□黄昏電車で微睡んで
1ページ/1ページ


がたん、ごとん、と電車が走る。
音につられて俺も揺れる。
ふと眼を開けて、意識を持つと、そこは見慣れぬ電車の中だった。

自分は主にバスしか使った事がない為、電車とはあまり縁がないはずだった。
第一、電車と言うのはあまり好きじゃない。
そんな自分が如何してこんな所に居るのか。
そもそもいつから俺は此処に居たんだろうか。
…考えてもわからない。どうせ、終点になれば停車するのだろうし、それまで寝ていても構わない。
どうせ帰っても待つ人なんていないし。そう思って再度瞼を閉じようとする。
だが、ふと前方を歩いて行った一人の黒い髪の少女に目を奪われ、途中で止まった。
振り返る事無く何処かに歩いて行った彼女は、何処かの席に座った。
…まあ、いいや。と適当に思う。兎に角自分は寝たいのだから人の事まで気にしている場合じゃない。

そう思って、瞼を閉じようとする。
が、しかしやはりまた閉じられなくなった。
先程の黒髪の少女とすれ違って前方を横切っていったある少女が気になったから。
金髪…だったと思う。気のせいか、彼女の首から上がぼやけて見えなかったのだ。
…恐らくは早く眠りに落ちたいと思っている瞼のせいだろう。
ごしごしと自分の瞼を手の甲で擦ると、次の瞬間には彼女の姿が居なくなっていた。
出口の前にはなんだか禍々しいアクセサリーのようなものがぽつんと落ちている。
すると、突然開いた出口からやってきた人物がそれを拾い上げて中へと入ってきた。
重そうなバイオリンケースを持ったショートの青い髪の子。
彼女は此方を横切ると、広々とした席へと座った。
なんとなく、危ない子だな。と思ってしまう。別に何処にも危うい所なんてないのに。
次いで、ややあってから赤い髪の子も訪れる。何処となく近寄りがたい雰囲気を持った子だった。
けれど、その子も先程の子には至らぬが、壊れそうだな。と思う。

……また眠気が訪れた。

というか、どうして俺はこんなに眠いのだろう。
自慢じゃないが、毎日9時前には布団に入り、きちんと睡眠をとり、規則正しい生活をしているはずなのに。
それを同級生に言えば、いまどき真面目君かよ。とか、流石に9時はないだろ、とか色々と揶揄されたものだった。
しかし、それに対して純粋な、屈託のない表情を見せてくれた友人が居たっけ。あれは、たしか……

そう、心地の良い思想に沈んでいれば、突如がしゃんと、ひどい音が聞こえた。
音の大きさに驚いてびくんと飛びあがってしまう。
折角まどろみの中で揺らいで沈みそうだったのに、一体何なんだと苛々して顔を上げた。
見れば、先程の青い髪の子がふらっと立ちあがっていた。
彼女の足元にはバイオリンケースらしきものが打ち捨てられたように落ちている。
バイオリンケースは、少しだけ凹んでいた。
恐らくはアレを落としたのだろうかと思っていれば、彼女はそれを避けるようにしてふらふらと歩き、出口に向かう。
泣いているのだろうか。彼女が歩いた後には小さな水たまりが出来上がっていた。
まるで涙の池のようだなんて考えていれば、気のせいか、彼女の腰から下がまるで魚の尾鰭に変化しているように見えてしまった。
その濡れた地面と相俟って、まるで海から這い上がってきた人魚みたいだ、なんて錯覚を起こす。

すると、赤い髪の子が後を追うようにして出て行った。
知り合いだろうか。否、きっと違う。だってさっきまであの子は、あの青い子とは顔をそむけて別の席に座っていた。
加えて、あの二人は大分馬が合わないようだった。
彼女達は何かの事で舌戦を繰り広げていて、いつしか赤い子が青い子の席に座ってまで喧嘩を打って。でも、声を掛け合っている内に段々と静かになって。
いつしか、赤い子の方が何かの事で落ち込んでしまった青い子を気にかけていたと思う。

そんな事を考えていれば、いつしか二人とも車両からいなくなっていた。
ふと、先程の赤い子が居た席を見れば、そこには髪飾りだけが残してあった。
なんだか、ぽつんと寂しげに残った髪飾りに胸がちくんと痛む気がした。

残るは、黒い髪の子ひとりとなってしまった。
一瞥すると彼女の横顔は鬱蒼としていて、ぶつぶつと何かを言っていた。
そのまま、来た時と同じようにさっさと扉に向かう。
ぽろっと、そのポケットから何かが落ちた。

