我が家のサーヴァント達

□お隣には屍が生きている
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ふと、何気なくカレンダーを眺めて、はっとした。
黒いペンで丸く囲ってある明日の数字を眺めて、そういえばお隣さんは生きているだろうかと気になった。
勉強にかまけていてついつい一週間ばかり彼の事を気にするのを忘れていた自分は、参ったな。と肩を竦める。

幾つか家の中から道具を持ち出し、それを手に持ったまま家を出ようとする。
別に戸締りなんてしなくても良いか、と思ったけれどふと以前に姉が「男の子の一人暮らしでも鍵をしないと駄目よ」と言ったのを思い出して、靴箱の中に入れておいた鍵を手に取った。

さっさと自分の部屋の扉を閉め、次にお隣さんの家をこんこんと叩く。
返答はない。しかし、構う事無くドアノブを捻った。
少しだけ押すと扉はいとも容易く開き、自分を迎え入れてくれる。
内心、あの男はまた鍵を閉めるのを忘れたな。とやや呆れつつ、一歩足を踏み入れた。
しんとした寂しい静寂が先に鼓膜を貫き、次に自分の足音がかつんと響く。
恐らくは中に居て眠っているか、あるいは知らんフリをしているだろう存在に向けて名前を呼びかける。
だが、暫くしてもやはり返事はなく、これは寝ているんだなと決め付けて靴を脱いで中に上がりこんだ。

案の定、居間のある部屋に向かうとまるで休日のお父さんみたいにソファの上に寝転がって新聞を広げる切嗣。
机の上には空のビールの缶やら、食べ終わった後のカップ麺やらがそのままになって置いてある。
テレビや漫画などでありがちな如何にもだらしがないおっさんの部屋そのものだ。
絵にかいたような風景に頭が痛くなるけれども、それよりもまず家主に一声かけなくては。

「……ああ、きてたのか。陽介。」

やけに疲れた様な気だるげな声。
彼は今此方の気配に気付いたとでも言いたげに、少し吃驚していた。
しかし、視線は此方に向ける事はなく本日の新聞に釘付けだ。
多分面白い事は乗っていないが、ただ眺めているだけだろう。
この部屋の有り様はいったいなんだ、と彼に問い掛ける。

「ああ?……凄い事になってるな」

ちらとも見ようとしないでその台詞。
あっけらかんと感想を述べる彼に、肩を落とせばいいのか、それとも怒鳴ればいいのか、あるいは同意すればいいのか分からなくなった。
何せどの反応を取ったところで、総て肩透かしを食らうのは目に見えていたからだ。
けれどもこのままじゃいけないだろ、と文句を言うのは忘れない。
平静を装って自分が口にすれば、彼はぐしゃぐしゃと自分の頭を軽くかき回した。

「…明日何とかするよ。」

この明日、と言うのが曲者だ。
何故なら切嗣は、明日と言った事を絶対実行したためしがない。
大抵が「忘れていた」で流しては、また更に「明日何とかするから」と此方に言い聞かせる。
そうして問題を先延ばしにすればするほど、信憑性を失っていく。
結果、自分がせかせかと動いては、周囲を掃除する事になるのだ。
元より、箒や雑巾。掃除機などを持参してきた自分は、心のどこかでこうする事を既に予測して、受け入れていたのだろうとは思うが。
持ってきたばかりの掃除機をごとんと床に置き、埃塗れの地面をぼんやり眺める。
この部屋はまだマシな方だろうが、彼自身の寝室はまるで白い絨毯が掛かったように埃があちらこちらに参列しているんだろう。
考えただけでぞっとするが、過去に二度もそんな光景を目の当たりにしている為、今ではもう特に驚かない。

