泣き笑い道化師

□人魚姫は泡にならない
1ページ/2ページ


ねえ、もしも。もしもだよ。
私がもしも人魚姫で、陽介ちゃんが王子様だったとする。
それで陽介ちゃんは口も聞けない粗相も悪い私と、婚約者で可愛くて優しい隣国のお姫様の苹果ちゃんとどっちと結婚する?

そんな質問を投げ掛けたのは調度テレビで人魚をモチーフにした化粧水のCMが終わった時の事だった。
いつも通りのおうちデート中。
陽毬は隣で和やかにお茶を飲む陽介にふとそんな事を例えた。
陽介はその夢見がちな話にぽかんとして、暫し考えると疑問をぶつけた。

「なんでそこで、荻野目さんが出てくるんだ?」

本当はもっと他に聞きたいことがあったんだろうが、最初に湧いて出た疑問はそれだったのだろう。
陽毬はそれに、自分でもそういえばとはたと気付いたものの、飽くまでももしもの話なのだからそこまで深く考える事はないと言い張る。

「…もしもの話だからいいのっ。
陽介ちゃんが不満なら相手は三ちゃんでもいいんだけど…」
「いや、例えでも出来れば人間がいいです。」

試しにちょっと気遣いがてらの冗談をぶつけてみると、陽介はきっぱりと言ってから笑ってみせた。

「…っていうか、答えは分かりきってるだろ?」

すると、途端に真剣そうに今更ではないかと語る声。
陽介はお茶を一口、口に運んで喉を潤して一息つく。
その間に陽毬は相手の言わんとすることが自ずとわかって、彼の前に手を突きつけた。

「即答の結果は聞きません!」
「ええ?」

ぴしゃりと言い放つ陽毬の声に、陽介は目をぱちくりさせて困った顔をする。
陽毬はそんな彼に瞼を瞑って、「陽介ちゃんの言いたい事はよくわかるよ。」とはっきり一言。
恐らく彼が次に自分に紡ぎだす言葉は「自分の答えなんてそんなのもう決まってる。
迷わずにひまりを選ぶはずだ。」との、真摯でけれども小ざっぱりした彼氏として申し分のない答えに違いない。
そういう嘘偽りがない彼だからこそ、陽毬は陽介の事を本当に好きなのだが、今欲しいのはそういういつも彼から貰う嬉しい愛の言葉ではない。

「王子様は、なにも最初から人魚姫と恋人同士で大好き同士だった訳じゃないでしょ?
だから、陽介ちゃんも私と関係をリセットした前提で考えて!」
「…やけに本格的なもしもだなぁ…」

いつになく陽毬が真剣そのものだったため、陽介は軽く面食らって言う言葉を失ってしまう。
確かに陽介の言うとおり、不審なくらい本格的なもしもだなと自分でも思う。
だが、そのぐらい本格的でなくては、そして例え話として出なくては自分は臆病だから彼の核心に迫れないと思ったのだ。

自分が欲しかったのはいつものたった一つの答えではなく、そこに至るまでの過程。
自分にはどうしても彼が自分を本気で思っているという印が欲しかったから。

陽介と陽毬は一応一般的には恋人同士と呼ばれる甘い関係だ。
しかし、本来の所陽毬は後に陽介と結婚する予定を企てているので、婚約者だと考えている。

けれども実は自分達はそういう甘い関係を作り上げる際に、互いの事をどう思っているか等と普通の男女の付き合い方をしたわけじゃなかったのだ。

付き合う前の会話くらいはあった。
それは病室での出来事で彼が回数を数えるのも億劫になるくらい赴いてきた時だ。

陽毬が何気なく「私、陽介ちゃんのお嫁さんになりたいな」と言って、「ならお嫁さんになってください」と陽介が真剣に言ってくれたときの事。
この時二人の関係は始まり、同時に幼馴染に終止符を打った瞬間だった。
その時の陽毬はまるで夢でも見ているかのようで、けれども夢じゃないことを確かめて不謹慎な例えだが天にまで昇る気持ちだった。
それほどに幼い頃から自分は彼の事が好きで、それほどまでに彼を欲していたから。
なんでも自分のいう事を聞いてくれる彼を、
なにがあっても自分の隣に居てくれる彼を、
優しく額にキスをくれた彼を。

けれども物足りないと思ったのはこの後だ。
彼は確かに自分に何でも尽くしてくれる。

付き合う前からそうだったけど、自分が星を見たいといえば、夜中にこっそり病室に忍び込んで屋上に自分を抱き上げてのぼって星を見せてくれたし。
外に出たいといえば、おんぶしてわざわざ外に出してくれた。
自分はそんな彼と居るといつもどきどきしていた。

でも彼自身は決して自分に我侭を一つも言ってくれない。
一応は恋人同士であるという浅くはない関係なのに、陽毬には何一つ負担をかけてくれなかった。

あの頃は自分も体が弱かったために、彼はそれを気遣って何もしなかったと思った方が的確かもしれないが…けれども陽毬は、恋人同士にしては助け合いの精神がないと不満を抱いてしまったのだ。

