泣き笑い道化師

□そんな僕らの奇妙な関係
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中学に上がる少し前の頃、自分と言う奴は厄介な問題児と言う存在だった。
勉強はしないで毎日遊び歩いていて、母に怒られるまでいう事を聞かない。
宿題はやった振りをしてどこかに隠して、学校では常に先生に叱られる。

そんな毎日を続けた自分に「こいつダメだ」と見切りをつけた母親が小学校にして留年寸前の自分に家庭教師をくっつけたのが確か小学校卒業の一年前。

これが普通の家庭教師ならば、自分はとっとと跳ね除けてまた不良の日常に戻るはずだった。
けれども残念ながらその家庭教師は近所で知り合いの大好きな兄ちゃんで、自分は大好きな兄ちゃんと一緒に勉強できるとなれば中々逃げられなくて、結局母の策略という名の檻にはまってしまった。

そしてそれから、今。

「やあ、待たせたね陽介。さ、帰ろうか。」
「おー…」
「今日は帰りにコーラを買っていってもいいかな?調度切らしちゃってね」
「いいけど、あんたいい歳して…」
「コーラは皆好きなものだろ?」
「…俺は好きじゃない。」
「あれ?陽介、コーラは卒業したのか?」
「(あんたと一緒が嫌なんだ)」

多蕗桂樹。
それが俺の好きだった兄ちゃんの名前。
今は自分の通う男子校で俺の担任教師をやっていて、公私共にこの人は俺の先生になっている。
で、顔馴染みと言う接点を使い自然と登下校を共にする関係になってしまっている今日この頃。

昔はこの人の事を大好きではいたが、正直今のところ彼をそんなに好いていない。
以前ならどんな所でも好きだと思う所が、今では総てが呆れる、或いは疎ましいものにすっかり変わってしまっていた。
恐らくは月日の移ろいのせいだろう。と感じる反面、多分男として劣等感を抱き嫉妬しているというのが真理なのだ。

ちらりと隣の男を見れば、多蕗は「陽介も大人になったもんだ」なんて人を見下す。
向こうにそんなつもりは恐らく無いのだろうが、なんとなく嫌味を感じてむっとしてしまう。

そのままへそを曲げて暫く黙っていれば、多蕗は空気を読むことは無く、空を見上げて直ぐに野鳥の話に取り掛かった。
この野鳥マニアが、と心の中で悪態を付きつつ、生半可な返事をする。
意味もない相槌を打っているだけだというのに、多蕗はにこにこと笑って楽しそうに一人話を続けた。

「…けいにい、俺そろそろ帰りたいんだけど」

あんたいつまで横断歩道の前で立ち尽くしてるんだ。
既に信号は青になったというのに。
少し怪訝そうに声色を低くしても、能天気な男は我に返っても間抜けにたははと笑うだけ。
「ごめんよ、陽介。」なんて人懐っこそうな笑顔で。

こんな頼りなさ気でぼーっとしてるのには女が付いて、なんで俺には女がつかないんだろうかと心底悩む。
(多分性格が悪いからとはわかってるけど)
いや、別に女が欲しいというわけではないのだが、あらゆる女達はこれの一体何がいいんだろうか。
世の中の女と言うものは本当に不思議なものだと考えてしまうのだ。

顔か?頭か?それとも財産か?
多蕗の顔をじっと眺めてちょっと本気で悩んでみる。
現在進行形でこいつと付き合っているちょっとした有名女優にこの質問をぶつけてやろうか。
そうしたら一体なんて答えるんだろうな、なんてぼんやり考えた。

「(…やめた。)」

けれど、すぐに空しくなって考えを放棄。
まあ、世の中には物好きが居るってことだろう。なんて無理矢理納得した。

「ああ、そうそうけいにい。」
「ん?なんだい、陽介。」

程なくして自分の家に着いた彼に、自分は「じゃあな」と別れを告げるより先に、ちょっと待ったをかける。
鍵を手にしてきょとんと振り返った彼は、人のいい笑顔で首を傾げた。

