泣き笑い道化師

□すべては君のせい
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ずきずきと奥歯に出来た虫歯が痛む。
そんな位の痛みを胸に感じた雨の日の昼下がり。

誰も居ない部屋の中、何をする気にもなれずに少女はぼんやりと窓の近くに座り込んでいた。
ソファの上に投げ捨てられた彼女の大切な運命日記は、これから今日彼女がすべき事を何にも記しては居なかった。
正確には記されていたけれどもそれを実行する気力が彼女にはなかったのだ。

運命日記と呼ばれる中にはたどたどしい文字で「だいすきなあの子となかなおり」等と書き記されている。

「(別に、あんなのだいすきでもなんでもないし…)」

ぼんやりと水滴の滴る窓の外を眺めて、苹果はふとそう嘆く。

遡るは二日前。友人達と何気ないガールズトークを繰り広げていたお昼の話だ。
突然、友人の一人が自分の知り合いである男の名前を挙げてきた。
それは自分の運命の相手の教え子で、その従兄弟であるらしい人物。
そして、自分の運命実行に付き合わせている…もとい、厚意で付き合ってくれている自分の下僕だ。
彼は運命日記の事は何も知らないが、自分が多蕗のストーカーをしている事を知ってしまった為、その口止めとして自分に張り付かせて運命実行(レッツデスティニー)の為に働かせる事にした。
最初は嫌々だった彼も、意外や意外。最近では自分の言う事を素直に受けてくれるようになって、なんとなく自分も彼の忠誠心に感謝をしていた所だった。

苹果はタコさんウインナーを頬張りながら物思いに耽り、「で、そいつがどうかしたの?」と自分にしては珍しく話に参加した。
すると良くぞ聞いてくれましたと言いたげににんまりと笑みを浮かべた友人が、「なんとその陽介くん、うちの学校の女子と付き合ってるらしいんだって!」と嬉々として声を張り上げた。
隣で聞いていたもう一人の友達がぎょっとして「ちょっと、声でかいって…」と慌てて彼女を制す。
だが、彼女は声を抑える事無く「えー、だって私の友達の友達がその子とよく一緒に歩いてるの見たって言ってたし…」と渋って更に話し出す。
その隣で話を聞いた苹果はぽかんと目を丸くさせた後に、何にも言わずに静かに箸を片方膝に落とした。

それから、いつも必ず彼にかけるはずの電話をその日を境にぱたりと止めて、ついさっき「暫くデスティニーの予定なし」とだけ彼にメールをした。
自分に従順な彼は、そのメールを鵜呑みにしたのか全く返事も返ってこない。
これが喧嘩と呼べるかどうかは分からないが、運命日記に「なかなおり」と書いてあることから恐らくは喧嘩なのだろう。

「(別に…あいつに彼女が出来ようが、なんだろうが、私には関係ないんだけど)」

そもそも、彼は運命には入っていないただのイレギュラー的存在だ。
そんな彼に入れ込むことなどまず有り得ない。有り得ないのだが…懐いていた犬が別の飼い主に自分以上に懐いたようなそんなどうにも納得が行かない気分になって、そして話を聞いた手前彼にどう対応すればいいのか分からなくなってしまっただけだ。

もし本当に彼女が居るというのならいつまでも自分の運命に付き合っていないで言ってくれればよかったのに。…と、苹果は少し眉間に皺を寄らせる。
彼は何でも自分に話してくれるから、きっと話さないことなんてなにもないなんて思っていた。
けれども、それは所詮自分の買いかぶりだったんだろうかと思えば更にやるせなくなって、思わず携帯を放り投げてしまう。

だがすぐにはっと気付いて、慌ててごとんと鈍い音を響かせ床に落ちた携帯に駆け寄り、両手で優しくそれを掬い上げた。

「あ、あちゃあ…やだ、壊れてない?壊れてないでしょ?もうっ、なにやってんのよ陽介の馬鹿!!」

首を左右に傾げて携帯を触って確認し、苹果は思わず理不尽にも此処に居ない相手に苛立ちをぶつける。
けれどもこんな事になった原因も運命を実行できない自分の原因も、すべてはすべて。あの男のせいにあるのは間違いないのだ。
どうせ今は恐らく、別の女といちゃいちゃラブラブ等と繰り返し「やっぱり俺の女は最高さ、下僕みたいな人生なんて飽き飽きだね」等とぶどうジュースの入ったワイングラスを片手に女を肩に抱いて高笑いをしているのに違いない。
それを思えばなんだか無性に腹が立ってきて、先程まで憂鬱だった自分がとても馬鹿らしくなってくる。