そのせいで、陽毬の心には大きな穴が生まれた。
時々、彼が自分に行うそれは義務なんじゃないかと思う。
自分に逢いに来ないと呪いをかけるとか。
自分に逢いに来ないと罰せられるとか。
そういった類の自らの意思のない義務。

昔からその行動が板についているから今でも彼は逃れられないだけで、本当は自分のためではなく、他の誰かの為…そう。例えるならば兄達の為、彼らの負担を減らす為に自分に構ってくれるのではないか、とそんな卑屈な考えを生み出すようになった。

勿論そんな事自分の考えすぎに過ぎないことくらい、陽毬だって知っている。
彼の笑顔が今まで自分にしてきたことは偽りではないと語っていたから。
そもそも、本当に兄達のためであるならば自分が嫌われてまで陽毬に構うだろうかと。

余談だが、実は陽介は上記で述べたように陽毬の体の事を考えない向こう見ずな行動をしていたせいで、いつしか冠葉に快く思われなくなっていた。
晶馬は彼が自分の為を思ってやってくれているとわかって居つつも、やはりいい気はしていなかった。

多分彼と兄達が距離を置くようになったのはこの頃だったと陽毬は記憶する。
結局は自分のせいで三人の関係を壊してしまったのだ。

話を戻して、要するに自分の中の卑屈な不安を取り除いて欲しいが為、陽毬は陽介にこんな質問を投げ掛けたという事だ。
今更だと思われようとも、確信が欲しかった。
例えどんな繋がりがなくても彼は自分を選んでくれるのか。
繋がりがあるからこそ、自分を選んでくれるわけじゃないのかと。

「…ね、陽介ちゃん。」
「うーん…」

顎に手を当てて難しい顔をする陽介。
陽毬はそれを覗き込まずに、黙って距離をとって見つめた。
どくん、どくん、と揺れ動く鼓動。
冷や汗が浮かんできそうな嫌な心音に、陽毬はごくりと唾を飲み込む。
もしもこれで彼の言葉が自分の期待する答えではなかったら、それなら自分はどうするんだろうと言う不安を抱え。

けれども、どうせ自分は彼を放す気はないんだろうという確信を携え。

「……そうだな、俺は…」

すると、やっと顔を上げて答えを口にする陽介。
はっとした陽毬は、うん、と息を呑んで言葉を待つ。
いつの間にか自分達の間に優雅に空気を読まずに座り込んでいた三号を無視し、陽毬は真剣に彼の言葉に耳を傾けた。

「陽介ちゃん、は?」

どちらを選ぶ?何を選ぶ?

二人の間を支配する静寂が逆に煩く聞こえて、陽毬は速く彼の言葉が聞きたいと焦る。
だが。

「……っ、あ…?!」
「え。」

次の瞬間、陽毬の耳に入ったのは彼の答えではなく、電子的な機械音。
ぴぴぴと無機質に鳴り響くその音に、互いを見つめていた二人は同時に面食らい呆ける。
暫し二人はどちらともなく唖然としていたが先に動きを見せたのは陽介の方だった。
やっと現実に戻ったように自分の胸ポケットを探って、そこから現れたグレーの携帯を取り出す。
いまだ彼の手の中で振動を続けるそれに、陽毬はすっと気持ちが冷めた。

「(また、バイト先かな…)」

彼は軒並み忙しい。
兄達と変わらない年齢なのに毎日をほぼバイトに費やす日々を繰り返している。
何件もバイトを一日にかかけている彼は時々こうして、デート中にも仕事の要請が掛かってくることが屡だった。
陽毬はすぐに、とは言えないがなんとか納得してしょぼくれる。
お仕事だから理解しなくちゃ、とはわかっていてもやはり残念なのは残念だ。
…いやまてよ。
それともまさか、知らない女性だったりして。と、ふと嫉妬じみた考えを持った。

だが少し考えてその線はないなと、直ぐに切り捨てる。
何故ならばわかりやすい彼が浮気なんてしようものなら、直ぐに自分が気付くはずだからだ。
彼を毎日のように観察しているため、自分には彼が嘘をつく瞬間が手に取るようにわかる。
だが大抵は彼の嘘は人を思いやる様な類の嘘なので黙って騙されるのだが…。

なんて、自己の世界に陥っていればちらっと此方を心配そうに陽介が振り返ったのが見えた。
我に返った陽毬はすぐさま、良い子を振る舞いにこりと笑う。
出ていいよ。と口には出さずに視線で告げ、すっと手を差し出す。
酷く申し訳なさそうな顔をした陽介は、陽毬に小さく「ごめん」と言って、携帯を開いた。
そこに映し出された名前を確認するなり、陽毬の前で隠れる事無く通話する。
その様子に、陽毬は少しほっとした。

「……あれ?」

すると、今度は部屋中に先程と似たような、けれども少し高い音が鳴り響く。
陽毬は一瞬驚き、それが耳慣れた生活音の一部だと気がつくと、はっと自分も慌てて立ち上がった。
動揺した顔で此方を見上げる陽介にぺこぺこと謝って、急いでその音のするほうに向かう。
すると、再びいつの間にか前に居た三号が電話の先を指差していた。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