夢幻時間

□理解出来得ぬ違いの仲
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さよならと言って去る娘が居た。
その娘にお気に入りのリボンを渡す姉が居た。
姉は涙を堪えて妹を送り出した。
妹は涙を堪えて姉の手を離れた。

それを横で眺めながら、少女はひとり動く事も出来ず唇を噛み締めてその場にただ立ち尽くしていた。
幼い姉の心に届くはずも無い、上辺だけの「大丈夫」という言葉をかけて。

思えばあの時、自分がもっと何か行動を起こしていれば幼い姉妹達が引き裂かれることはなかったのではないか。
しかしそうして悔やんだ所で今が何一つ変わる訳でもなく、無常にも聖杯戦争の火蓋が切られたのみだった。

「白野、君に頼みがあるんだが、」
「なにかしら兄様。私は今、英雄王を手懐けるのに梃子摺っていて大変なの。
用件があるなら手短にしてください。」

聖杯戦争の為にと無理矢理英霊と繋がされた令呪を見て、その横暴王を脳裏に描き、時臣の妹、白野はベッドに座り込んで溜息を吐いた。
時臣は椅子に座りながら、苦笑して妹を見た。

「君はこの戦争が始まってから、いやに私に突っかかるようになったな。」
「そんなまさか。」
「或いは避けているとも言える。王に感けているとは言えど、不自然すぎるといっても過言ではないほどに。」
「寂しいのですか、兄様?」

時臣は僅かに視線を鋭くさせた。
白野はくっと喉で自嘲する。

「そんな事は無いでしょうね。貴方はいつも常に頭の中は魔術の事だけでしょうから。」
「……白野。」
「貴方にとってはあらゆる人なんて、どうせゴミ屑にしか過ぎないのでしょう。」
「…君は、何が言いたいんだ。」

とことんまでに思いあぐねたように、時臣は険しい顔で妹を見た。
白野は、冷ややかな気持ちを胸に抱きつつも、彼への憤怒を溜める。
何が言いたいか?そんなの一つしかないに決まってる。
彼が自分の娘を容易く手放した事について、散々と述べたいことがあった。

「そんな薄情な貴方だから、やすやすと娘も手放せたのね。」

胸に溜まった鬱憤がその言葉を無理矢理吐かせた。

だが時臣はいつになく酷く驚愕したように彼女を見て、顔色を変えた。
僅かにワインを持つ手が小刻みに揺れて、ゆっくりとそれを机に置く。
ふうと息を一つ吐いて、時臣はゆっくりと妹を流し見た。

「君に何が分かる。魔術の家系でもない、魔術師としての才能も一つもない、親から捨てられ無力なみずぼらしい孤児として遠坂に引き取られた君が。」

その彼の声はいつになく冷たく自分を射抜き、そして突き放した。

……そうだ。
自分はその通り、この家に引き取られた、遠坂の家系でもなんでもないただの捨てられた孤児だ。
本来の親なんて少しも顔を覚えていないし、この家が自分の本来の家だと思っている。
けれども親の元を離れていく辛さは、やはり今でも拭い去れるようなものではなかった。
だから桜を見るのはとても辛くて、過去の自分を彷彿させて胸が張り裂けそうになった。
勿論自分と重ねる事は彼女にとっても失礼であり、実にくだらない感傷だとはわかっていた。
けれどもどうしても、発端を引き起こした時臣には心が頑なになって許せることが出来なかった。
幼い頃から懐いていた、大好きな兄だったと言うのに。

自己の世界に陥っていれば、がたん。という音によって現実へと引き戻される。
時臣はゆっくりと立ち上がり、真っ直ぐにこちらへと早足で歩いてきた。

「兄さ、」
「時臣だ。」

低く囁く彼の声に、ぞくりと背筋を振るわせた。
その声色は初めて聞く兄の声であり、また兄ではない他の誰かの声だったからだ。
白野は自然と青褪め、思わず俯きそうになる。
しかし、そうする事は既に自分を捕らえた時臣が許さなかった。

「とき、おみ……さん」
「いい子だ。」

目の前の影にたどたどしいながらにそう口にすれば額に口付けを一つ落とされる。
だが決してそれは温もりのあるものではなかった。
それを理解して尚の事、白野は表情を暗く、固くさせる。
時臣はその彼女の顔色の変化を楽しむと、強引にその肩を押してベッドへと彼女を縫いとめる。
重みを感知したベッドがぎしりと軋んで、軽く振動した。

「ま、待って…なにを、」

さっと青褪めた彼女はか細い両腕で彼の胸を押しやる。
しかしどれほど抵抗した所で男の腕力に敵う訳はなく、無意味に終わる。

「そんなに私が嫌いか、白野。
そのような残酷な言葉を吐いてぶつけたくなるほどに。」

自分の上に覆いかぶさるその男が、兄だと思えずに白野はぞっと恐怖を覚える。
僅かに身体が震えるも、奥歯を噛み締め気付かぬ振りをした。

「君は、私が本当にただ無慈悲にも桜を切り捨てただと思っているのか。」
「……そ、れは。」
「君の事を、君の思いを良く知っているこの私が。」

時臣が白野の肩をやや強めに掴むと、白野は僅かな痛みに顔を歪める。
それにより、更に彼女の中の時臣への不信感は深まり、遂に声を震わせた。

「…君は所詮妹と言う皮を被ったただの他人だ。
肉親のように阿吽の呼吸で理解できる事は数少ないだろう。
けれども、長年共に過ごしているのだから僅かでも、たった少しでも察しくらいはして欲しかった。」

君には特に。
そう時臣が言う言葉にはっとして、彼女は我に返る。

「何故、他でもない…誰よりも理解して欲しいはずの君がそれを、私に言うんだ……!」

溢れ出る胸の思いをせき止めることはなく、時臣はその優美で冷静な顔を醜く歪めた。
いつになく感情的になっている時臣に白野はつい言葉をなくした。
…そうだ。よく考えなくてもわかる事だった。
父親であるはずの彼が、血を分けた娘を心の底から手放したいなどと思っている事なんて無いはずなのに。
彼の魔術師としての苦悩を、父親としての葛藤を知らずに、そればかりか自分はそれを容易く踏み砕くような事を口走った。
それがどれだけ愚かな事だったのか理解し、白野は胸を痛めた。

「……ごめん、なさい…。」

今更実感しても、心から彼に謝っても遅い。
けれどもやはりそれだけは口にしない訳にはいかずに、目を伏せながら白野は唇を噛み締めて謝罪をする。
改めて自分が彼にとっては言ってはいけない言葉を放ってしまったのだと痛いくらいに実感した。

「白野、」

哀れむように自分の名前を呼び、時臣が頬を軽く撫でる。
そしてまるで懇願するように彼女の首筋に手を滑り込ませた。

「私の熱を静めてくれ。」

軽く眉を顰める時臣。
髪の間から彼を覗き見て、白野はごくりと唾を飲み込む。
そして身体の力を静かに抜いて今度は抵抗する事はなく、彼女は受け入れるように瞼を伏せた。

◆冷静と情熱の鬩ぎあい

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