泣き笑い道化師

□彼の清涼剤は多分君
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最高に疲れて何もしない何もしたくない何もやる気が出ない。
やらなきゃいけない事は山ほどあるのに、もうそこまで出来る気力がない。

陽介はそんな状態でありながらも後数時間で身体を休めて再びバイト先という名の戦場に赴かなくてはならないという使命を背負っていた。
だから陽介にとってこの空いた時間の休息というのは黒板に添えられたチョークのように、砂漠におけるオアシスのように、或いはメイド服のガーターベルトのように必要不可欠なものなのだ。

だがしかし、彼の持ち前の不幸気質がそう簡単に上手く事を運ばせてくれるはずがない。
そもそも、休憩を取る為に自分の家ではなく、先に漬物を届けようと高倉家に向かったの第一の間違いだった。

「せいぞーん、せんりゃくーーーーぅッ!」

玄関に出てきた晶馬と他愛ない話を繰り出して、促されてちょっと家にお邪魔した所、なんともまあとても素敵なタイミングで張りあがったその声に、陽介はその場で絶句した。

そして世界は暗転。

瞼を何度か瞬かせると、その場は以前目にしたファンタジックな空間に早代わり。
そしていつの間にかかけられた手錠と、目の前の階段の上で此方を見下すような女王様姿の陽毬に、来てしまったんだな。と陽介は肩を落とした。

「(…俺が一体何をした。)」

このタイミングでのこの生存戦略は、非常に運が悪いとしか言いようがない。
そして、確実に自分を休ませてくれないに違いないことは確かだった。
盛大な溜息を吐きながら、陽介はあの見慣れた部屋の中からめっきり変わってしまった空間に完全に脱力した。
最早隣の晶馬のように、リアクションをして驚きを表現することすら出来やしない。

「きっと何者にもなれないお前達に告げる、」

と、いつもの陽毬…ではなくプリンセス様の口上が始まり耳に届く。

「いや、告げなくていいです…」

がくりと肩を落としたまま、陽介は思った事を素直にぼそりと呟いた。
いつもならこんな恐れ多い事を口に出来るはずもなく、ただ彼女に従うだけなのだが、早く休憩を取りたいという焦燥とこれ以上やばい事になりたくないという神経のすり減りからきた疲労がそうさせた。
案の定、その陽介の発言に反応して、気分を害したプリンセスがぴくりと眉を吊り上げる。

「あァん?……下僕、童に何か言ったか。」

目線だけを動かしてぎろりと陽介を睨んだプリンセスは、地の底から響くような低い声を唸り上げて表情を歪めた。
いつもならばその彼女の威圧に耐え切れず、陽介はハッと我に帰って申し訳ありませんでした等の平謝りを繰り返すに違いないだろう。
しかし、やはり今の陽介にはそこまで出来る元気と気力がない。

「勘弁してください、俺疲れてるんですよ本当…」

だから陽介は素直に自分の状態を告げて、はあと息を吐く。
いつもと違うその様子を察した晶馬が目をぱちくりさせながら、心配げに此方の顔を除きこんできた。

「陽介…だ、大丈夫?そう言えばなんか顔色悪いような気がするけど…」
「あ、うん。平気平気。それはあれだ、多分照明のせいとかも入ってるだけだから…」
「照明はいつもの明るさのつもりだがな。」

晶馬に心配をかけまいと陽介はへらっと彼に笑うも、プリンセスの容赦ない一言にフォローは潰されて陽介は顔を歪める。

「プリンセス…意地悪やめてくださいよ。」
「意地悪なんてしていない、童は本当の事を言ったまでだ。…ふん、どうせ貴様の事だからそこの下僕に心配をかけさせぬように適当な事を言って見せてるだけなんだろう。逆にその方が意地悪だろうが。」

けっと吐き捨てるプリンセスの言葉を聞いて、厳しくなった表情で晶馬が「そうなの陽介」と此方を睨んでくる。
陽介はそれに上手く返事をすることが出来ず、「実は、ちょっとバイト疲れで眠くて…あ、でもそれだけ」と簡潔に彼に答えた。
するとそれを聞いた晶馬が顔色を変えて、此方に何かを言いたげに口を開いた。

