泣き笑い道化師

□一方的なその約束。
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「なんでお前が此処に居る。」
「怪我したんだろ、かんば。」
「…誰が話したんだ、それ」
「今朝、荻野目さんから話を聞いた。」

チッ、と冠葉は舌打ちをしてどっかりと居間に座り込んでいる男を横目に苦々しい顔をした。

「あっちに口止めするの忘れてたな。」
「…お前、意地でも俺に知られるのが嫌なんだな。」

冠葉が怪我をしたその日…陽毬の帽子が大変な事になっていた調度その日、陽介は調度その時間帯にアルバイトが入っていたせいで隣のひと騒動に気付かなかった。
いつも常に自分達の家の騒動に巻き込まれる彼が、今回ばかりは何も知らずに巻き込まれなかったことについて、冠葉としては酷く安堵した。

もしも自分が怪我をしたなんてことを彼が知ったならば、自分が嫌われているという事も考慮しないで彼は必ずおせっかいを賭けに来るに違いなかったからだ。
幼馴染だからこそ分かる彼の行動パターンを見抜いて、このまま何も知らないようにと独断で二人に口止めをした。

しかし結局はただひとつの口止めを逃して、案の定、自分が想定した最悪の事態になってしまった事に冠葉はとても落胆した。

というかだ、よりにもよって今うちに誰も居ない時にあがりこんでるんじゃない。
と、思わず口に出して言ってしまえば、
「さっきまでしょうまが居たんだよ」と、目の前のテーブルに淹れ立てのお茶を置く陽介。

「まあ飲め。陽介汁だ。」
「ただのお茶だろ。…なんか入ってたら殺す。」
「入ってない。」

流石にそこまで命知らずではないさと苦笑する彼の表情に、やはり自分に何処か引け目を感じている彼に違いないなと、冠葉は僅かにほっとし、すぐ溜息をついた。

「(俺に引け目があるなら来なきゃいいのに)」

仕方なく、彼の顔色を窺うわけではないが熱いお茶を一度口に運んでちまちまと飲む。

「なんで俺に言わなかったんだよ。」

すると、少し間を開けて隣に座った陽介がいつもよりも強気な表情を向けてきた。
唐突な、けれども分かりやすい質問に冠葉は面倒そうに頭をかいて、熱くてろくすっぽ飲んでも居ないお茶を机に置く。

「どうせ伝えたらこうなる事は目に見えてたからな。それが嫌だった。」
「そんなに俺が家に来るのが嫌か、お前は」
「ああ、嫌だね。」

オブラートに包まずに、はっきりと物申しながら更に「目障りなんだよ」とフンと鼻を鳴らした。
それを聞いた陽介は一度がーんと効果音を立てて傷ついたように動揺をしたが、すぐに眼を逸らして反論してくる。

「…俺は怪我しているのにそれを黙って隠そうとするお前の方が目障りだね。」
「だったら帰れ。」
「ふざけろ、帰ったらお前一人でなんか無茶するだろ。そんな腕でお茶でも入れようとしてうっかり手が滑ってお湯が零れて火傷でもしたらどうする。」
「お前じゃないし、そんなヘマはしない。」
「悪かったな、どうせ俺がこの間やった失敗談だよ!…じゃなくてだなっ」

まるでテレビドラマの有名な教師のようにくどくどと説教をしてくる陽介に、耳を覆いたくなる気分に陥り、冠葉は無意識に眉間に皺を作った。

「まったく、朝っぱらから煩い奴だな。こっちは寝起きなんだ、少しテンションを落とせ。
…大体自分の面倒くらい自分で見れる。」
「…だけどなあ。」

そんな怪我だとやっぱり気になるモンなんだよ。と、僅かに声色を変えた陽介。
冠葉はそんな陽介を鬱陶しく思いながら、ぎろりと彼を睨んだ。

「何度も言うが、お前はおせっかいなんだよ昔から。女ならまだしも男に、しかも自分を嫌いな相手に尽くすとかお前はマゾか?
それとも俺に対する遠回しな嫌がらせか?
自分が陽毬を護れずに、俺が陽毬を護ったから。」

まるで彼氏であるという立場の陽介を嘲笑うように冠葉はにやりと口角を上げる。
だが、陽介はそれに狼狽するどころか、此方の額にでこピンをひとつ食らわせると呆れたように「お前なあ」と深い溜息を吐いた。

「ッ、ってぇ…!」
「いきなり馬鹿な事言ってんじゃないっつの。
まあ本音言えばそりゃ悔しいよ。
けどそれ以上にお前を護れなかった事が悔しい。」
「…俺を?」

額を摩りながら陽介を睨んでいた冠葉は、更に訝しげな顔で表情を変える。

どうしてそこで陽毬じゃないんだ、と低く言えば、ひまりはお前が護ってくれるって信じてたからな。と陽介は間髪居れずに答えた。

「ひまりはお前が必ず護ってくれる、けどお前を護る奴はきっと誰も居ないから…」

だから今回も、こんな怪我したんだろ。
と、いいながらそっと此方に手を伸ばす陽介に、わかるようにわざとらしく距離をとる。

「それこそ大きなお世話だな。
別に居なくても構わない。
例え俺になにがあっても、俺はそれで後悔はしない。陽毬の為なら尚更な。
寧ろ、俺に何かあったほうが好都合なんじゃないか?お前には。
邪魔な兄貴が居なくなるんだからな」

