泣き笑い道化師

□人魚姫は泡にならない
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…その電話は兄達の帰宅を告げる冠葉からの電話で、陽毬は複雑な気持ちで応対した。

彼らが帰ってくることは、イコール自分達のデートの時間はもうおしまいという事だ。
先程の答えもまだ聞けていないうちから終止符を打たれて、陽毬は軽く途方にくれた。
出来る限り普通に振舞い、電話を終えて、彼の元に向かおうと振り返る。
此方が家族の帰宅を伝えようとすれば、けれども先に向こうの方から「ちょっと今から仕事来てくれないかって言われちゃって…」とぽつりとと零した。
申し訳なさそうに俯いて、しょぼくれる彼。
陽毬はそんな彼を宥める言葉を作りながら、さり気無くもう直ぐ兄達が帰ってくることを話した。
兄達へのショックは然程ではなかった様子だったが、それでも多少凹んでいる陽介。

だがそれは彼だけではなく自分も同じだ。
寧ろ自分の方が辛い。
これから彼を送り出さなければいけないのだから。

「それじゃあ、ちょっと行って来る…」
「うん。いってらっしゃい陽介ちゃん」

いつも通り、玄関で彼の背中を見送って陽毬は小さく手を振る。
その隣で、三号もやはり無表情に手を振っていた。
表情は笑顔を作りながらも、心の何処かは寂しい気持ちと不安な気持ちが入り混じっていた。
これがもしも新婚だとか夫婦とかなら安心して彼を送り出せるのに。
けれども彼の帰ってくるうちは自分の家ではなく隣の家だから「いってらっしゃい」は言えても、「おかえりなさい」は言えない。

陽介は仕事用の時計を左手に括り付けて、何かを言おうと陽毬に顔を向けるも、やはり止めて頼りなく微笑んだ。

陽毬はいつも通りに「またね」と当たり前の挨拶をしてその後に「次のデートにはお煎餅をもっと用意しておくね」とさり気無く次の約束を取り付ける。
彼は何にも不審に思わずに安堵したように微笑んで、頷いた。

じゃあ、と改めて此方に断りを入れて陽介は背を向ける。
陽毬は最後まで彼の前では明るい表情を装って、元気良く送り出した。
これでいいのだと心の中で自分を納得させて。
どうせ明日になったらまた必ず出会える。
そうしたらその時答えは聞けばいい。
焦らされるのは少し悲しいし、やはりまだもやもやとして納得いかない気持ちはあるけれど、それでも彼を無理矢理縛り付けるのはやはりこれ以上できそうになかった。

「(あんまり、陽介ちゃんの優しさに甘えちゃ駄目…)」

思った瞬間、帰り際にふと彼が振り返った。
なにか忘れ物でもしたのだろうか、と陽毬は暫しきょとんとする。
しかし振り返った彼に少しだけ心が躍った。

「あのさあ、」

と、早足でこちらに来ながらやや大きめな声で彼は口を開いた。
対して陽毬は小さく声を出しながら仕種だけで頷く。

「うん。」
「俺さ、やっぱり無理だ。」

脈絡のない発言に「え」と、口をぽかんと開けて「なにが?」と陽毬は驚く。

「さっきの質問。」

返ってきたその言葉に陽毬はどきりと胸を鳴らす。悪い意味で。
それは一体、どういう意味でだろう。と僅かに絶句した陽毬はぽかんと開いた口をゆっくり閉じて、なんと声をかけようか迷う。
だが、陽毬が口を出す前に先に陽介が一歩こちらに戻って再び声を張った。

「考えても考えても、やっぱり俺はひまり以外選べない。
答えはそれ以上出てこない。」

きっぱりとした、断言。
あまりにもあっさり過ぎるその答えに、確かに予想はしていたけれど、やはりきょとんとした。
だがそれも一瞬の事で、陽毬は直ぐに言葉を返す。

「…関係、リセットで彼氏じゃないのに?」
「ないのに。
俺は好意とかそういうの全部ひっくるめてひまりっていう人間を確実に好きになるって確信してるから。」

なんだ、その不思議な理屈は。と冷めた心は思い、けれども乙女として純粋に嬉しい。
まるで彼と言う人間が自分と言う人間に恋する定めみたいな事を言うから。

「…私なんて、普通の女の子とは違うのに」
「確かに普通の子よりもめちゃ可愛い。」
「な…」

そ、そういう事を言ってるんじゃなくて!
と、陽毬は怒りかそれとも恥ずかしさか、真っ赤に頬を染めて声を張る。

「む、昔から私は普通の子じゃなかったし」
「うん。一番可愛くて一番輝いてた。」
「…そんなの、陽介ちゃんの方じゃない…」

自分の目にした中では初めて兄達よりも輝いていた男の子だった。
何をするにも厭わない。自分の為に何でもしてくれる優しい子。
なにがあっても自分の傍に居てくれる、自分だけを真剣に見つめてくれるかっこいい子。
真っ直ぐに愛を向ける彼だからこそ自分は彼を愛したのだ。

