泣き笑い道化師

□トライアングラーもどき
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バイト先から直行で此処に来た陽介は、玄関の前で一旦立ち止まり、首に巻いていたタオルで汗を拭い準備を整える。
よし、と息を一つ吸って「ちわーっす、三河屋でーす」等と言うわかる人にはわかるジョークを交えながら、陽介は軽快に戸を叩いた。
そんな自分の声を聞いて、愛する彼女が瞬く間に飛び出してきた。

「陽介ちゃんっ」と鈴のような可愛らしい声が響き、丸いくりくりっとした瞳が真っ直ぐに自分を見つめる。
きらきらと輝く彼女の笑顔は、まさにお姫様と言っても過言じゃない。

相変わらず今日の陽毬も可愛らしい。

陽介は陽毬の姿を見た瞬間にくらっと眩暈のようなものを覚えて一瞬意識を飛ばし、その後直ぐになんとも言えない「ひまりかわいい」という愛おしい気持ちに支配された。

「今日は遅かったんだね、陽介ちゃん」

えへっと目を細めて笑う陽毬に陽介はすぐさま我に返って「いや、ちょっとバイトが込み合いまして」と何故か丁寧語で彼女に接する。
陽毬はきょとんとしたものの、陽介が無意識に差し出していたパックに入った漬物を両手で受け取るとわあっと歓喜の声を上げた。

「いつもありがとうっ!陽介ちゃんの漬物って本当凄く美味しいんだよね。」

毎日の食事の一品に欠かせないよ。と、大事そうにパックに入った漬物を眩い視線で見つめる陽毬。
陽介はそんな陽毬にすっかり鼻の下を伸ばして、「いやいやそんなそんな」と片手を振ってだらしなく笑う。

「こんなの、凄く簡単に作っただけのものだから…ひまりがそんな大絶賛するほどでは…」
「そんな事ないよ、私だけじゃなくてしょうちゃんもかんちゃんもいっつも美味しいって言って食べてるんだからっ」

この味付けがなんとも言えないんだから。と、陽毬はずいと前に一歩出て、真剣な眼差しで陽介を射抜く。
陽介は握りこぶしを作って力説する陽毬に、少し照れくさくなりながら「そんな事言ってくれるのひまりだけだよ」と頬を掻く。

「私だけじゃないよっ。しょうちゃんなんかこの間、『僕は幾ら漬物を作ってもこの漬物には絶対敵いそうにない』って言ってたくらいだし、」
「あの晶馬がッ?!」
「そう、あのしょうちゃんが。」

むふんっと胸を張って我が事のように自慢する陽毬に、相変わらず胸がキュンキュンして可愛さが増すものの、陽介は晶馬の名前が出たことにぎょっとした。

晶馬と言えば、高倉家ご自慢の料理が上手いことで有名な弟君なのに、そんな彼の舌を唸らせるなんて、驚き以外の何者でもない。
陽介は「流石にそれはないって」と苦笑すれば、陽毬はむっとして「本当の本当なんだから!」としかめっ面で陽介を怒った。

「あのねっ、陽介ちゃん!陽介ちゃんの漬物は陽介ちゃんが思っている以上に我が食卓を支えている貴重な食料で、そして陽介ちゃんが思っている千倍位に、ううん。億倍位に美味しい代物なんだから!!
あのかんちゃんでさえ、陽介ちゃんの漬物を肌身離さず、独占して食べるくらい!
そして気付いたら空にしちゃうくらいなんだよ!」
「そ、そう、なんだ…」
「そうなんです!」

流石に陽毬の言う事は大袈裟なんじゃないかとも思うが、まさか陽毬が嘘を言うとも思わず、そして熱い眼差しには真剣さが受け取られて、陽介は圧倒されとりあえずは頷く。
すると忽ち陽毬は笑顔を取り戻して、漬物片手にくるりと廻った。

「うふふ。もしもこれが陽介ちゃんの作った漬物だなんて二人が知ったら、どれほど二人は陽介ちゃんを見直すんだろうね。」
「…あはは…(いや、正体明かしたら絶対嫌悪して食わなくなる可能性が大。)」

心の中でもしも自分が作ったという事を明かした際のシミュレートをして、確実に出来上がるだろう未来を想像し、陽介は口に出さずに苦笑する。

「もう、もったいぶらないで早く二人に話せばいいのに。これは陽介ちゃんが作ったんだって」
「いや、それはもうちょい…色々俺にも心の準備があるものでして…」

というのはただの言い訳で、陽介はこれからも二人に正体を明かす気はまるでなかった。
なにせ晶馬は自分に対して「一人じゃ何も出来ないダメ男」と認識しているし、冠葉にとっては自分は天敵のような存在だ。
そんな人物が毎日陽毬が絶賛するような漬物をおすそ分けしていると知ったら……間違いなくよくないことが起こるのは確実。