「今回は部屋の方はいいぞ。」

まるで此方の考えを察したように、気のない声が降りかかる。
どうしてと顔を上げて切嗣に振り返れば、彼はもぞもぞと少し動いて此方に視線を投げた。

「アルトリアがやって行った。」

その一言に、きょとんとしてしまう。
それからすぐに、なんだ。来たのか。とちょっとほっとした。
アルトリアとはこの男が働いていた頃の部下の女性らしく、今でも何かと彼と繋がりがあり、ちょくちょく此処に顔を覗きに来る。
かく言う自分も彼女とは何度か遭遇したことがあり、知り合い、と言うには足りないが、共通の話題を持った顔見知りと言う具合だ。
しかし切嗣は何が気に入らないのか、決して彼女とは口を利こうとはしない。
だが、彼女もそれにめげる事はなく切嗣にぐいぐいと話しかけていくのだ。
その様子は傍から見れば、決して似ても似つかないのに人形に話し掛けている少女の図を彷彿とさせた。
それにしても何故此方の部屋の方までやっていかなかったんだろうか、と疑問に思うがそれはすぐ後の切嗣の言葉で解ける。

「三日前にな」

なるほど。三日もあれば寝るだけにしか使わない自分の部屋ではなく、主に活用する居間をゴミの山に変えるのは彼にとっては簡単な事だ。
本来ならば納得するどころではなく、三日の時点でコレだけのゴミを溜める事を糾弾するのが普通なのだろうが、悲しいかな。すっかり慣れてしまっている今となっては彼の言葉に納得してしまう。
さて、そんな事よりも先ず先に何処から手を付けようかときょろきょろと辺りを眺め見る。
とりあえず部屋の片隅に溜まったペットボトルを回収して、どうしてこうなるのか。と小さく愚痴る。
それが相手に聞えたのか、切嗣はぼさぼさの頭をそのままに此方に振り返った。

「気付いたらなってるんだよ」

掃除が出来ない人の定番文句だ、と思った。
自分はそうして要るもの、要らないものを彼に見せては、袋に詰め。見せては詰めを繰り返す。
その間に、嫌味にも「楽しそうだな」なんて不適に笑う彼に、殺意に近いものが芽生えてついつい灰皿を手に取りかけたが。
彼に素直に付き合っている暇があるなら、手を動かした方が早いため追求せずにせっせと腕を動かしていた。

「なあ、陽介」

幾つかのゴミを放り込んだ後に、切嗣がまたしても声をかけてくる。
相手しないつもりではあったが結局彼になんだと問い掛けてしまうあたり、自分もまだ甘いのだろう。

「お前、学校で好きな子とか出来たか?」

まるで自分の息子の学園生活を気にかけるようなその一言。
他愛のない話に持ち込もうとする彼に、一瞬自分は面食らった。
けれど、すぐ後にきっと彼の退屈を満たす暇つぶしのようなものだろうと確信する。
何せ彼はこういう如何でもいい話をしてそこから此方をおちょくるのが何度もあったから。
特に隠すこともなく、自分は別に。と答えた。

「別にって事はないだろ、隠すなよ。」

死んだ目でじとっと見つめながらへらへらと笑う切嗣。
この人の感情を遠慮しない馴れ馴れしさがお前はまるで親戚のおじさんか、何かかと錯覚し鬱陶しくなってくる。
別に今のこいつは自分と何のつながりもないのに。

「じゃあ廃れた高校生活を送ってるんだな」

しみじみと語り、しかも更に寂しそうな演技をする切嗣にちょっとむっとした。
確かに一般的からすれば地味な高校生活を送っているのかもしれないが、たかが彼女が居ないだけで決め付ける彼もどうかと思う。
大体、そういう自分だって如何なんだ。と、反論する一言が喉から出かけるも、瞬時に彼の周囲に居た女性を思い出して飲み込んだ。
何せ彼には妻はあり、相棒の女性あり。それに今でも、こうして部屋を掃除しに来てくれるアルトリアと言う女性が居るのだ。
なにかと女性と縁がありすぎる彼は、きっと今でもしゃんとすれば簡単に女性を捕まえられる事は出来るだろう。
……なんだか、考えたら悲しくなってきた。と、惨めになりかけた。

「まあ、悲しくなるなよ。その内いい人が現れるから。二十年後か三十年後くらい。」

無言になってしまった此方に切嗣は尚話しかける。
適当な事を言ってのける彼に本当暇なんだな、この人は。と、呆れながらもそれに付き合った。
結局その後も自分が部屋の中をがさがさと自分が掃除する間も、その口は閉じる事はなかった。
流石に掃除機がごおっと轟音を響かせた際には、封じられたが。
掃除が捗る事はなかったものの、けれども会話をしているだけで気分だけは少々和んだ。

