夢絆

□状況に流されただけ、と彼が言う
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「ショックです。もう、物凄くショックです。」
「……」

晶馬の見舞いをして病院から帰る途中、いつもの彼女と出くわした。
何も知らない華南は今から帰る所だったようで、いつものように「冠葉君一緒にかえろー」と能天気に自分を誘ってくる。
内心ではその遭遇率の高さにこいつはRPGのスライムか等とふっと考えが湧くものの、今日の一件で疲れきっていた冠葉は最早彼女に悪態をつく気力すらなく、自然と華南に付き合った。
その道中の電車でぺちゃくちゃと華南が此方の気も知らずにいつもの調子で話し込むものだから、なんとなく冠葉はむっとした。
先程自分が病院で繰り広げていた闘争すら知らないだろう彼女が途端に憎らしくなり、逆恨みと理解しつつ冠葉は溜まっていた鬱憤を彼女へと総て吐き出した。

「今日女に唇奪われたから機嫌悪いからあんま喋るな」。

あてつけがましく、恐らくは彼女が一番ショックを受けるであろう言葉を選んで、最初にそう口にして。
だが、後にそれが間違いだったと気付いて冠葉は後悔する事になった。

「まさか、まさか冠葉君の事好きな女性が、冠葉君の唇を奪って逃走したなんて…酷い、酷すぎます。主に私に!!」
「だーかーら、意図した衝突事故みたいな物だって言ってるだろ。つか、なんでお前だよッ」

まさかここまで華南が鬱陶しくなるものだとは思わずに、煙たそうにひらひらと手を振って間に挟んでいる華南の荷物の上に手を置く。
華南はただぐったりと肩を落としたまま、気の抜けた溜息のみをその口から洩らしていた。
一瞬まるで魂が飛び出てしまうのではないだろうかと思うものの、未だに僅かに目に浮かんでいる炎にはまだ揺らぎが無いようだった。

「事故みたいなものでもキスはキスです、間違いないです。うあー。冠葉君の彼女は私なのに!今は私なのに!おのれ許すまじ、…病院っ」
「なんで病院だ。」
「だってその人の顔知らないから恨めないんですもん!人、一人浚われても全く気づく事のないナースや管理不注意な病院に恨みを馳せるしか…ああああ、それにしてもダメだあショックだぁあああ…」
「俺の方がショックだよ。」

お前、暗闇で行き成り女に唇奪われる立場になってみろ。
色々なもんが一瞬頭を吹っ飛んだぞ。と冠葉は苦笑する。
だがそんな声すらも彼女にはもう届いていないようで、後は再びうーとかあーとかの唸り声で埋め尽くされる。
一号はそんな華南の膝の上で彼女をじっと見て首を傾げて、その後ぴょんとその膝から飛び降りた。
何処からともなく取り出した裸体に近い女性達の写真が詰まっている本を取り出して、よりにもよって床で熟読しだす。

「…おい、華南。」

ちらっと横目で彼女を見つつ、そう名前を呼ぶ。
そう言えば久し振りに彼女の名前を呼んだ気がするなとふと思い出しつつも、冠葉は彼女からの対応を待った。
だが、あの冠葉が名を呼んでいるというのにそれすらも反応せずに、華南は一切振り返らない。

「……華南。」

もう一度、冠葉はやや苛立った調子で彼女を呼ぶ。
しかしそれでも彼女が振り返ることは無かった。

「…華南、こっち向け。」

むっとして衝動的に間に挟んでいた華南の荷物を退かして、冠葉はぐいっとその腕を引っ張る。
突然のその行動にハッとした彼女は目に溜めていた雫をほんの僅か瞳から零れ落としながら冠葉へと顔を上げた。

「そこまでショックだってんなら、お前に洗浄してもらうかな、口の。」

にやりと笑う冠葉に、ぽかんと呆ける華南。
あからさまにその表情には小ばかにしていると言うか、何らかの含みを持っている表情だった。

「え、あっ、え…その……」

だが彼女はそんな冠葉を知ってか知らずか、あからさまに顔を真っ赤にしだした。
冗談を返すわけでもなくただ口で狼狽し、かちんと身体を固める。
落ち着きなく目を泳がせて、徐々に声は小さくなった。
すると、んっと唇と瞼をぎゅっと閉じて華南は顔をぐっと上げる。
そんな彼女の行動に目を丸くして、冠葉は途端に顔色を変えた。

「(なんて…何もする訳ねーだろ、馬鹿。)」

あくまでも今のは単にからかっただけだ。
冠葉自身は少しも本気ではなく、いつものようにわざと彼女をからかって遊んで、チョップする為の安い芝居。
今まで散々と自分の演技に振り回されていた彼女なら、気づいてもおかしくないほどのものなのに。
けれどもそれほど冠葉と夏芽の口付けがショックだったのか、それともやはり頭が足りないのか、そこまで及ばずにまんまと冠葉の演技に乗っかってしまった。

もしも彼女がここであたふたと喚いてまたなんだかんだと乙女チック回路をフル回転させてくれたら、此方とてやりやすかったのに。
冠葉はそのままならなさに内心では酷くうんざりして、そして呆れた。
このままその額にチョップでも打ち込んでやろうかと手を動かすも、けれどももしもそうして再び瞼を開いた時、彼女がまた泣きそうだったらどうすればいいのだろうと軽く悩んで手を止める。
一瞬脳裏に分かりやすい華南の泣き顔が浮かんで、冠葉は何故かやるせない気分になった。

そのせいだろうか、自然と冠葉は口にしてしまっていた。

「…口直しな。」

恐らくコレは引くに引けなくなってしまったからなのだ。
冗談を彼女が上手く流してくれなかったから、自分も上手く引くことが出来なくて止むを得なくこんな言葉を吐き出した。
それにどうせいつも普段は他の女性とよくやっている事だし、言うなればこれは単純に水で口を注ぐ行為と相違ないもの。
近くに水が無かったから、だから手頃の女で済ますだけ。
愛情も減ったくれもない、ただのタオル代わり。
それだけ。それだけ。
冠葉は自分にそう言い聞かせるように、先程チョップを繰り出そうとした手を華南の肩へと移動させぽんと置いた。
その瞬間、びくりと彼女が更に顔を赤く染めて大きく震える。

「ッ。」

そのせいだろうか、きっと驚いたのだろう。
冠葉の鼓動も跳ねて、自分でも分かるくらいの音を耳に響かせた。
その音を確認すると何故か頬が熱くなって、恥ずかしさなのか胸が熱くなる。
沸きあがる気持ちをそれ以上判断するのが恐くなって、冠葉は今度こそ華南の唇に近づいた。
吐息の掛かる距離まで互いに唇を寄せて、僅か一歩の距離で冠葉は瞳を開いて彼女を見る。

今までこの間隔の寸前は、脳裏に浮かぶのは愛しい妹ただ一人だった。
どんな女と重ねあう時も頭には常に愛しい人の姿。
これがもしも陽毬なら、これがもしも陽毬だったら。
そう何度も何度も幾重の女性を妹に重ね、唇を奪ってきた。

けれども自然と何故か彼女が相手だと、陽毬ではなく間違いなく華南なのだと認識し、消す事が出来なくなってしまった。
…きっと、恐らく今までの言動が妹とは大きくかけ離れていたせいに違いない、と思う。

「(どこまでも、嫌な女だ、コイツ。)」

心の中で彼女への悪態をついて、冠葉は瞳を閉じる。
この不快感を抱かせ自分の意思で唇を合わせる女性は、華南なのだと理解して。

◆けれども、本当は不快感なんて微塵も無かった。


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