泣き笑い道化師

□裏側、それから
1ページ/1ページ


それは約数時間前の事。
家に帰った瞬間に、先に到着していた兄、冠葉が
「二号が陽介の家に居るらしいから迎えに行って来い」と玄関先で告げてきた。
帰宅したばかりの弟は、突然告げられたその言葉に面食らい、暫し固まった。
といっても、決してその内容に驚いたと言うわけではない。
問題はその中に含まれていた名前の方だ。

「…ごめん兄貴、ええっと今…なんて?」

その名前はよもや目の前の兄から聞くようなものじゃなかったような気がする。
一瞬聞き違えたかと錯覚して、弟、晶馬は引きつり笑いで頬をかく。
玄関の前で仁王立ちになっている兄は、至極冷静に「だから」と前置きをつけて続ける。

「二号だ二号。お前、奴が居なくなったって言ってただろ?
どうやらあいつまた勝手に陽介の家に行ってたらしくてな。」
「らしくて…って、」

注目すべきは二号のほうではなく、自分としては別の名前の方なのだが…。
とりあえずは最初は追求しないでおいて、「いつもならばあいつが自由に帰ってくるまでに放っておくはずなのに」とぼそり呟く。

「俺も放っておこうと思ってたんだがな、帰ってきた矢先に陽介から連絡が入ったんだ」
「陽介から?」

再度、晶馬は驚く。
兄は後ろ首に手を当てて、「俺はてっきりお前かと思って出たんだが」とニヒルに笑う。

「え、兄貴が陽介と話したの?」
「ああ。」
「…ひ、…いや。陽介、他になんか言ってた?」
「いや、特には。」

一瞬、「陽毬じゃなくて?」とうっかり口を滑らせてしまいそうになって、慌てて弟は言い直す。

よもやあの陽介が、兄の事を怯えている、というか付き合い方が分からずに距離を置いている陽介が、兄と話をしたと言うのか。と、考えれば少し不安になったりもした。
というか、兄貴の方が電話に出たというのも聊か驚きだ。

「最初は放っておこうかと思ったんだがな、陽毬が調度寝てたし煩いかと思って。」
「あ、ああそうなんだ。」

なるほど。そういう事か。
妹が電話に出れなかった理由も二重の意味で納得がいった晶馬は、ひとり頷く。

「でも、あれだよね。陽介って、その…あれだよね。」

彼があまりに自然な口調で告げるものだから、もしかしたら陽介とは自分の良く知るあの幼馴染で陽毬命の陽介ではなく、兄の友人か何かの陽介なんじゃないだろうか。と明確な人物を告げずにただ「アレ」とだけ曖昧に訊ねて晶馬は苦笑するう。

「念のため言うが、陽介は隣の家のアレだぞ、わかるか?」

と、兄は涼しい顔で親指で隣の家を指した。
それにより、完全に彼の語っている陽介が自分の知る陽介のようだと把握すると、更に彼の中で驚愕が押し寄せた。

「ま、マジで?マジで…あれなの?」
「信じられないのも無理は無いがな。」

兄は単に弟が彼に会うのに若干のブランクを感じて嫌がってるのだと解釈したらしく、ぽんと肩を叩いて宥める様に眉を下げる。

「まあ、お前も久し振りにあいつに逢うんだろうから思う所はあるだろうが…今だけだ。二号を連れ帰るまでの間だけ我慢して行って来い。」
「あ、ああ…」

本来は兄の知らぬ所でとっくに自分と彼は交流が合ったりするのだが、それを兄に知られたら大目玉を食らうところじゃないのであえて黙っている。
勿論、交流と言っても陽毬ほどではなく、あくまでも微々たるものだが。

「わ、わかった…陽介の家、だよな?」
「ああ。」
「陽介の家で、いいんだよな?」
「何度も言うが、隣の『あの』陽介の家だ。」

それほど嫌かと言われるくらいに再度おずおずと確かめれば、兄は「あの」を強調してくどいと続けた。
晶馬は調度彼が思い違いをしているように、嫌がる素振りを精一杯演技しながら家を出た。

外に出て扉を閉めて、何かが起こる前触れだろうか。なんて勘繰ってしまう。

自分が此処まで考え込んでしまうのも仕方がないことなのだ。
つまりはそれほどまでに、冠葉は陽介の事が大嫌いだったから。

幼い頃は仲が良かったけど、ある時を境に今まで食卓で口にすることさえ避けてきた。
あのひまりでさえ、陽介の名を語ることは遠慮してきたというのに。
まさか何年振りかに彼の口からあの名前を聞けるなんて思いも寄らなかった。

だからだろうか、摩訶不思議なものを体験したと思った反面、晶馬の中で僅かの喜びが浮かんできたのは。
例え彼にあまり自覚はなかったとしても、純粋に兄が幼馴染の話を自ら切り出したのは嬉しいし、なによりも誰に遠慮するでもなく堂々と陽介の家に足を運べる現状がとても安堵した。