だからこそ、陽介は二人に正体を明かすのだけはやめてくれと陽毬に頭を下げて頼んだのだ。
それに実際の所、高倉家の為に作っているのは確かだが、それ以外の二人に明かしたら血祭りになる動機が陽介にはあったからだ。

「っていうか、これ…本当はひまりの笑顔が見たいだけで作ってるだけなんだけど…」

とは、ぼそりと呟いただけで本人の耳には届かず、陽毬はすっかり漬物の虜になって「今日はきゅうりの浅漬けかぁ、ナスもいいよねぇ」とうふふあははと花を辺りに散らしている。

まあいいかと、そんな彼女に顔を緩めて陽介は転ぶなよ、と陽毬に声をかけようとする。

すると、中から第三者と思われる足音が響き、確りした声が陽毬の名を呼んだ。

「陽毬ちゃーん?どうしたの、もしかして訪問販売?変な人?だったら私が…あ。」
「あ。」

だったら私が、の続きは一体何なんだ。とは一瞬思ったものの、現れたその姿によって陽介は浮かんだ言葉を一瞬にして失ってしまう。
そこに居たのは、何を隠そう陽毬の友達、荻野目苹果だったからだ。

「あ、苹果ちゃん。」

弾んだ声で陽毬が振り返る。
此方と目を合わせていた苹果が、それに気づいて陽毬に振り返り、「なんだ陽介だったんだね」と笑いかける。
陽毬は嬉しそうにこくりと頷くと、「ごめんね、一言いわなくて」と困ったように眉を下げた。

「なんだ、荻野目が先客だったのか。」
「なんだとはなによ、なんだとは。」
「わ、悪い意味で言ったわけじゃ」

陽介は中から出てきたのがまだ彼女でよかったと、内心ほっとしながら告げたのだが、どうやらそれが彼女には別の意味に聞こえたらしく不評を買ってしまう。
すると苹果はふんっと鼻を鳴らして腕を組んだ。

「どーっせ、私なんて二人の間にはお邪魔虫で必要のない存在ですもんねっ。
そりゃなんだとも言いたくなるわよ。」
「だ、誰もそんな事言ってないだろっ」

あからさまにへそを曲げてしまった彼女の様子に、陽介は慌てながらどうにか苹果を取り成そうとする。
すると、頬を膨らませて口を3の字に尖らせる苹果に陽毬も必死で声をかけた。

「そんな事ないよ、苹果ちゃん!苹果ちゃんは私の大事な友達なんだから必要ないなんてことないっ」
「…陽毬ちゃん…。そんな事言ってくれるの…陽毬ちゃんが初めてっ…ありがとう!」

鶴の一声とはこのことか。
陽毬の一言で忽ち機嫌をよくした苹果は、ぱあっと笑顔を浮かべてひしっと陽毬に抱きつく。
そこで終わればなんていい友情なんだとなるが、どうにも彼女のへそを曲がらせた当の本人が蚊帳の外という事を考えると複雑だ。

「あ、そうだ。苹果ちゃん、折角だから苹果ちゃんも食べない?これ」
「なに、コレ?」
「ふふっ、漬物。」

すると、あっと思いついた陽毬が未だに大事そうに抱えていた漬物のパックを苹果に見せて、穏やかな笑みを浮かべる。
目の前に差し出されたパックの品に、一度苹果は眼を瞬かせるものの、中身を知った後は「もしかして!」と声色を高く変える。
その言葉に陽毬はこくりと頷いた。

「そう、あのカレーの日に出した漬物と同じものだよ。」
「カレーの日?」

きょとんとする陽介に反応を返したのは意外にも苹果だった。

「そうっ。陽毬ちゃんと友達になった日に、陽毬ちゃんが出してくれた高倉家ご自慢のお漬物。
あの日は福神漬けだったんだけどさ、これとっても美味しくて!」
「へ、へえ…」

あんたはそんなの知らないでしょと言いたげに、これまた我が事のように自慢して語る苹果。
陽介は呆けつつも先程の陽毬の言葉を思い出し、中々捨てたものではないんだな自分の漬物もと、漸く納得する。
だがそれに気をよくしたのは当の本人の陽介ではなく、それを横で眺めていた陽毬だった。
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