夢絆

□探究心が第一歩
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晶馬にひとつ聞きたいことがあったりした。
それは物凄く些細な事で物凄くちっぽけな事で、見過ごしてしまえば如何でもよかった程度の事。

「うん?」

なんで私の事を名前で呼ぶんだ。

普段通りに家路に付く途中でふと湧いた疑問を彼にぶつけた。
本音を言うと此処まで来るのに一切二人の間に会話と言うものがなく、珍しく沈黙がこの間を重々しく支配していた為だ。
まあ、別に。重々しいと思っていたのは自分だけで、高倉晶馬としては微塵もそんな事を思っていなかったに違いないが。
そうちらりと自分が彼に顔を向ければ、彼はやはり穏やかな笑顔を崩さずに居て、今は此方の話にきょとんと目を丸くしていた。

再度、自分が彼に対して同じことをぶつける。
彼の瞳と自分の瞳が合わさるのはなんとなく嫌だったから、さり気無く視線を逸らして。

いやだから、さ。
なんで、晶馬は私を名前で呼ぶのかな。と。

やっと彼と話す際に少しあがらなくなったかもしれない、と自分の成長を束の間喜びつつ、頬を掻いた。
すると、晶馬の口から飛び出してきたのは自分が予想にしなかった発言。

「だって僕、君の名前しか知らないし」

…………

……あ?

ぴたり、と頬を掻いていた手を止めて自分がゆっくりと顔を彼に向ける。
そこには先程と変わらずに、何を言っているんだろう。と言いたげなきょとんとした呆けた顔。
そこで言われて初めて自分は確かに名乗ってないことに気付く。
思えば彼が自分の名前を知ったのは、以前自分が顔を覆いたくなる事件が発生したときの事だった。
その時たまたま彼が発見したのは自分の名前だけが書いてあるもので。

「なら、苗字の方がいい?」

いいやっ、決して!そんなことはッ。

彼があまりにもあっさりと言うものだから、自分は必死でそれを否定する。
というか、一度名前を呼んでいるのだからもうそれでいいじゃないか。
それ以下に立場を下げなくても良いじゃないか。
別に自分は彼に名前を呼ばれるのが嫌でそんな事を問い掛けたわけじゃない。
ただ単に、名前の呼び方一つでいきなり近しい関係に昇ったような、そんな自惚れたような気になってしまって。
だから本当に少しだけ、もしかしたら自分は晶馬にとっては特別だと思ってもいいのだろうか、等と恐れ半分で居たりした。

「じゃあ、華南ちゃん。」

上げるな、いや。下げるなとは言ったが、上げるなそこで、そう。

とんでもない事を言い出した晶馬に即座に突っ込みを入れる自分。
大体男から「ちゃん」と言われるのは慣れてないのでやめて欲しい。
というか、晶馬にだけはなんとなく言われたくない。
自分がそう恥ずかしさを堪えて訴えれば、晶馬はくすくすと笑って「じゃあ今までどおりで」と結論した。
お願いします、と自分はぺこりと頭を下げる。

「でもさ、華南って中々いい名前だよね。君らしいと思う。」

…そうだろうか?
自分の名前なんてものあまり意識した事はない。
特に他人からその程度を言われた事はなかったので尚更に考えた。
というか今何気にさらっと呼び捨てにしただろう彼に、少々どぎまぎしてしまう。
恥ずかしさを隠す為、晶馬の方が聡明そうで良い名前だ、と言えば晶馬は恥ずかしそうに頬を染める。

「あ…ありがと、は、初めてそんな事言われた…」

初めて。
その言葉を聞いた途端、不思議と胸がきゅんと痛んで、大きく音色を上げた。
つまり、その、それは要するに。
自分が始めて晶馬の名前を褒めた人で。
それで、晶馬にとっては私が初めてで。
だから、つまり。

とうに答えは出ているのに、何度も何度もそれを繰り返す自分がちょっと馬鹿馬鹿しい気がした。
けれどもそれを止められず、何度も何度もその意味を自問自答しては確かに弾む胸。
やっぱり、彼にとっての考えたら自分は悔しくも確かに嬉しいような気持ちがあったのだ。
ふっと思わず笑みが零れる。

「ところで本当に苗字なんていうの?」

…まだ言うかこいつは。
一度流した話題を何度も位つかないでほしい。
というか他人の名前ならまだしも苗字に興味を持つなんて…
空気を読めずに更に話を戻してくる晶馬に、先程までのちょっとした浮遊感が若干落ち着いた。
落ち着いてくれてよかったのだろうが、でも…少し残念な気がして晶馬を睨む。

「だって君、僕が聞かなきゃ絶対言ってくれないだろ?」

…そりゃそうだけど。言う気も起きなかったけど。

「それに、知りたいって思ってもいいじゃないか。」

晶馬は少し視線を逸らして、先程の自分と同じように頬を掻いた。
あれ、と一瞬既視感を覚えるも、まだその答えには行き着かずに自分は晶馬に問い掛けてしまう。

…そんなに、苗字が?

すると晶馬は少しがくっと身体を傾けて、半開きの瞳でじろりと此方を見つめてきた。

「苗字だけじゃなくてさっ、…そのお…」

◆要するに、君の事全部

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