「なんだその程度で、情けない。
女の子の日の雌豚共の痛みに比べたら、貴様の痛みなど道端途中で卵を落とした程度にしか過ぎん。」
「いやそれ結構痛いよ!?心がっ」

だが、晶馬が何かを言う前にプリンセスが遮った。
言おうとした言葉をなくして、代わりに晶馬はプリンセスにすかさず反論する。
流石主夫の鏡。
だがプリンセスは彼に見向きもしないで「お前には聞いてない」とはっきり一蹴すると、後ろの二号に合図を送った。
すると後ろで先程自分が晶馬に贈ったはずのモナカを食べていた二号が、後方にある赤いボタンを押そうと動きを見せる。
気付いた晶馬はすぐさま振り返り、慌てて待ったをかけた。

「うわあ!ちょ、待って待って!ストップストップ!!」
「ストップはない。GOならある。」
「じゃあ俺をGOさせてください、いっその事。」
「ふざけろ、貴様には積もり積もる話があるのでこんな所で簡単に返さん。つーか、貴様の休憩時間が終わるまで返してやるか。」
「ああ、ですよねー。」

さっさと晶馬を切り捨てる代わりに、自分に対して断固として執着を見せるプリンセス。
先程の事を根に持っているらしく何が何でも陽介の事を手放そうとしないプリンセスに、陽介はこれはもう駄目だな、と自らの事なのにあっさり見切りをつけた。
陽介は色のない瞳でフッと笑うと、晶馬に振り返り軽く手を振る。

「晶馬、それじゃあまた。」
「いやまたじゃないよ!陽介、諦めるの早すぎだろ!!」
「や、もうなんか…休めないんならいっその事もうやる事為す事に身を委ねて、頭を休憩させようかなーと思いましてははは。」
「目が死んでる!陽介の目が死んでる!ちょ、しっかりしなよ陽介ッ」

横暴たる女王様は再度二号に目配せをし、今度こそ二号は晶馬の滞在の終わりを告げるスイッチを足で押した。
その瞬間、がこん、と重い音が耳に届く。
晶馬は勿論陽介も覚悟を決め、陽介は目を閉じた。

「ちょっ…僕来た意味あったぁあああぁあぁぁぁ……」

ご尤も。

実に如何にもな事を言って奈落の底へと消える晶馬を哀れに思い、陽介は苦笑しながら後で彼に何か労いをしよう。と決意する。
だが、彼が居なくなったことによって静まり返った辺りの雰囲気に、陽介の眠気が再来した。
くらっと一瞬眩暈のようなものを感じて、陽介は瞼を何度も開閉させて眠気を飛ばそうと試みる。
すると、目の前の階段をこつこつと歩いてきたプリンセスが、此方に声をかけてきた。

「さて…それでは貴様にきっつーいお仕置きタイムと童のうさ晴らしと行こうか。」
「ですよねー、そう来ますよねやっぱ。」
「ふふ、楽しむがいいぞ。今日は童の機嫌は最高潮に悪くてな。お前に対するうさ晴らしもフルコースで行こうと思っているのだ。
さあ、泣け、喚け、騒げ、帰してくださーいといつものように騒ぐがいい。」
「うん、ああ…」
「おい、どうした。童を前にして恐れを抱かずともよいのだぞ、どうせこれから恐れも感じられぬくらいのきっつーぅい罰が待ち受けているんだからな。」
「はぁ、それはそれは…」
「今の貴様でも耐え切れぬくらい、否。お前の尊厳を潰すくらいの最低で最悪で裸足で逃げたくなるような罰を与えてくれよう。」
「うん…そっか…うん…」

「…時に、今のバイトは何をやってるんだ貴様。」
「今は…たい焼き屋……」

曖昧になんとか頷くと、プリンセスは虚ろなその返事に呆れた顔をしていた。
瞬間、プリンセスに腕を掴まれてぐいっと其方の方へと引き寄せられる。
いつの間にかうつらうつらとしていた自分はその勢いにハッと瞼をぱちくりさせて、やっと感情を震わせることが出来た。

「……へ、」
「寝ろ。」

たった一言そう告げられて、プリンセスは座り、そしてその膝の上に自分は落ちる。
まるで縺れ込む様にして無理矢理寝かせられた事に、陽介は驚きながらも、けれども反論することが出来ずにそのまま目を両手で覆われた。

「腑抜けたお前を相手にしてもつまらん。…止むを得ん、今は無礼講としてやるゆえ、しっかり身体を癒せ童貞。」
「……」

それきり、プリンセスは黙り込み此方の耳に何も伝えてこなくなった。
先程まで怒涛の勢いで話していた彼女が一瞬の内に黙り込んだせいで、陽介の周囲に暫しの静寂が訪れる。
その静寂を感じた途端に、疲れがどっと押し寄せて自然に瞼を閉じてしまった。
やがて、いつしか完全な闇の世界が訪れて、そして意識は溶けて行った。
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