「(なんであんな男の事で私がッ)」

携帯を壊れんばかりに握り締めた苹果はバッと立ち上がると、ソファにある運命日記を開いて確認しだす。
そして今日のページをふむふむとよく読むと、ばたんとそれを閉じて鞄に仕舞った。

「(時間が書いてないし、なかなおりの件はもう後回し…今日は他の運命を実行しなくちゃ。)」

時計を見れば後数十分でで運命の相手と自分の逢瀬となって記された時刻になる。
急いで家を出なくては間に合わないかもしれないと鞄を肩にかけて、苹果は着の身着のまま、玄関へと走り出す。
服装は学校の制服のままだが、けれども靴だけはお気に入りにしていこうと考えて、苹果は靴箱の中からピンク色のペンギンマークのスニーカーを取り出す。
だが、それを取り出す際にまた脳裏に嫌な事が過ぎって一旦その手を止めた。

「(…そういえばこれ、陽介に買ってもらった奴だ…)」

それは今日と同じ曇天の日。
行き成り降り出した雨に運命実行し終わった自分と彼は慌てて帰路についていた時の事。
急いで帰らないと。と早く走りすぎたせいなのか、今日の為にと背伸びをして買った大人の靴が悪かったのか、自分は靴擦れを起こして途中でべたに転んでしまった。
幸いにも地面と全身キッスをする前に啓介が自分を抱きとめてくれた為に大事には至らなかった。
しかし、足の痛みは収まらず、結局距離的に近かった彼の家にお邪魔してお風呂を貸してもらった挙句に、彼からこれをプレゼントされた。

「荻野目、この間ショーウインドウに飾ってあったコレ見てただろ。
何が気に入るか分からなかったからとりあえずお前が見てたコレ買ってきた。」

だから帰りはこれ履いていけよ。あれじゃまたいつ転ぶとも限らないし危ないだろ、…え?何勝手なことをって…お前面と向かって買ってやるって言えば絶対遠慮するだろ、とおせっかいを発揮してくれた彼に怒鳴る暇もなく呆気に取られて、とりあえずその靴がお気に入りだった事に感謝して多くは語らずに受け取った。

けれど今になってはこんなもの受け取らない方が良かったと感じる。

「(形になるものって、こんなに重荷になるんだっけ)」

本当は携帯のようにこんなものと投げ捨てたいくらいだが、けれども靴に覗くペンギンマークを見てしまえばどうしてもそれが出来ずに苹果ははあと溜息をつく。
どうせ時間もないし、別にいいや。と考える事を放棄して、改めてその靴を履きなおした。
とんとんと踵を叩いて、ぴったりサイズである事を確認しながら扉を開けようとノブに手を当てる。
しかし、その前にピンポーンと調度タイミングよく、外来の音が鳴り響いた。
今まさに外に出ようとしていたのもあり、苹果はセールスか何かかと思いながらも、なんの躊躇いもなく扉を開ける。

「はい?」

今急いでるんですけど、とやや訝しげな顔で顔を上げれば、そこに居た人物に固まった。

「…幾らなんでも、あれだけ毎日あった運命の予定が暫くないなんておかしいだろ。」

自分の顔を見るなり、開口一番むすっとしながらそう話すいつも通りの彼の姿。
先程まで描いていたあの陽介の姿を見て、苹果は絶句し、そしてわなわなと震えだした。

「あ…あんた、なんで…」

あんなメールをしたのだから絶対今日は来ないだろうと確信していたのに。
思わず身動ぎをした苹果は、困惑しながら陽介を指差し「どうして此処に居るのよ!」と叫ぶ。

「なんでって…あんなメールが来たから可笑しいと思ってここまで走って来たんだよ。
最近ただでさえいつもあった習慣のような運命のお電話がなくて不思議に思っていたのに…」

お前、何かあったのか?と、逆に彼に心配され、思わず苹果はなにもないけどと小さめに呟く。
その答えを聞いた陽介はほっとしながら、けれどもやはり疑問があるのか「だったらなんで」と更に質問をぶつけてくる。
だが、黙っているだけの自分ではなく、苹果は思わず顔を上げて陽介が話す前に自ら叫んだ。

