視線を逸らして、気まずそうに目を泳がせていた。

……よくわからないのに、助けたの?

「なんていうか…華南さんを見た瞬間に、助けなきゃって思っちゃって…気づけば体が動いてたんだよ。」

……………

…なんですと?

「もしもあれが知らない人だったらちょっと考えちゃってた所だったんだけど、なんか華南さんだってわかったら放っておけなくなっちゃって」

そこまで聞いて、先程まで離したくないと思っていたはずなのに、途端に彼から離れたくなって手を外す。
そして一歩先に踏み出して、もういいからと早口で彼に告げた。

「え、ちょ…華南さん?」

呼ぶな。名前、呼ぶな。

戸惑った彼の様子が見えなくても手に取るようにはっきり分かる。
だが自分は振り返らずに、急ぐから、と再度最後に告げてそのまま早足で駆け出した。
まるであの日、再び遭遇した日のように逃げるみたいに。

本当ならばきちんと、いつも通り冷静にありがとう、と言うはずだった。
彼に助けられた事は望まずとも一応は嬉しい事ではあったのだから。
でもなのに、何故か、悔しいのに何故か、それを素直にいう事が出来なかった。
あんな事を彼が言ったせいで、途中からまともに顔が見れなくなり、会話をすることさえ困難に陥ってしまったから。

初めてこんなに頭が混乱して、体の芯が熱くなったから。

『華南さんだって分かったら放っておけなくなっちゃって』

その一言がどれだけ自分にダメージを与えて、どれだけ衝動的にそこから逃げ出したい気持ちにさせたか彼はきっと少しも分かっていないだろう。

だが、自分ですらもどうしてこんなにダメージを受けたのか分からない。

恥ずかしいのか、苦しいのか、なんなのか分からない。
ぐるぐると様々な思いが交差して混ぜあって気持ち悪い。

どうしてだろう。なんでだろう。

なんでこんなに彼の言葉一つで自分は落ち着かなくなるのだろう。
まるで彼と居ると見ている世界が変わったように思えてしまう。
自分にとってはいつもの景色で変わりないのに。
色鮮やかに見えたり、灰色になったり、今はもう知っている景色が見知らぬ景色のように錯覚してしまう。
いつもの景色のはずなのに、いつもの景色、


……いつも、の……景色?


……しまった。
と、そこで立ち止まる。
自分は珍しく冷や汗を流しながら、今の目の前に広がる世界を首を振り回して確認した。

…………こっち、自分の学校の方角じゃないじゃないか……。

理解した途端に湧き上がる羞恥に耐え切れず、一瞬にして思考は冷静に冴え渡る。

…自分は一体何をやっているんだろうか。
本当に何をやっているんだろうか。
彼の前だとどうしてこうも定まらない。
どうしてこうも勝手に混乱して、ころころと気が変わってしまうのか。
解せない。解せない。

このままで居るわけにもいくまいと、おずおずと道を帰っていけばこちらの方角に歩いてくる彼が居た。
自分が逃げ出す間も、隠れる間も無く彼はあっと直ぐに気づいて此方に駆け寄ってきた。

「……間違ってたら御免だけど、華南さん、学校こっちじゃない…よね?」

……うん。

「前に学生証拾った時見たんだけど、確か正反対の方角…だよね?」

………うん。

最早言葉にはせずに、ただこくりと頷くばかりの自分。
真っ赤な顔を見られたくなくて無理矢理神で顔を隠した。

「なんか華南さんって、放っとけない雰囲気あるよね。」

そんな瞬間に朗らかに彼から囁かれた言葉。
明らかにそれは笑みを含んでいた。

………消えてしまいたい。


◆初めて心の底からそう思った。


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