□死しか見えない数分間
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「………はあ。」

重い溜息が部屋を支配する。
普段冷静沈着であるはず両儀式は、どうにも苛々としては時折目尻を吊り上げて唇を尖らせたり、この家の家主、白野の机の上にまばらに置いてある本を眺めては軽く投げ戻すといった落ち着かない奇行に走っていた。
だがそれ以上に落ち着かないのは、それを黙って眺めるだけのサーヴァント、ランサーは重苦しい空気を一身に受けながら、じっと堪えていた。

本来の彼の主であり、この家に住まう女性である白野は、式を連れて来てから僅か経ってお茶菓子がない事に気付き、買ってくるといって、一旦この場から離れてしまっていた。
本来であればその程度の事、従者であるランサーが行おうと思っていた彼は、白野の代わりに出て行こうとしたのだが「ちょっとだから大丈夫。待ってて」と言われて足早に去られてしまい、止むを得なく此処で待つ事になってしまった。
まあ、数分くらいの出来事だろうし。此処からスーパーは近いはずだ。

しかし、そう甘い考えを持ったことが間違いだったと気付くのは役数分後。

白野が居なくなってからの式は落ち着きなく何処かしらを歩き回っていた。
しかし、何故かランサーが今立ち止まっている位置には決して近づこうとはせずに、その場所から遠い位置に居た。

それだけがランサーにとっては救いであったものの、同時に酷く不気味でもあった。

式と彼は所謂犬猿の中と呼ばれるものだ。
式は白野に付きっ切りの彼の存在を快く思っていないし、ランサーも彼女を苦手としている。
とは言っても彼らは直接会話を交わしたことはないし、まず交わす前に彼女の前にその姿を現したことすらない。
何故ならば、最初に霊体化して彼女と出会った瞬間に、意識的にランサーは彼女を危険視してしまったからだ。
彼女の目から感じた直接的な死の恐怖。
たかが主と年端も変わらぬ女性だというのに、何故か彼女であれば一瞬で自分を跡形もなく塵に出来ると、感じ取ってしまったのだ。

根拠などはないのに。
最初の時点ではランサーはその考えを振り払っては馬鹿馬鹿しいと結論付けていた。
しかし、彼女と霊体化してすれ違うたびに感じる確かなその瞳からの「死」の予感に、ぞくりと背筋が怖気立ち、否応なしにその視の予感に体が恐怖するように学習してしまったのだ。

後から彼女の目の話を聞いて、よりいっそうランサーは彼女に近づく事を警戒した。
少なくとも聖杯戦争を終わらせるまでは、断じて消えるわけには行かない。
その為、ランサーはそれからと言うもの身の危険を感じて、ランサー自身が断じて彼女の前で実体化するのを拒んでいたのだ。
尤もそれで彼女に対する抵抗になっているか否かは、…正直曖昧な部分だった。

ぴりぴりと感じ得る彼女の苛立ち、そして淀んだ空気。
彼女が此処を離れてまだ五分とも経っていないと言うのに、ランサーはもう既に耐え切れない窮地に立たされていた。

やがて、式がぴたりと足を止めた。
式はつかつかと足音をさせながら、どっかりとソファに腰を下ろした。

ふう、と大きく式が吐息を吐き出す。
すると、何を思ったか式が愛用のナイフを取り出し始めた。
ランサーはそれを目にした瞬間、ぎくりとして僅かに身体を強張らせる。
それは自信の意思とは関係のない反応で、ランサー自身も自然に体が緊張したことに驚いた。
閉じられていた式の瞳がゆっくりと見開かれて、誰も居ない席を眺めていた視線が静かにその斜めへと移動する。
その視線の行く先がランサーの居る場所に到達して、彼の顔の辺りに視線を向けるとやがて止まった。

……暫しの沈黙。
二人の眼は完全に相手を映していて、同時にどちらも離す気配を見せなかった。
否、離せなかった。少なくともランサーは。
彼女の目力の威圧があまりに強すぎたもので、もしそれから少しでも逸れようとすればものの例えなく確実に射殺されると本能で察したからだ。
式は真顔で彼を見つめ続けていたが、次第にその目の色を変える。
彼女の白い指先がナイフを閉じている鞘にかかり、静かにそれを取り払う。
ランサーの瞳にはきらりと銀色に妖しく光る刃の一部分が映った。