またさっきと同じようなアクセサリーかと思ったがそうではなく、眼鏡であった。
可笑しいな、彼女は眼鏡などかけていなかった気がするのに。眼鏡は少しひびが入っていた。

すると、彼女と入れ違いに正反対の方向から歩いてきた少女が調度自分の前に座りこむ。
桃色の髪を二つ結びにした女の子に、思わず目が釘付けになってしまった。

他の人の顔は良く見えなかったのに、如何してか彼女の顔は髪に隠れていてもすぐに分かった。理解した。
宝石のようにきらきらと輝いた丸い目をした女の子。ちょっと夢見がちで。でも精神的には凄く強くて。
絵に描いたような心優しい良い子で。……って、なんでこんな事を知っているんだろう。
暫くしてから、なんだかよくわからないけど、この子と話をしなくては。と思った。
なのに、口走った言葉は自分自身でも予想外のものだった。

行くな、から始まり、なんでお前が行く必要があるんだとか、お前がそこまでする必要はないとか、勢いに任せて、かなり最低な事も言ったと思う。

違う。違うんだって。
もっと他に言いたい事があるはずなのに。
言わなきゃいけない事がたくさんあるのに。なんてざまだ。

「優しいね」

ふと、彼女がそう口にした。

「そうでも言わないと、私は頑固だから。言うこと聞いてくれないもんね」

「知ってるよ、あなたが私の事を思ってわざとそう言ってくれるんだってこと。
私の為に、いつもあなたが悪人になってしまうこと」

「酷い事、言わせてごめんね。護ってもらってばかりで、ごめん。でも、嬉しかった。凄く嬉しかったんだよ」

護った?馬鹿馬鹿しい。そんなのいつ、俺が。
俺はまだ、お前の事を護りとおしてなんかいないのに。
今だって、まだ全然。お前を護れていないのに。
護れないのに。

「護っているよ、陽介くんは。私の心をいつもいつも護ってくれていたもの」

ふと見れば、電車の中には三人のお客が乗っていた。
先程降りたように見えた金髪のお姉さんと。赤い髪のボーイッシュな女の子。
そして、艶やかな黒い髪をさらりと流す女の子。その髪には、さっき出逢った少女が嵌めていたリボンと同じものが嵌められていた。
否。それは、彼女の物だったのかもしれない。

実際、目の前にいたはずの桃色の髪の女の子の髪は背中まで伸びていた。
不意に見れば、彼女は眼前から忽然と消えていて、
慌てて辺りを見渡すと、青い髪の子と一緒に彼女は出口へと駆けて行った。
青い髪の子は大事そうに大事そうに、何かのCDを胸に抱えて
その後を見届けるように、桃色の髪の子もまた。

だが、彼女は一旦中を見渡してから、名残惜しげな吐息を溢した。

「ま………」

そこで、やっと声が出た。
席から立ち上がり、やっと彼女を追いかける。
けれど、逸る心と相反して足はもたつき、そのまま地面へと崩れ落ちてしまった。
追いつけない。咄嗟に確信してしまった。
焦る。焦って。焦って身体を持ち上げる。まって。待て。まだ、俺は。まだ、まどかに。

一度此方に目線を配って、名前を呼びつつにこりと微笑んだ。

「また明日ね」

ばいばい。と手を振る。

ああ、覚えている。
この風景を、自分は良く覚えている。
いつもいつも。彼女と一緒に帰る帰り道。間に彼女の親友を挟んで、彼女が帰った後は二人だけになる帰り道。お互い違うクラスだから、互いの知らない話を沢山して、彼女の家まで送って行くと、それじゃあまたね。と彼女が切り出す。
家まで送って行くと言ったのに、恥ずかしいから、と彼女は頬を赤らめてそれを振り切って。

また明日、って言ったんだ。

あの時、いつものように。それじゃあまた。と、切り出すはずだった。
でも、どうしてだろうか。
あえてそれを自分はしなかった。

「まどか」
「ん?」

あの日は何かが違っていたんだ。
彼女のクラスに転校生が来るその前、だった気がする。

「何か困った事があったら、俺に言えよ。……なんでもしてやるから。」
「…ありがとう」

知ってるよ。それでも君が結局自分を頼りにしてくれなかったこと。
知ってるよ。それでも君は強いから、優しいから頼りにしてくれなかったこと。
何もかも知っていて、何もかも知らない。知らない振りをしているしかない。
それが彼女の望んだことで。じゃないと、あまりに彼女が綺麗過ぎて、優し過ぎて泣きたくなる。
最後の最後まで後を残さずに往った彼女が目に痛くて、胸が張り裂けそうだった。

三人の女の子と、一人ぼっちの自分が残された電車の中で、ぽつりとこう囁いた。

「お前との明日は、もうこないんだよ。■■■」

ああもう、名前も思い出せない

◆終着駅にはまだ遠く

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