「(隠れて家に行くのって、中々窮屈だったんだよね。)」

自分の家の真隣だからとっても気を使うのだし。
けれども今は考慮する必要は無い。
気のせいか身体が身軽になった気がして、彼の家に行くまでの足取りが今まで以上に軽くなる。

その気持ちを引き摺ったまま、いつもよりも気軽に家の中に入ったら。
二号が自由気侭に陽介の家を物色し、その真ん中で陽介は虫の息になっていた。


そして、今。

「陽介って本当に料理全く出来ないんだな。」
「出来ないんじゃない、しないだけだ。」

それはつまり同じ意味ではないのだろうか。
往生際の悪い幼馴染にはあと溜息を吐きながら、晶馬はジャガイモの皮をむく。
先程まで空腹でぶっ倒れていた彼に慌ててスティックパンを与えてよかったと思いながら、一人暮らしの癖にあまりの生活力の無さに少しばかり不安を抱いた。

キッチンに上がる際に片付けたお惣菜のパックなどが入っているポリ袋をちらりと横目で見た後に、「いつもあんなもの食べてるのか」と一人呟く。
幸いその呟きは彼には聞こえず、彼は自分の手際の方だけを気にしているようで、
とんとんとまな板の上でむき終わったジャガイモを切り落とせば、真横からは「おー」という短い歓声が聞こえた。

「おーじゃないよ、自炊くらいきちんとやってくれよな。こんなお惣菜ばっかじゃ身体壊すっていつも言ってるだろ。」
「うん、つい最近も言われた気がするな。」
「だって言うのになんだよこのお惣菜の抜け殻の有様は。なんだよこのタッパー。
さてはコロッケか?上げずに買って食べたな。」
「だって面倒だし…一人でコロッケ造って食べるって、一人で焼肉や一人でカラオケなみに寂しいし上手くないぞ。」
「気持ちは分かるけど、自炊くらいしないと…って、さては陽介米も炊いてないとか!?」
「……た、炊かないけど…食べてるぞ、ちゃんと。お弁当の…」
「炊けよ!米くらい!!
っていうか陽介…この間『大丈夫だよ、きちんといいもの食ってるから』とか、僕に言ってなかったっけ?」
「にしても晶馬は手際がいいよな、男と思えない。」

あからさまに話題をころりと変えた陽介に、晶馬は「おい」と低く突っ込んだ。
陽介はただ困ったようにごまかし笑いをしている。
二号を抱いてあははと無邪気に笑う陽介を横目で見て、晶馬はむすっと頬を膨らました。
すぐにそんな彼に「悪い悪い、いやほんと悪かったって。いや、だってさあ」と弁解を試みる陽介だが、口の中に押し込まれた卵焼きによって口を塞がれた。

「もういいから、ちょっとそれ味見して黙っててくれよ。陽介が喋ってると料理全くはかどらない。」
「ふごふぉー。」

恐らくは「なにをー」と憤慨しているのだろうが、卵焼きを口にしたままふがふがと間抜けになっている姿では全く迫力はない。
他愛ないやり取りを繰り返しながら、どうにか完成にまでこぎつけた料理をテーブルの上に置く。
静かに二号の黒い瞳が空腹の陽介よりも先に輝いた。

「これは、陽介に作ったんだから」

気付いた晶馬が二号を牽制するかのように、めっと言いながら彼に注意する。
だが、二号は理解しているのかしてないのか、きょとんと首を傾げながら目の前に置かれた料理をじっと見つめていた。
陽介がそんな二号の頭をぽんと撫でる。

「いいよ、こいつ可愛いから。なんか食ってる姿みるの幸せでさあ…」
「でもさっき食べたばっかなんだろ?」
「そうだけど…でも食べたがってるし。」
「陽介はこいつらに甘すぎない?」
「そういう晶馬はなんか機嫌よくない?」

唐突にそう言った陽介に、晶馬はどきっとして一瞬固まる。
「え?」とおどけて見せるものの、上手く行かずに「うちに来た時からなんかお前の雰囲気が変わってた」とじいっと此方を睨む陽介。

「べ、別にそんな事はないよ」
「いーや嘘だ。…あ、さては、晶馬も彼女出来た?」
「はあ?!な、ない!それはない!」
「嘘だー。」

先程の真剣さを帯びた声よりもからかう口調になった彼に、面倒臭さを覚えながら晶馬は「だからないって」と強めに言って机に炊き立てのご飯を置く。
ニヤニヤと笑う陽介は、意地悪そうに晶馬に続ける。

「勿体無いよな、こんなにいい男なのに…お前。」
「いいよ。僕は。兄貴じゃないし。
大体、恋人並に大好きな人だったら居るし。」
「ひまり?かんば?」
「…ま。それもあるけどね。」

陽介の前に洗ったばかりの箸と皿を差し出して「どうぞ」と笑う。

今述べたその大好きな人はずっと昔からお前なんだよ。なんて事は一切言わずに。

◆機嫌がいいのは君がきっかけ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