夢幻 時間

□我が家の朝は忙しない
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姉の頬にご飯粒が付いているのに気づいたのは、不意に姉に振り返ったときの事だ。
まだ寝起きゆえにぼんやりとする頭で彼女の横顔をじっと見ていたら、唇についている一粒のご飯に気が付いた。
自分同じくまだどこかぼんやりと寝惚けている姉は、恐らく逸れに気づいていないのだろう。ただもくもくとご飯に手をつけていた。

なんとなく一瞬、冠葉だったら見せてみろよ、とか女性の顎を掴んで自分の方に向かせてご飯粒を取り、軽く口付けた後「大丈夫、綺麗な顔だよ」とか臭い事を言うんだろうな。等と思って寒気がした。
そのせいでふと冠葉に視線を向ければ、なにやら彼はじっと姉の方を意味深に見つめて、黙り込んでいる。
晶馬と姉が離していて、自分の方に向かないせいだろうか。

…それともよもや、先程自分が考えたような事を一瞬でも彼も思いついたとでも言うのか?

いやいや、流石にそれはない。と言うかまずあってほしくないし、あっても困る。
対応に困る。見ているほうが。

覚えた一抹の不安を取り除くかのように自分が首を軽く左右に振れば、なにやら今度は晶馬が意味深に姉の顔をじっと見ている。

…おい、まさか晶馬まで変な事考えてないだろうな。

と、一瞬よもやと苦笑する。
流石に兄二人が揃って可笑しな事を姉に対して考えるという事はないだろう。
それはないだろうと、自分で自分の考えに失笑してみせた。
だが、二人はふと視線を合わせると互いに何かに気付いたかのように、はっとして険しい顔へと変貌しだした。

「……」
「……」

…いや、待てよ。何お前ら。
そのなんていうか、お前も気付いたか弟よ。兄よお前も気付いたか。だがあれは渡さんぞ。いいや俺のものだ。とか言う変な視線は。
ある意味での二人の世界が一瞬で作り上げられた事を自分は奇しくも察してしまった。

いやでも、これは流石に自分も寝起きゆえに、頭が上手く覚醒していないのもあるのだろう。
それにこんなくだらない事をいつまで考えてご飯を食べていても、食べた気がしない。

こうなったら自分が言うか?それがやっぱり手っ取り早いか?
そう考えてふと姉に声をかけようとした。

「あ、白野ちゃん。口にご飯粒付いてるよ。」
「え…あ、嘘。ごめん、気付かなかった。」
「ふふ、白野ちゃんってば。」

途端に、気付いた陽毬が机から身を乗り出して姉の唇についているご飯粒を取る。
そして自身の指先に付いたご飯粒をぱくりと指ごと口へ運んだ。

「あ」
「あ」

それを見ていた兄達は同時にぽかんと口を開き、兄同じく自分もきょとんと目を丸くしてしまう。
視線に気付いた陽毬も驚いて、軽く首を傾げた。

「あれ、お兄ちゃん達気づいてたの?もう、駄目じゃない。だったら教えてあげないと。」
「そうなのかい?」
「あ…。…ええ、と、いや、その。」
「べ、別に。全然?」

半開きの目を指で擦って姉が二人を見つめる。
すると兄達二人はハッとした様子で口をパクパクとさせて、互いに反対方向へと眼を逸らした。
その表情は何処かぎこちなく、冠葉なんて笑みを浮かべているのに全く笑いになっちゃ居ない。
おかげで姉と陽毬は顔を見合わせて、互いに首を傾げていた。

……こいつら。

なんとなくそんな兄達に哀れみを持ちつつ、これで普通に食事に専念できる事にホッとして、自分は再び箸を進める。
そうすると、あ。と今度は何かに気付いたらしい姉が目をパッチリとさせて冠葉を見た。

え、なんだ。まさか、冠葉も何かついているのか。と一瞬それにどきりとする。
けれども兄の顔を見ても何処かに何かついている様子はなく、兄自身も驚いているようだった。

「な、なんだよ。」
「いや、お前寝癖…ほら、てっぺん。」

そう言って姉は兄の頭部を指差して、なにやら寝癖がある方向へと指を差した。
ふと何気なく自分も冠葉を観察してみれば確かに頭部に寝癖が若干付いていて、ぴょんとアホ毛の様に、あるいは妖怪アンテナのように彼の赤みがかった毛が跳ね上がっていた。

「え、マジかよ…」

どうやら彼は今それに気づいたらしく、何処だと手探りで自分の頭を探ろうとする。
すると姉が、ああ。そこじゃなくて。と先程の陽毬のように身を乗り出して、ぽんぽんと冠葉の頭部を撫でるように髪を解した。

「あ、」

その姉の行動を見て、晶馬が再度口をぽかんと開く。
ぎょっとした様相で彼女を見つめる彼は、何処か不満気。
変わりに突然の事に驚く冠葉は、ぽろっとその手から箸を落とした。

「かんちゃん、お箸落としたよっ。」

吃驚する陽毬の声にも気付かぬのか、けれども冠葉はただ目を何処かへと向けて固まっている。
お碗を持っている手は無事なようではあるが……小刻みに震えているのがなんだか不安だ。
けれども自分が気をもむ御碗が床に落ちる前に、姉がぱっと兄から離れて自分の隣へと戻った。

「ん、よし。」

晴れ晴れとしたその笑顔は先程までのぼーっとした間抜け面とは違い達成感に満ちている。
そして、自分の食べていた目の前の食器を集めて、両手を合わせて「ごちそうさまでした」と丁寧に頭を下げた。

「それじゃ私そろそろ行くよ。陽毬、今日もご飯美味しかった。ありがと。」

早口でそう言って立ち上がると、姉は食器を台所へと持って行き、此方に振り返り軽く手を振る。
先にそれに反応した陽毬はぱっと微笑んで彼女に手を振り、自分は何も言わずに頭のみを下げた。
兄達二人は如何なのだろうと思うと、晶馬の方はなにやら膨れっ面で冠葉を見ていたが、姉が去ってしまう事を知ると慌てて彼女に手を振った。

最後まで姉の去っていく時に手を振らなかったのはやはり冠葉のみ。
けれども今回は、なんとなく振りたくても触れなかったように思えた。
何故ならば、姉が去って行った後も兄は暫し固まったままで、結局玄関から姉の出て行く足音が聞こえるまで動きもしなかったからだ。

自分が気になっていた茶碗を机にやや乱暴に置いて、兄は軽く前髪のみを掻き毟る。

「……不意打ち過ぎだろ……」

そんな彼の呻き声に近い嘆きが聞こえたのは、多分気のせいだと思う。

◆うちの兄達は何処かおかしい。


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