「…大したことじゃないんだけど、あんたの家、一度点検した方がいいと思う。」
「点検?」

それはまたどうして。と心底目を丸くする男に、なんとなく気が遠くなるほど疲れながら続けた。

「あんたの家、かなりたちの悪いゴキブリ居るから、さっさとそれ駆除しないとまずい。」

早口でそう言って退ければ、ぽかんとしてから軽く青褪めた家庭教師に少し笑う。
ええっ、困るよゴキブリなんて…とわたわた狼狽する彼を堪能した後に、一言。

「冗談だよ」

と、言って俺は踵を返してその場から消えた。
俺の居なくなった後には、自分に恨み言をいう事なく、単純に冗談という話に安堵した彼がほっと胸を撫で下ろした多蕗。
そんな事も露知らず、俺はずんずんと来た道を戻りながら、曲がり角の前でぴたりと止まった。
じっと「飛び出し注意」の電柱を眺めながらはあと大きな溜息を吐く。

「荻野目」

恐らくはそこに居るであろう人物に、比較的冷静な声をかけた。
電柱の陰に隠れていた人物はむすっとした顔で此方を見つめると、渋々と前に出てくる。

「いつから気付いてたの?」
「初めから。」

至極簡潔にそう答えを述べれば、酷く悔しそうな顔をした荻野目。
今にもこんちくしょうというような汚らしい言葉を吐き捨てそうな、普段の彼女からは思えない潰れアンパンのような顔。
女もそうなっちゃお終いだななんてうっかり、ぷっと嘲笑えば、荻野目が更に不機嫌な表情をした。

「なんであんたはいつも多蕗くんと一緒かな…」
「俺だって出来れば一緒にいたくねーよ。」
「あんたのせいで私の運命成功率が20%下がるのよ。」
「知るかんなもん。頭無事かお前。」

けっと互いに憎まれ口を叩きあいながら、ぷいっと同時に視線を外す。
…だからやなんだ、あいつと一緒に帰るのは。
心底此処に居ないあのにやけた野鳥オタクを恨みながら、目の前に居るストーカーと今日はどうやって決着をつけようか思い悩む。
すると向こうも考えているのはどうやら同じようで、時折此方をちらりと眺めて眉をぴくぴくとさせていた。

「あれの何処がいいのか知らんが、通報される前にやめとけよ。」

けれどこんな所でこいつと喧嘩になっても仕方が無いと判断して、早々に切り上げようと腹に溜まっている鬱憤だけをぶつける。
荻野目はその発言にむっとしたように黙り込んだ。

「…ねえ、陽介」

…俺達そんなに仲良かったっけ?
問い掛ける前に顔に出ていたのだろう。荻野目は言いたいことを察すると、笑顔を携え小首を傾げた。

「陽介くん?
明日はここに来ないでね。」

自分の名前を言い直して、にっこりと笑う荻野目の声は、優しい。
とても優しく明るくて恐いくらい。
なんでだ。と此方が問い掛けるよりも先に、

「黙って私の言う事聞いて」

と、命令するような、懇願するような強い口調で睨まれる。
可愛い顔が台無しだぞなんて茶化すような余裕は持たせてくれずに、此方は従うしかない雰囲気。

「…カレーの日。」

だが、言われてばかりじゃ腹立たしい。
せめて一矢報いようと、恐らく荻野目に効くだろう言葉をわざと零してみせる。
すると案の定それは荻野目にクリーンヒットしたらしく、彼女はぴくりと動いて反応を見せた。

「けいにいがよく言ってた。」
「……そう。」

何かを言いたそうな荻野目の瞳。
けれども何も言わずに眉を歪めて、口をへの字に結んでいる。
斜め下を眺める視線は少し濁っていて、けれど同時にその瞳には悲哀が篭っていた。

…あんなのの、一体何処がいいんだよ。
そんな苛立ちが一瞬胸に湧いて、恐らくは彼女の苦悩も知らないだろう多蕗に更に腹が立って大きく深い溜息を吐き捨てた。

「…来なけりゃいいんだろ。」

最早これ以上何かを言うのも嫌だった。
すれ違いざまにそう言えば、荻野目が「えっ」と、拍子抜けしたような反応を見せる。
間抜けた声は聞こえなかったように、俺はさっさと荻野目の隣を通り過ぎる。

すると、後ろから大きくも小さくも無い声が背中に押し付けられた。

「ごめんね、陽介。」

それはとても悲しそうで、けれども反面ほっとしたような、なんとも複雑な抑揚の声色。

…謝るくらいなら最初からしなければいいのに。
謝るくらいなら最初から俺にしとけばいいのに。

言わずにそれは胸の奥に留めておいた。

◆まるで腫れ物にでも触るような関係

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