泣き笑い道化師

□月は見えれどそこに在らず
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「…なにやってるお前。」
「なにって…たぶきさんのところにいこーとしてるのよ…」
「風邪引いたんじゃなかったのかお前。」
「今日はうんめいのしょやなのよ…かならずわたしはしょやをむかえなきゃ…」
「……話聞いてねーだろお前…」

苹果の母から彼女が風邪だという連絡が入ったその留守電を先程聞いて速攻お見舞いに行こうと思って家を飛び出した陽介。
よもやその途中で、顔を真っ赤にして意識を朦朧とさせている風邪を引いた張本人に出くわすとは思いも寄らなかった。
てっきり、一瞬風邪と言っても軽度のものなのかと勘違いする。
けれども話のかみ合わなさといい、明らかに焦点が合っていない瞳といい、これは確実に軽度で済まされるものではないなとすぐに理解した。

なのに何故、彼女は大人しく家で寝ていないでこんな場所に居るのか。
陽介は持っていた柑橘類や、冷えピタ。氷等が入った袋を後ろ手に隠し、じろりと苹果にきつい視線を向ける。

「お前さ、自分の状況わかってる?」
「はぁい…?」
「熱出てんだろ、お前。なのになんでこんなフツーに深夜徘徊しようとしてんの。寝てろよ、馬鹿じゃねえの。何処行く気?」
「しんや、ばか…どこ…、ねて…」
「…はあ。」

だが此方の視線を諸共せずに苹果はふらふら、ゆらゆら落ち着きなく動いている。
…駄目だなこれは、と早速に判断した陽介は、彼女を睨むのをやめて実力行使に出た。

「もういい。わかった。とりあえず帰るぞ、荻野目。
どうせ窓から脱走でもしてきたんだろ、母親に気付かれる前に部屋行って寝ろ。」
「! やああだああ!!」

呆れ眼で苹果を見た陽介は、その手を引こうと手を差し伸べる。
しかし、帰ると言うワードに機敏に反応した苹果は、瞬時に目をきらりと輝かせて陽介の掌をばしんっと強く払い除けた。
別にたいして痛くはなかったものの、自分を拒否した事にむかっと来た陽介は払われた手で握り拳を作ってわなわなと震える。

「…て、め、え…」

ひくついた怒りの笑顔を浮かべて、陽介は据わった瞳で彼女を睨む。
めげずに再度手を伸ばし、今度は無理矢理苹果の腕を掴んで引っ張った。

「ふざけろよ、こんだけの熱があってまだ行くと抜かすかテメーは。今日は運命が如何だろうと絶対帰らせる。」
「だあめだっていってるでしょおが、こんの馬鹿陽介!わたしゃねえ、絶対きょうはたぶきさんのトコに行かないといけないのぉおおお!」
「…お前本当にどうしようもないのなっ。」

ぶんぶんと首を左右に振り、子供のように駄々をこねる苹果。
何とか自分の手から逃れようと力任せに手を引っ張るも、陽介が握る手はびくともしない。
当たり前だ。男女差があるのに加えて、今の苹果は熱で体力を奪われているのだ。
そんな状態でまともに彼に対抗できるわけがない。
このまま彼女を家に連れて帰るのは簡単だと、陽介は判断して腕に力を込める。

「いくー、絶対たぶきさんちいくのー!」

だがしかし、今でも朦朧として頭から湯気を出しながらも、馬鹿の一つ覚えのようにそう叫ぶ彼女。
瞳に映る輝きは先程よりかいっそう強くなっていて、反論するのに応じて彼女の執念が増しているように見えた。
それを見て、どうせ連れて帰った所で、この女はまた性懲りもなく脱走するのだろうなと、悔しくも理解してしまう。
…子供よりもたちが悪い、と陽介は溜息を出して肩を竦めた。

「じゃあ、俺も連れてけ。」
「…ふえ?」
「いいな。」

どうせこうなるだろう事は目に見えていた。
結局彼女の気迫に自分が折れて、「もう好きにしろ」と手を離すくらい。
けれどもこんな彼女を一人で放って置けるわけがなく、放っておきたくないと思った陽介は、折れる半分自らもついていくという選択肢を選んだ。
その方がもしもいつ気絶したとしても直ぐに家に連れ戻せるし、少なくとも一人で一晩をあんな所で過ごさせるよりかは安全だと思ったからだ。

陽介は半ば押し切る形で返事を待たずに、彼女の腕を引いて先に進む。
苹果は的を得ない顔をして陽介をきょとんと見ていたが、やはりいつものように何か小言を言う気力もないのか、そのまま黙って彼に従った。
ずんずんと前を歩きながら、陽介はちくりと胸に棘が刺さったような痛みがずっと消えなかった。
握り締めたその手はやはり熱く、まだ熱を持っている。

「(こんなになるまで、この馬鹿は。)」

電車の中に入る頃には、既に初夜、初夜と言っているだけでまともな言葉を発しやしなかった。
内心薄らとこいつ本当に大丈夫かと陽介は思いながら、仕方なく苹果に肩を貸しながら少しの事には目を瞑る。

