我が家のサーヴァント達

□ようこそ、衛宮探偵事務所へ
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陽介は俗に言う探偵という奴だ。
と言っても、その後に見習い。とつく、まだまだ未熟な男子高校生であるのだが。
彼は数ヶ月前、とある一人の男に見込まれ、ついでに一人の女に一目惚れして、その道に入るに至ったという経緯がある。
しかし、その探偵という職業。聞こえはいいが、それはもう稼ぎが無い。
他の探偵事務所はどうか知らないが、我が探偵事務所はそれこそ隠れ処過ぎるほど隠れ処で、一般人は普通立ち寄りそうも無い場所に出来ている為に、何故か所長の評判が悪いため足を運んでくれる人というのが本当に物凄く僅かにしか居ないのだ。
細々と経営しているながらにも一応稼ぎと言うものはあるが、それは殆ど雀の涙。
結果、陽介は深夜から早朝にかけてバイトを幾つかこなしてから此処に出勤すると言う綱渡りのスケジュールをしていた。

「(だからって、流石に今回はバスの中で寝たのは痛かったよなー……)」

此処に来るまでの間、ついつい疲れによってうとうととしてしまったのが一番の敗因だった。
普段であればどれだけ体力を尽くした所で切嗣に怒られる事を思えば気を張ってきたつもりだったのに。
はあ、と後悔の念に苛まれて陽介は探偵事務所の前で項垂れる。
しかし、何時までもこのままで居るわけには行かず、ちらと彼は衛宮探偵事務所と達筆で描かれた扉を改めて見つめ、深呼吸をした。

「遅い。」

やや錆びた銀の扉を二度叩いて中に入れば、新聞紙を広げて椅子の上で足を組む無精ひげの男が一人。
その男こそが此処の所長であり、衛宮切嗣という陽介を見込んだという男である。
口にした煙草からぷかっと灰に濁った煙を浮かばせて、じろりと此方に視線のみを振り向く。
その気だるげながらも鋭い眼差しによって、陽介は一瞬にして背筋を凍らせ固まった。

「あ、あの……す、すいませんッ。」

不機嫌なその声に対して他に言う事なんてある訳が無く、即座に陽介はその腰を90度よりも低く傾ける勢いで下げた。
内心ではその一声に対する言い訳が幾つも浮かんでは、ぐるぐると彼の中に渦巻いていた。
なにせ普段はこんな風に遅刻するなんて事絶対ないはずだったのだから。
しかし、結果としてそのどれもが彼の喉を震わせ言葉として成り立つ事は無く、謝罪だけしか出てこない。
暫くそうして頭を下げていたが、やがて切嗣がふうと息を吐いた。

「座れ。」

それは要するに、もういいという彼の合図だ。
陽介は張り詰めた緊張感が一瞬にして緩んでいくのを肌で感じ取ると、ホッと胸を撫で下ろした。
恐る恐ると確かめるように辺りを見渡してみれば、珈琲を淹れていた黒いスーツが印象的な所長の右腕である舞弥と先に目があってこくりと小さく頷かれる。次に目が合った自分の机の隣に座る優美な顔立ちをした中性的な印象を持つ女性のセイバーは、机の下でこちらに向けて親指を立てていた。
彼女達のその反応によって、陽介は今度こそ心から安堵して、もう一度切嗣に頭を下げながらそそくさと自分の机に向かう。
切嗣はもう既に陽介から視線をそむけていて、興味すらも無いようだった。
とっくに新聞は四つに折り畳まれていて、次には彼の視線は机の上の書類や写真に向けられる。

「それで、この間の不倫調査のほうはどうなりました?例の……」

見れば切嗣の近くには先程入れた珈琲を彼の机に置く舞弥の姿があった。
舞弥はじっと机を覗き込むと、切嗣に話を訊ねる。
なるほど。あの机に並べてあるのはこの間の不倫調査の話だったか。
あれが迷い込んできたのは確か二、三日ほど前の話で、オールバックの男性が妻が近所の喫茶店で店員に誑かされているというものだった。件の喫茶店には一度自分も行った事が在るが、あそこにはイケメンと呼ばれるに値する秀麗な顔立ちの男が確かに居た。
正直依頼人には悪いが、確かに妻が彼よりもあの男に走りたくなる気持ちも分からないわけではない程だ。
…いや、まあ、男としてはあの店員は、かなり腹立たしい人物ではあるが。