「俺が?まさかぁ。」
「本当だよ。いつだって、いつも私が見ている限り、陽介ちゃんは輝いてた。
ずっとずっと、まるで夜空の星みたいに。」

だからその光が欲しくて、欲しくて、ずっと隣に置いていた。
そうして気付けば手放せなくなっていた。
ちょっとでもその光がどこかに消えてしまったら不安で不安で仕方なくて、その光を手放したら自分はどうすればいいのか分からず途方にくれたくらい。

「じゃあ、もしそう見えて居たんだとしたらそれはひまりが作った俺だったんだな。」
「…私が?」
「そう。俺ひまり関係じゃないと全然力湧かないし、輝いている自覚なんて全くない。
元からないけど。」

へらっと微笑む目の前の光。
愛しい人は、さらりと恥ずかしい事を恥ずかしげもなく言って、そうしてまた陽毬の心を揺れ動かした。
そんな風に言ってくれるのは単なる優しさじゃないのか、一人の人間に対する慈悲じゃないのかとまたひねくれた考えが顔を見せる。
だから、陽毬は鉛のように胸の中にたまって重くなる考えを、それ以上胸において置けずに、息苦しくなってぽつりと口に出した。

「……恨んでない?」

貴方と兄達の関係を壊させた自分を。
声のトーンを落として告げる唇に、陽介はぶんぶんと首を左右に振る。

「考えた事もない。」

はっきり告げるその答えに、ひとつ鉛は砂になって消えた。

「嫌いに…なるかも」
「天地がひっくり返ってもないな。」

例え選んでくれたとしても、自分は彼を幻滅させるような事を何度でも繰り返してしまうかもしれない。
だが、そんな不安を打ち砕くようにあっさりと陽介は胸の前でバツ印を手で作る。
また一つ、鉛は砂に変わっていく。

「浮気、しちゃうかも」
「それは結構辛い。けどまた振り向くよう頑張る。」
「し、しないけどッ」

自分で言っておきながら、ここだけはきちんと否定する。
だって彼以上に好きになれる人はきっと今生では絶対存在しないと思っているから。
それを聞いた陽介はほっとしたように胸を撫で下ろす。

「私、我侭だし」
「裏を返せばそれ素直ってことだろ?」

隠さず何でも言ってくれるのは嬉しいです。と、彼はどんと胸を張った。
彼の考え方はやっぱり何処かおかしい。と思いつつも、その解釈は嬉しかった。

「…かんちゃん達から、嫌われちゃう…」
「平気だよ。嫌われても俺はずっとかんばもしょうまも好きだから。」

嫌われても好きと胸を張って言える彼がやっぱり好きだった。
強い意志と言うよりも、まるで当たり前のようにそう言い退ける彼が凄く凄く温かかった。
でも欲しいのはそれではなくて、
寧ろその答えが欲しいのは、
自分の本当の求めているものは、

「…私の事、好きですか?」
「大好きです。」

だから、結婚しようって言ったんだろ。
まるで太陽みたいに笑う陽介に、陽毬は目が眩んで泣き出しそうになった。
いつの間にか心にたまっていた霧は晴れ、息をするにも凄く軽い。
ずきんずきんと鳴っていた心臓の痛みが、どきんどきんと心地いい痛みに変わっていく。
それを作り出した張本人を見て、陽毬は精一杯に微笑んだ。

「私は、陽介ちゃんの事を愛してます。」

言うと、真っ赤になった陽介が、物凄く幸せそうに微笑んだ。
それを見てまた陽毬の心は跳ねる。

「告白、遅くなってごめんな。」
「私こそ。遅くなってごめんね。」

今度は銀紙の指輪じゃなくて、本物の指輪を用意するから、とカニのように真っ赤になった彼が言った。

◆これは運命 と信じたい
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