「涎垂れてる。拭け。キモい。」

簡潔に彼女を罵る言葉を使いながら、ポケットから出したハンカチで彼女の口元をぐりぐりと拭く。
いつもなら反論してくるはずの苹果は何も言わずにただ陽介に拭かれるばかりで、その後も虚ろな目をしてぼんやりとしていた。
はあ、と彼女に知られないように溜息をつく。

「(多分、俺も泊まりこみになるんだろうな。)」

覚悟はしていたが、まさかこんな形での塾になるとは思わなかった。
陽介はせめて寝袋でも持ってくればよかったな、とわざとらしく笑ってみせるが、それでもやはり気分は晴れない。
ふと見れば、僅かばかりうとうとしだした苹果の姿が目に入る。

「…荻野目、眠い?」
「ん…んーん…ねむくない、もん」

この程度、へいきなんだから。と相変わらずに舌足らずな声で苹果は瞬きをしながら否定する。
けれどもやはりその瞼は重そうで、何度も何度も彼女の瞳を一の字にさせた。

「…着いたら起こしてやるから、少し寝てろ、向こうで寝られても困るし…」
「やだ。どうせ陽介起こさない気でしょ」

何でそこだけはっきりしてるんだよ。
あからさまに不機嫌になった陽介はじろりと、苹果を見下す。
すると、いつもなら少しも怯えぬはずの彼女がびくりと震えてもじもじと俯いた。

「…はあ。」

本当に目の前のらしくない彼女には調子が狂う。
今度こそ声に出して何度目かの溜息を吐き、「そんな事しないから黙って寝てりゃいいだろ」といつもより優しげにぽんぽんその頭を撫でた。
すると、ぽかんとした苹果が眉を下げて訊ねる。

「…ほんと?」
「本当。」
「ぜったい?」
「絶対。」
「…やくそくだかんね。」
「おー。」
「…信じたからね。」

何度も確認をした後に、一度顔を上げて苹果はへらっと笑った。
そして、そのまま首を前にがくんと落として、瞼を閉じて小さな寝息を上げる。
陽介はそれを見守った後に、やっと素直に自分に従ってくれた彼女に安堵する。

「(…どうしようもねえ奴。)」

何が彼女を此処まで一心不乱に突き動かすか自分は知らない訳でもなかった。
けれども、やはりどうしても彼女の不憫さがどうにも報われなさ過ぎて、そんな運命やめちまえ。と言いたい衝動に何度も駆られた。

「(別にそれはあの人に嫉妬しているからとか、そういうのじゃなくて)」

別に思いが通じないのが辛いんじゃない。
運命の相手が自分じゃないのが嫌なんじゃない。
ただ単に、不確かな未来を求めて「運命」を探るように突き進む彼女が余りに健気で一直線すぎて苦しくて見ていられなかった。
本来の自分の人生を投げ打ってまでも、「運命」なんかに身を投じる彼女を見るのが、辛くて辛くて仕方なかったのだ。

けれども陽介は、こう思えどあえてそれを止めることは出来なかった。
無理に止めてしまったら、それこそ彼女の存在意義がなくなって、彼女が壊れてしまいそうな気がして恐かったから。

「(運命を支えにしているお前から運命を奪ったら、それはきっと、多分……)」

ちらりと、何気なく苹果の方を向けば、明らかに起きた時首を痛めそうな体制で寝入っている姿が見えた。
良く見れば鼻先からは鼻ちょうちんまで浮かばせている。
…こいつは、と先程まで考えていたシリアスな自分の思想を打ち砕く苹果の寝姿に、はあと溜息を吐いて背凭れに背を預ける。

「(…まだ起きんなよ。)」

心の中で言いながら、慎重に、そっと彼女を起こさないように彼女の頭を自分の肩に寄せようと手を伸ばした。
だが陽介が行動に移す前に、苹果はまるで此方の行動が見えているかのように、自然とこてんと彼の肩に頭を預けた。

どきり、と一瞬陽介の心臓が跳ね上がる。
だが、息を飲み込み気付かないフリをした。

「(こいつ、わざとかよ)」

やや悔しげに唇を噛み締めて、陽介はとりあえず自分の思った通りになった事に安堵して、空に上げていた手を下ろす。
すると、僅かに瞼を開いた苹果が「陽介?」と此方の名前を確かめるように呼んだ。

「…なんだよ荻野目。」

やはり起きてしまったか、とばちの悪そうな顔をしつつ、一応返事はする。
陽介の声を聞いた苹果はほっとしたように息を吐いて、陽介の手に自分の手を重ねた。

「よかった…ちゃんといるんじゃん…」
「だから居るって言ったじゃねえか。」
「陽介はうそつきだもんねー…」
「テメーに嘘ついたことはねえよ。」

彼女の方から重ねられた手に、こんなに荻野目が変なのは熱のせいと眠気のせいだと自分に言い聞かせながら自身を落ち着かせる。
だが、やはり心音は喧しく鳴っていた。

「…陽介ー……」
「おう。」
「…わたし、がんばるからね…」
「…おう。」
「ぜったい、うんめい成就させて…それで、ぜったいしあわせになるんだか、ら…」
「…ああ。」

ちくり、と小さく胸が痛む。
運命という鎖に縛られたこの彼女。
救われるのはいつか、それとも救いは来るのか。

「(来てほしい、というのが俺の願い。それが俺の幸せ。)」

◆どうか幸せに

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