陽介の少し弱気なその発言に、冠葉はそっぽを向いてわざとそんな生意気な発言をぶつけてみせる。
勿論、本心半分冗談半分だ。
喧嘩がてらに本心ではない事がつい口を出たりする。そんなアレで。
けれども、それを聞いた陽介は、此方の話を本気にしたようにあからさまにむすっとした顔をして此方を睨んでいる。

「…お前が後悔しなくても、かんばに何かあれば、ひまりが悲しむ。」

ぽつりと呟いたその言葉に、ぴくりと冠葉の眉が動いた。

「かんばに何かあったら、しょうまが泣く。」

冠葉は僅かに目を細めて陽介に静かに振り返る。
一体何の嫌味だそれは。と思って精一杯の苛立ちを瞳でぶつけた。
だが陽介は全く怯む事無く、そればかりかずいと身体を彼に近づけて真剣に話しかけてきた。

「お前に何が、」
「あの二人を悲しませるようなこと、軽々しく言わないでくれよ。
お前はあの二人にとって、たった一人しか居ない大事な兄なんだぞ。」

冠葉の言葉を遮って、やや強めにそう訴えてくる陽介に冠葉はしかめっ面になったまま黙り込んで俯いてしまった。
唇を尖らせながら拳を握り締めて「そんなこと…お前なんかに言われなくても…」とぼそりと呟く。
そんな此方を見て、陽介は表情を緩めてぽん、とその頭を叩くように撫でた。

「俺はひまりの事は好きだ。愛してる。
だけど、それ以上にお前ら三人が大好きなんだ。お前達が笑っているのを見るのが好きなんだ。」

一瞬彼に頭を撫でられた事に、冠葉は目を丸くして固まってしまった。
勿論気付いてからはすぐにその手を振り払ったものの、陽介はそれでも真っ直ぐ此方を見つめてくる。

「頼むからそんな風に強気で振舞うなよ。
一人で無茶しようとしないで、次何かある時は一言でいいから、俺に言ってくれよ。
何処に居ても必ず飛んでいく。
かんばが無茶して怪我させないように、俺がひまりを護るかんばを必ず護るから」

と、陽介が途中まで言った矢先だった。
冠葉は此方に手を伸ばそうとした陽介の胸倉をぐいっと掴み上げた。
陽介は、突然の事にうわっと驚いて目をぱちくりさせる。
そのまま強めに自分の方へと引き寄せて、触れ合うくらいの距離で顔を近づけた冠葉は、今にも彼を殴りそうな威圧感を漂わせる。

「なんで、お前はいつも…!そういうのが、俺にとって腹立たしいんだってわからないのか…!!」
「…腹立たしくても、俺は訂正はしないからな。
護るといったら必ず護る。ただ事じゃないお前が俺の目に入った瞬間にだ。」

一瞬冠葉のその雰囲気に多少怯むも、陽介も負けじと彼を睨むように見つめる。
すると、先に折れたのは意外にも冠葉のほうだった。

「…俺は、お前に助けを乞う気もなければ、お前を頼る気もさらさらない。
お前の事が俺は大嫌いだからだ。」
「…は、そんなの今更だろ?」

はっきりと自分の意を告げれば陽介は傷つくかと思ったが、彼はそれを素直に受け止めていた。
それを見守り、冠葉は心の中で溜息を付く。

「(こういう所が嫌いなんだ)」

だったら、と陽介を冠葉は彼の胸倉を掴む手を緩めて、自らの顔をそっと彼の耳元に近づけた。

「…俺が無茶しそうになったら、お前が自力で気づいてみろ。
俺は何も言わない。何もお前に言っても素振りも見せてやらないから。」

俺は前を向いてただ陽毬を護るから。
ぼそりとそう耳元で囁いた冠葉は、そのまま陽介の服を掴んでいた手を離して、陽介に寄りかかかるように体重をかける。
よもや自分に寄りかかられるとは思って居なかった陽介は案の定ぎょっと焦って驚いた。
冠葉はそれに気付かない振りをして続ける。

「それでも護れるってんなら護って見せろよ。口だけじゃないならの話だが」
「…おう。」

冷たい冠葉の言葉を受け止めながら、それでも彼が素直に自分を受け入れてくれた事に嬉しくなったように陽介はほっと声色を柔らかくする。

「(だから、なんでお前はそこでほっとするんだ。)」

ここまで無茶を言っているんだから、さっさと諦めればいいのに。
嫌いだといっているんだから、素直に傷つけばいいのに。
どうして思ったとおりの行動をしてくれないんだろう、この馬鹿は。
その答えを聞くなり、冠葉は陽介の肩から頭を離して、後ずさった。
すると、「もう大丈夫なのか?」と訊ねてきた陽介に強気に「なにがだ」と突っぱねる。

「…なんか…喉渇いたな。」
「自分で淹れたお茶飲めばいいだろ。」
「あ、ああ。そうか。」

やはり先程まで自分と相対する事に緊張していたのか、汗を拭いながら陽介は小さく零す。
此方の言葉にこくりと小さく頷いて、陽介はお茶を飲んだ。
すると同じように冠葉も自分のお茶に口をつける。
先程よりも飲み心地がよくなったお茶はすんなりと喉元を通って、自然に口から「上手いな」と出てしまう。
その声に返答はしなかったものの、ちゃっかりもう一杯急須にお湯を入れに言った陽介は、すぐに戻ってくると無言で彼の湯飲みに茶を注いだ。

◆多分安息の昼下がり。

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