「なに見てるんだい式?そっちになんか置いてあったっけ。」
「………。……別に。」

直後に、のびやかな声が式の背中に降りかかり、彼女は眼を瞬かせて我に返った。
白野の部屋で珈琲を淹れてきた幹也が彼女に手渡すと、気付いた式が直ぐに彼に目を向ける。
そういえば、彼も白野が居なくなった直後に入れ替わりにこの家に来ていたんだっけ。とランサーはやっと彼の存在を思い出してほっと息を吐く。
先程まで見ていた部分から興味をなくしたように、式の目線は幹也のみに釘付けになった。
さり気無く式は持っていたナイフを鞘に戻す。そしてそれを膝の上に音もなく置いた。

それを眺めていたランサーはほっとして肩の力を抜いた。
額の汗を拭いながらどっと疲れた気がして、ランサーはふうと息を吐いた。
別に霊体化しているんだから、見えるわけは無いのに。と、自分を嘲笑いつつも、彼女の魔眼の事を思えば容易に笑い飛ばすことは出来なかった。
もしかしたら、見えているのではないかと自覚するのが恐ろしくて。

式は幹也を眺めていると、やがて何かの違和感に気付いたらしく軽く目を見開いた。

「…幹也。あのさあ、」
「うん?」

ふーふーと珈琲の湯気を吹き散らしながら、式が幹也に声をかける。
幹也は誰も居ない席に珈琲を置いて、自分の前にも珈琲を置く。

「お前は何をしてるんだ?」
「え?…なにって、珈琲淹れてたけど今まで。」

じろりと彼をねめつけるような式の視線に、幹也は怯む事はなく目を丸くして素直に告げた。
それを聞いた式はやや機嫌を悪くして眉間の皺を濃くさせる。
とんとん、と指先で机を叩いた式は「だから」と自身の前の席を眺めた。

「そっちに誰も居ないのに、何でお前は珈琲を置いた。
そして、何故一人分多い珈琲を淹れてるんだ?」
「え?」

その発言に、驚いたのは幹也だけではなくランサー。
ランサーは視線を式から幹也に向けて、信じられないと口を半開きに開いた。
しかし、幹也のその驚きを見るにいたって、どうやら彼は無意識のうちでやっていたらしいと気付く。
益々ランサーは彼を不思議に思った。

「あれ…おかしいな。僕二人分淹れた筈だったのに……。あ、橙子さ…ん、はいないよな。
勿論、鮮花も居ないはずだし、白野も出て行ったばかりなのに……」

きょとんとした幹也が自分自身ですら分からずに不思議そうにする度に、何故か更に険しくなっていく式の顔。
同時に、彼女の威圧感がより強く増した。
彼女が対面しているのは幹也のはずなのに、彼と同じくらいにランサーも怯えて、幹也は苦笑して目を泳がせる。

「い、いやなんか…その、さ。どうも一人分要る様な気配がしたんだよね、今この部屋の中に。」

そう幹也が頭を掻いて首を傾げた次の瞬間、ランサーは固まった。
同時に式はぽかんと目を丸くして幹也を凝視する。
腕を固めた体制のままランサーが拭いたはずの頬の冷や汗を再度流す。
その場には沈黙が降り立って、幹也は何かまずい事を言っただろうかと顔を引きつらせた。
やがて、式の視線がゆっくりとランサーの居る場所へと目を向ける。
再度、ランサーは背筋を伸ばしてしゃんとして見せた。
ふっと式は口元に笑みを作って静かにソファの背凭れに背を預けた。

「ああ、そうだな。“い”るかもしれないな、もう一人。」
「え、」

意味深にそう零した式に、今度は幹也が驚く番だった。
何のことだと問おうとする前に、式が幹也に笑顔を向ける。

「幹也、俺お前って時々凄いんじゃないかって思う。」
「そ、そうかな…あ。そういえばそれ前にも白野に言われたよ。」

彼女の笑顔に心臓が少し跳ね上がった幹也は、頬を紅潮させると素直に照れた。
だがしかしそんな幹也を眼中におかず、再び彼女の視線はランサーの方、否。ランサーへとはっきりと向けられていた。
再びランサーは心臓が鷲掴みにされたような感覚に襲われる。

「本当、凄いよ幹也は。
お前が気付いてくれたおかげで、よりいっそう目障りになっちまった。」

式は、にっと笑みを浮かべた。
それは寸前で幹也に向けた笑みとなんら変わりなかったが、明らかに目が笑っていなかった。
冷ややかな刺すようなその瞳。
さり気無く式の手は、膝上のナイフを撫でていた。

…早く主に帰って来て欲しい。
従者ともあろう物が、心の底から主に助けを求めたのは恐らくはこの時が初めてだっただろう。

◆ぺるぷみーマイマスター

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