夢幻時間

□不安の霧は安堵の風に
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妹は昔から兄の事が心配だった。
自己主張のあまり得意ではない彼女は、常に兄が自分の尊敬すべき人で、常に兄が自分のお手本となるべき人物。
そんな彼がよもや名誉も何も切り捨て、聖杯戦争などに赴くと聞いたものだから妹は酷く驚いた。
兄にそんな事が勤まるわけはないと思った訳ではなく、兄が危ない道に足を踏み入れようとしていた事にだ。

だから妹は即座に兄の背中を追った。
今まで幾度も彼の後にぴったりと付いて廻っていたのだ、今更彼から離れることは出来なかった。
兄が令呪をその腕に宿した時も、彼女には一切とて喜びを感じる事がなかった。
一歩一歩と聖杯戦争の開幕に近づくに連れて、彼女の心は不安と恐怖に蝕まれていくばかりで。
彼がそのサーヴァントを呼び寄せる瞬間には、既に彼女の中の警戒心も頂点に達していた。

けれども、従者である彼がこの世界に召喚されたその瞬間には、彼女の中の負の感情は一瞬の内に消え失せてしまっていた。
何故ならば、その姿を目で確認するなり、その大柄な男に酷く安堵感を覚えてしまったからだ。
僅か数刻の内に総ての薄暗い感情を、まるで魔法のように気軽なものに変換させてしまったその男を、彼女が認めるのは間もなかった。

「問おう、貴様が余を招きしマスターか。」
「………。 ……へ?」
「だから訊いておろうが。貴様、余のマスターで相違ないのだな?」
「……ち、」
「ん?」
「ちがい、ます……です。」

しかし、自分と本来の主である兄の事を彼が間違えたのは流石に想定できなかったが。

白野の思い通り彼は確かに頼もしい存在だった。
時折ウェイバーの頭を悩ませるような珍事や、可愛らしい部分を取ったりする事はあるが、けれどもそんなのは瑣末な事。

「全く一寸した事をくどくどと喧しい小僧だなぁ、なあ白野?」
「は、はあ。」
「ちょっとじゃないんだよちょっとじゃ!お前にとっちゃちっぽけかもしれないけどな、」
「また喧しいのが始まった。」
「あはは…」

豪快な彼はいつでも繊細な兄とは衝突し、けれども決して兄の事を陥れたりだの、兄の事を心から嫌ったりなどはしない。
最初の内ははらはらとはしたものの、きちんと兄の事を見て、それゆえに兄を認めてくれている彼に彼女はいつもほっとした。
けれどもそれのみならず、彼はいつも白野の事まで気にかけてくれて、きちんと彼女自身も余す事無く見てくれていた。
だから彼女も直ぐに彼に懐いてしまった。

「白野ッ!!そいつの悪影響を受けるなって!ほら、お前はこっちに来い!」
「なんだ寂しいのか小僧。
よいよい、兄が妹の事を思うのは何よりだ。
しかし…ちと妹に対して寛容にならねばならんの。そんな事ではいざ白野に男の影が現れた時には逆に貴様が笑われ、」
「関係ないだろそんな事は!僕はそんな事言ってんじゃないしっ。
っていうかこいつはまだ僕に付きっ切りだからいいんだよ!勝手な妄想作ってんな!!」
「け、喧嘩しないでくださーい…。」

…だが、彼女としてはちょっと困るのは、この王様が履物を召してくれないという事だった。

「あ、あの。ところで王様…その。目のやり場に、困ります。」

ふと今の状況を思い出した妹は、ちらと彼の方を見て、相変わらずに女性としては恥らう問題を抱えた彼に軽く恥らう。
たどたどしく白野がそう告げるとライダーはきょとんと目を丸くして、仕方なさ気にその場にどすんと腰を落とした。
そして彼女から背を向けて、首のみを振り返らせる。

「どうだ、これでまだましであろう?」

にっと口元に笑みを浮かべる彼に、ウェイバーは絶句して、妹は目をぱちくりさせた。

「いや良くないっつーの!穿けっつーの!!!
つーか人の妹に変なもん見せてくれるなよッ、お前は男として恥じらいがないのか!」
「何を言う坊主。恥じらいとは男ではなく女が持ってこそ光るべき物だ。ゆえに、余が恥らった所でなんの得も、」
「なんの話してんだよ!」

すぐさまかっとなったウェイバーががなるも、彼は豪快な笑い声で掻き消した。
唯一ぽかんとしていた妹はくすりと笑って口元を押さえた。

「…何笑ってんだよ、白野。」
「ごめんなさい。だってなんだか二人が楽しそうで…」
「楽しい!?どこが?!僕は今血管が切れそうで危ないんだけどッ。」
「ほほう、白野の方が分かっているではないか。坊主が如何に愉快な振る舞いをして余と戯れているかと、」
「お前マジ黙ってろ!」

二人は妹について行けぬほどの速さで言い争いをしていたが、やがて付き合いきれなくなったのか、ウェイバーの方が先に争いから離脱した。
肩を怒らせてずんずんと扉から出て行く。

「あの、」

兄さん。と白野が彼の名を呼べば、気付いたウェイバーが少々顔色を変えた。

「あ、ああ。ちょっと喉が渇いたから何か飲んでくるだけ。」
「叫びすぎだ叫びすぎ。」
「黙れ叫ばせてる元凶!!…お前も何か飲むか?」

鬼のような形相をしていた彼は妹の顔を見るなり、ぱっと表情を揺らがせて、苦笑を浮かべた。
きちんと気遣いの心を向けてきた兄にほっとしながら、妹はぶんぶんと首を左右に振る。
大丈夫、ときちんと告げれば、ウェイバーはそうか。と告げて部屋から出て行った。
扉の奥からは暫く彼の足音が聞こえていたが、やがてそれが聞こえなくなり、白野は如何しようか悩む。
先程のウェイバーの事などまるで意に介した様子も、ましてや不機嫌になっている様子も無く、すっかりとテレビにのめり込んでいる王様。
其方の方をちらと見て、妹は一歩引いた場所から彼に声をかけた。

「ねえ、王様。」
「ん、なんだ?白野よ。」

テレビの音量に掻き消されて、聞き逃してしまいそうなほどに小さな自分の声に間髪入れずにライダーは返す。
内心で白野はぎょっとして、けれども怯む事無く、やや大きめな声で彼へと放った。

「…兄さんの事、宜しくね。」

すると、彼は振り返りながら、にかっと眩しい笑みを浮かべ、此方に向けて親指を立てた。
そんなライダーの姿にほっとしつつ、白野は胸を高鳴らせた。

◆穏やかなときが愛おしい

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