「わ、私にだって個人の事情と自粛ってのがあるのよッ。
だ、大体不思議に思ったなら電話かけてくればよかったじゃない!」
「こっちが必要とする時以外は絶対かけてくんなって言ったの荻野目だろうが!!!」

かけてきたら俺の恥ずかしい秘密ばらすって言って、脅しまでかけてきたくせに!と半泣きで怒鳴る彼の声を聞いて、はたとそんな事も言ったっけ…と思い出す。
だが、自分がそれを忘れていたのを悟られるのが悔しくて、苹果は「なによ」と反論する。

「ば、馬鹿みたいっ。本当にそんなの真に受けて従順に従ってるなんて、あんたってちょっと頭抜けてるんじゃない馬鹿なんじゃない?あんたは……あ、あんたなんて、彼女にだけよくしておけばいいじゃないのっ!」

「は、彼女?…何言ってんだ、そんなもん俺には……ああ。なるほど。彼女ね…」

暫く考え込んだ後、陽介は思い当たる節に突き当たったようで「お前もソレを聞いてたのか」と言って、言葉を濁した。
どうやら自分に言うかどうかを迷っているらしく、そんな姿勢が更にもやもやとして、苹果はなによ、はっきり居るなら居るって言いなさいよと、煮え切らない彼の態度に腹立たしくなった。
するとやっと意を決したのか、彼は「ええとだな」と苹果をちらと見てから息を吸う。

「それ、お前の事だって」
「………………はい?」

…どうやら話を要約すればつまりはその苹果の友達の友達の友達が見たという、陽介の彼女で、苹果の学校に通う女子とは、運命実行の為に彼と一緒に居た自分だったのだ。

度々自分達が一緒に居るのを見かけていたらしいその子が、自分と彼が付き合っていると勘違いをしたらしい。
その子が何気なくそれを友達&自身の彼氏に話したところ、苹果の友達に伝わり、陽介の友達に伝わり、苹果本人の耳に入って勘違いし、陽介本人の耳に入って弁解したという事だ。

確かにいつも自分達は一緒に居る。
そりゃ普通に考えて事情を知らない誰かからは自分と彼が付き合っていると見えても可笑しくない。
だがしかし、

「わ、私は多蕗さん一筋よッ!!」
「いや、分かってるって。」

そんな事言われなくても間近で見てるんだからと平然と頷く彼に、またよりいっそう恥ずかしさが増してきて、終いには苹果はがくりと肩を落としてしまう。

「(馬鹿みたい。私、なんでこいつに踊らされなきゃなんないの)」

というか、一人で阿波踊りをしていたのは自分なのだが、どうにもこうにも彼の事でさっきまで気持ちが下がったり上がったりと落ち着かない目に遭っていた苹果はやりきれない気持ちでいっぱいだった。
すると、目の前ではあとやや大きめな溜息をつく陽介。

「で、今日の運命は?」
「え?」
「え。じゃないだろ。今日も運命、あるんだろ?」

まるでいつも通りに何気なく接してくれた彼に、ぽかんと口を開きながら一応こくりと頷く。
すると「よし」と陽介は頷いた。

「じゃ、行くぞ。レッツデスティニーに。」

言って笑った表情はとても柔らかくて、一瞬その顔に見惚れてしまう自分が居た。
悔しくも、そんな彼を求めていたのだろう心がその言葉を吸収した途端、おなかいっぱいに満たされた。
どくんどくんと自分の思考と裏腹に動く心音に、きっとこれは怒っているんだ。勝手に来て勝手な事をして勝手に人の台詞を奪っていったこいつに私は腹を立てているんだ。と考えてぐっと拳を握り締める。
むうと頬を膨らませて、ぐいっと彼の腕を引っ張った。

「レッツデスティニーとか余計ッ、あんたはただ私に黙ってずっと付いてきてればいいのよ!」
「黙って、は無理だな。」
「今日は特別忙しい一日になるから…覚悟しておくよーにっ」
「イエッサー荻野目監督。」
「よろしいっ!……じゃ、いこっ。陽介。」

言いながら僅かに彼に微笑んで、掴んでいた腕を引っ張る。
彼はやれやれと言いながらも、にこりと微笑んでくれた。

◆雨は既に止んでいた。

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