夢幻 時間

□遠く、深く、根強く
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彼の主の傍には必ず誰かが存在する。
それは彼であり、彼ではない彼の知る誰かであり、彼も知らない誰かでもあった。
あらゆる、という人々ではないが、確かに誰かしらに好意を持たれる彼女はなにかと従者の悩みの種の一つでもあった。

誰にも愛される主と言うのは従者にとっては名誉でもある。
その為誇れこそすれど、決してそれを厭う事は従者としてはあってはならない事だった。

けれども彼は、そのあってはならない事を知りつつも、その様な気持ちを抱いてしまった。

彼女の親でもないくせに、勝手に危惧しては勝手に選り好みをしだす。
更にその相手が彼女に相応しくない者については勿論、相応しければ相応しい相手ほどに、苛立ちが治まらないのだ。
例えば彼女に似合わぬくらいに血に塗れ、人を人とも思わないもの。
例えば彼女を横暴に扱い、それゆえに我が物のように自由に出来るもの。
例えば彼女を自らの欲望の破棄どころとして扱い弄ぶもの。
例えば心優しく、自分よりも他人を大切に思う穢れのないもの。
例えば、例えば、例えば……

彼女の隣に経つものが居る度に、じわりじわりと蝕んでいく何か。
認めたくはないのに、認めろと確かにその何かは彼を呼ぶ。
いい加減、ランサーは気付かなければならない眼前の問題に目を向けた。

「(…嫉妬とはこんなに重く腹立たしいものだったか…?)」

認めたくはないが、確かに自分は嫉妬しているのだろうとやっと偽りを被った自分をかなぐり捨てて受け入れる。
けれど今までの自分では感じ得なかった汚い感情にも久方ぶりに気づいて、心なしか全身が重くなるような錯覚に陥った。
確かに当時も似た気持ちを抱いたことはあったが、けれども此処まで深く黒いものだったろうかと、久し振りの焦がれる恋慕に自問自答して考える。

自分の醜さについては今まで幾らだって対面して理解していたものだから、それに気づいても自信に失望する事はなにもない。

けれどもこうして改めて自らの感情と向き合うと、溢れ出る黒い欲望に押し潰されて今にも自分が壊れそうな気持ちに恐れる。
生前、誰かを愛おしいと思う感情を味わったことも、逸れによる苦しみを味わった事もきちんとある。
あるのだが、心が壊れるような恋情を味わったのは多分この時が初めてだろう、とランサーは自らの恐怖の理由を理解した。

我を忘れるほどの好意と言うものはこういうもので、自分の魅了の毒牙に掛かった人々もこのような思いを味わったのだろうかと苦悩する。
そう思えば忽ち自分の魅了が下手な呪いよりも酷く性質の悪いように思えて、今更自責の念に追いやられた。

「(自分の立場に立ってみて、初めて分かるとは愚かな…)」

胸の中にぐるぐると渦巻いて鉛のように溜まった思いを溜息として吐き出して、ランサーは軽く深呼吸をした。
さり気無く視線を横に逸らせば、直ぐそこには彼の主の姿がある。
屈託なく、普通の童女のように笑うその姿に、彼の鼓動は跳ね上がった。
その想いが何なのか受け入れた今となっては心地よく感じる音色。

けれども彼女の隣に居る人物を思えば、直ぐ後に襲ってくるのは沈む気持ち。

自分がいつまでも彼女の隣に立てないのは分かっている。
過去と現在を生きるものの間は非常に深く広く、遠い。
過去は現在には留まれないし、現在は過去には戻れない。
分かっているからこそいつか別れる身でありながら、彼女に思いを告げることも必要以上の愛情を剥き出しにする事も出来なかった。
万が一、自分が彼女に何かを告げて、万が一此方を向いてくれることがあったとしても彼女に主従以上の期待を持たせて、淡い感情で後に傷つけたくはないと思った。

だからこそこれ以上何も言わない。これ以上は自分の中に仕舞う。そう堪えたはずなのに。
一度認めて枷を外せば堪えようはもうなかった。

手に入れたいと、せめて隣に立ちたいと、
共の時代を行きたかったと願う心が芽生えてしまう。
悔しくも、それは叶う事はないのに。
一瞬、聖杯に願えば或いは、と思う考えが湧く。けれどもそれは直ぐに却下された。
主に忠誠を誓うことだけを志す今ではそれは決しては叶えてはいけない夢。
自分はただ、彼女にのみ聖杯を差し出すだけ。
主の意を無視した欲望を押し通す事は二度はならない。
その為に自分は此処に居る。

「(ならば、せめて、)」

どうせ伝わらぬ思いならば、伝わっても消える定めならば。
この位は許してもらえるだろう、と眠る彼女の髪にそっと口付けを落とした。
唇を離して、ランサーは聞こえないように静かに囁く。

「愛している、我が主よ。…心から、」

それは敬愛であり、友愛であり、人間愛であり、…情愛でもある。

◆それは盲愛とも呼べる

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