まあこれでいいかな、と適当なあたりで切り上げるとお疲れ、とソファの上の彼が手を振る。
下手に動いて掃除を中断させられるのも不満ではあるが、逆にああして自分の事なのに人にやるだけやらせて偉そうにしているのも少々もやもやするのはどういうことか。なにはともあれ、漸く室内がすっきりしたのは良いことだ。
いつの間にか空けておいた部屋の窓を閉める自分の背後で、彼は自分の部屋なのにどこか落ち着かない様子で居るようだった。

「こう綺麗にされると逆に何処に何があるかわからなくなりそうだな。」

じゃあお前がやれ。
もしも近場にハリセンか何かがあったら本気でそう言って殴りたい気持ちに駆られた。

それはそれとして、今は何時だろうと彼の部屋のやや埃っぽい時計に目を向ける。長い針は短い針と重なって12の字を示している。
体内感覚的には然程時間が経過していない気がしていたのだが、こうして目の当たりにするともうこんな時間かと仰天する。

「よし、じゃあお前の家に行くか。」

そう言うと切嗣はぴくりとも動かなかったソファから上体を持ち上げて、ぐーっと伸びをする。
欠伸を一つ溢した後に彼はすたすたと廊下に歩いていく。
どうも、以前にこの部屋を掃除する際に彼が邪魔で一度うちに招きよせ、ご飯を食べさせた経緯から、何故か必ず食事の時は決まって自分の家に集まる事になってしまったらしいのだ。
別にこれだけ綺麗になったのだから此処でご飯を食べてもいいのに、と去り行く彼の背中を見た。
けれど、それを行ったところで聞かないだろう彼の事を思い、遅れて後を追っていく。
ふと、目の端に机の上に置いてあった写真立てが光に反射して輝いたような気がした。

とはいえ、自分は掃除はそれなりにやる事はやるが、料理は得意ではない。
だから大抵切嗣と二人で店屋物で済ますのが多いのだが、流石に今回は一週間も彼を捨て置いたのもあり、栄養面も気になって自炊する事にした。だが家の中に知り合いの神父から送ってこられた麻婆豆腐があり、それを見た途端彼はコンビニに行く、と言って家から立ち去ろうとする。
結果として、まだあまっているパスタで、適当なスパゲティでも作ってやると彼に言い聞かせて部屋の中に押し込む事に成功した。
つくづく面倒な男だと疲れつつ、けれどもあの神父と仲が悪いのは知っているため言及を避けた。
さて、スパゲティと言ってもちゃんと材料はあるだろうか、と冷蔵庫の中身を確認しようとする。
すると、ふと此方に背を向けて、棚の上に置いてあるカレンダーに目を向けている彼に視線を移した。

「覚えてたのか」

ぽつりと呟く切嗣に、自分は少し間を置いてから当然と返した。
だって、それは自分の姉にとって特別な日なのだから。
後者は口にせず、切嗣は此方の短い前者の返事にくすりと笑ったようだった。

「…ああ。明日はアイリの命日だもんな。」

すると彼の口からは自分の姉の名前がさらりと飛び出す。
それをどのような顔で語っていたのかは、背を向けていたため分からない。
声音もなんでもない事を普通に語るようで一切乱れが見られない。
けれども、その背中に哀愁が漂っていたのは確かだった。
ふと居た堪れない気持ちになって自分は、はたと鍵の事を思い出した。
話を逸らす為にきちんと鍵を閉めておけよ。と無用心さを軽く責める。
だが、自分ですら姉の言う事を守っているのに、旦那のこいつがいう事を聞かないなんて少し腹が据えかねる部分もあった。
切嗣はそれに気付いたように、ああ。とまた頼りなく溢した。

「ああして開けておけば、いつか『駄目でしょ』なんて怒って帰ってくる気がしてさ。」

誰が、とは言わずとも分かる。
切嗣の背中から微かな笑い声が聞えた気がした。

◆ただいまを待ってる

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