「ああ、あっちはとりあえず置いておく。…というか、もう黒で報告しても問題ないと思うんだが。…まあ、こっちじゃなくて、別のが問題だな。」
「と、言いますと…」

と、言うと切嗣は机の右端に置いてあった写真を彼女に見せて、手渡した。

「こっちだよ。殊勝そうな奥さんが泣き付いて来た方の不倫調査。…正直、こっちはあんまり気が進まなくてね。
あまりにも相手のオヤジの性の悪さと手癖の悪さばかりが目に付いて、黒だって伝えるのすら嫌になりそうだ。
こんなに良い奥さんが居ながら、わざわざ余所見とは……全く、気が知れないね。」

口にした煙草を一旦離して、近くの灰皿にとんとんと灰を落とす切嗣。
現在進行形で不倫している人がそれを言うか。とは、陽介は内心で薄ら思ったものの、慌てて掻き消し口には出さず。
そもそも、遅刻してきた分際で出せる口も無く、仕事をしている振りをして言葉を無理矢理飲み込んだ。

「妻が居る職場で愛人をはべらせている彼が言う台詞ではありませんがね。」

だが、陽介が黙ったところで、その隣の女性が口にしてしまえば意味はなく、陽介は机に突っ伏した。
瞬時にその場は凍りつき、絶対零度の寒さが所内に駆け抜けた。さり気無く、舞弥は切嗣から身を引いて知らん顔でその場を去る。
後にはぎろりとセイバーを真っ直ぐにねめつける切嗣と、その切嗣を睨み返すセイバーが残るのみだった。
普段から自分を信用してくれないばかりか口も聞いてくれない所長に不信感を抱いている彼女は、最近はこうして直情的な嫌味を彼にぶつけることが多くなってきた。
彼が何も言わない事を利用して、わざと痛いところを突く作戦に出ているようだ。
しかし、その度に彼女はお昼の時間に弁当をたこ焼きに摩り替えられては、軽い仕返しを食らっているのに。

「(…というか、どっちも子供、だよな。うん。)」

とはいえ、毎度毎度、無言の威圧感の中は流石に肩身が狭く、陽介は本日も早々に胃が痛くなる気がした。
すると、ことん、と机に桜の模様が散った白い珈琲カップが遠慮がちに置かれた。
気づいた陽介がゆるゆると顔を上げて、カップから伸びる手を辿りそちらを向く。
見ればそこにはすらっとした透明に輝く髪色と同色の清潔な白い女性用スーツを着こなす貴婦人。
和やかなその笑みを目の当たりにした瞬間、陽介は背筋をピンと張らせて目を輝かせた。

「どうぞ。うちで淹れたお茶なの。それを飲むと眠気が飛んですっとするみたいで…」
「あ…す、すみません!い、頂きます!」

ぺこりと頭を下げると、彼女は緩やかな笑みを浮かべて手を引っ込める。
陽介はすぐにそのお茶を両手で大事そうに抱えて、口元にカップを近づけた。
まず香ばしい麦の香りを楽しみながら、一口流し込み味を楽しむ。
すんなりと喉に入ってしまう水とは違い、その深みのある味わい深い彼女の淹れるお茶には疲れも吹っ飛んでしまう。

「あんまり無理しちゃ駄目よ、陽介。顔に疲れが出ているわ。眠い時は無理しなくていいからね。
あの人もああは言ってるけど…普段は来るはずの陽介がこなくて心配になっちゃっただけなのよ。」
「あ、はい。すみません、アイリさん……」

はっとして陽介は自分の頬に手を当ててから、更に腰を低くさせて頭を下げる。
だが、正直その疲れは睡眠不足のほうではなく、貴方の夫と隣に居る同僚のせいであり。…なんてことは口が裂けても言えなかった。
此方への気遣いは勿論、さり気無い夫へのフォローも忘れぬその姿に陽介は思わずへらっとしてしまった。
そんな彼がでれでれとしている合間に目を光らせていた上司である彼女の夫が後でちょっとした嫌がらせをして来るなんて事は予想できるわけが無く。

結局、その日も衛宮探偵事務所は所内だけで和気藹々、軽い喧騒を起こしているのみで本来の仕事なんて十分の一も進まなかった。
この事務所が人気が無い所以は、実はそこにもあったりすると気づくのは、この事務所を経営している夫婦の息子から言われた後であった。

◆でも仕事はちゃんとしますよとアピールはする


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