泣き笑い道化師

□宵月の中君を想う
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「マリオは寝たのか?」
「ええ。ぐっすりと。…本当に、良く眠っているわ。」

まるで、死んでしまったかのように。
パタンと部屋の扉を閉じて、真っ直ぐに窓枠に向かう真砂子に、彼女の執事である少年はきろりと漆黒の視線を向けた。

「あいつが居るのに、まだ追いかけてるのか高倉冠葉の事。」
「ええ。」
「高倉冠葉のことが、そんなに好きか?」
「ええ。」

間髪入れない即答。
分かっていたが、やはり寂しいものがある。
真砂子は外の景色を眺めて、ふうと息をつく。
それを背後で眺めながら、陽介は別の意味で溜息を吐いた。

「あんた、報われねえよなあ。」

ハッと真砂子を嘲笑うかのように笑った陽介は、がしがしと頭を掻いて彼女の背中を眺める。
それは自分にも言えることであるくせに。
真砂子は此方に振り返る事はせずに、ただじっと月明かりが照らす、暗闇の庭を目にしながら物憂げに黙りこんでいた。

「…あそこに、」
「ん?」
「……いつも、あの場所に、あの人が居たの。」

ふと真砂子が枯れた声を押し出しながら、何処か一点を眺めて指差す。
陽介は顔を上げて一度瞼を上下させた後、真砂子が指し示す先を見ようと歩き始めて彼女の真後ろに立った。
よく見ればその指先は小刻みに震えていて、真砂子の顔も暗闇の中とは言えど少々青白い。

「…ジジイか?」

この家の執事風情であるというのに、元の当主を乱暴な言葉遣いでジジイ扱いする陽介。
けれど真砂子はそれを咎める事はなく、ただこくりと頷いた。

「いつも、この窓を開ければ必ずそこにあの人は居たわ。いつも、いつも。いつも……」

何度も何度も同じ言葉を続ける真砂子の表情は徐々に険しくなり、眉間の皺も濃くなる。
窓に当てていた掌をぎゅうっと握り締めると、硝子に映りこんでいた彼女の口元が噛み締められた。

「死んだんだからいいじゃねえか。」

身も蓋もない事をあっさりと言いながら、彼は彼女の肩にぽんと手を掛ける。
すると、はっとした真砂子が唇を緩め、僅かに掌の力を抜く。

「…そう言う、問題じゃないのよ。」

けれどもまだ声色だけは変わらぬままで、真砂子は彼に反論した。

「死んでも、その人の存在が大きければ大きいほど、心の中に残り続けるの。
まるで、亡霊のように。いつでも、いつでも、いつまでも。」

それが憎しみの感情であっても、生前で行った面影が大きければ大きいほどに、その人の心に擦り付けられて、消えることはない。
要するに、肉体は朽ちて死んでも、決してその人物自体は消えて死ぬわけではないのだ。

「なるほど。人が本当に死ぬ時は誰の頭からも忘れられる時ってか。
詩人だねえ。」

茶化したような口調で居ながらも、その瞳は笑っていない。
陽介はじっと窓の外を据わった目で眺めながら、苦々しそうに吐き捨てた。

「捨て子の俺からすりゃ、実に羨ましい話だよ。」

自分は人の記憶に残るような偉大な功績をした事もなければ、ましてや生きている事が不思議なくらいの人間だ。
だから、例え自分が死んだ所で誰の気にも留められないし、直ぐに肉体も存在も消滅する。

「…そんな、事はないわ。」

すると、真砂子がやや声を震わせながら、その陽介の言葉を否定した。

「貴方の事は、例え居なくなっても私がきちんと覚えているもの。
ふざけた態度で昔から失礼で無作法で無気力で嫌味で最低で馬鹿な男だって。」
「ひでえ覚えられ方だな。」

真砂子が溢す一言一言に悪意が受け取られるような気がして、陽介はぴくぴくと眉を動かして引きつった笑いを浮かべた。
けれども、決してそれは本気で彼を嫌がっての悪意があるわけではなく、親しい者が親しい相手に対するようなそんな軽口に近かった。

「だって本当の事じゃない。」
「……いいや、違うな。」

窓から見えた真砂子の口元が僅かに緩んだを視認して、陽介は神妙な口振りに変わって否定した。

「そこに追加しておけ。
どうしようもない位に夏芽家のお譲さんに狂ってる馬鹿男、ってな。」

親指で自らの胸を指差して突くと、陽介は口角を上げて自信満々にそう彼女に告げる。
すると真砂子は呆気に取られたように口をぽかんと開いて、暫し黙り込んでしまった。

「…ねえ、貴方はどうして私が良いの?」

漸く振り返った真砂子は彼を見上げて、何処か弱弱しく訪ねる。
陽介はきょとんと首を傾げた。

どうしてなんてそんなの。
今更聞くことでもないくせに。
強気な所も、ストーカーな所も、高倉冠葉を心より愛している所も、凛々しい所も、愛しいマリオの為に頑張る所も、自分の目的の為に手段を選ばない所も。

本当は凄く脆くて、いつでも泣き出しそうなのに気を張っているだけの所も。

そのどれもが自分の目を惹きつける、自分の彼女を好く理由なのだ。

「お前だから良いんだよ。」

強気な女はごまんといる、ストーカー性を持つ女も、凛々しい女も、彼女の持ち揃えているものを固有している女など何処にだって存在する。
だがしかし、世界広しといえど『夏芽真砂子』と瓜二つで総て同じ女など一人も居ない。
否、自分にとっては絶対に存在しないのだ。

「……わからないわ、」

かぶりを振って、目を伏せて俯く真砂子に、ふっと陽介は笑う。
だって私なんて。と口にしそうになる真砂子の口元に指をつけて、無理矢理黙らせた。

「わかんなくていいさ。」

彼女の背にしている窓に手を当てて、やや屈んで彼女の顔を覗き込んだ。
そうしてよく真砂子の顔を見れば、僅かに朱色に彩られている事に笑みを浮かべる。

「俺も、同じだ。お前が俺に言ってくれた事と。
もしお前が居なくなっても、お前のすべてが強烈過ぎて忘れられないし、忘れてやらない。」

「…嘘よ、所詮人の記憶なんて儚いもの。」

球一つで記憶を消してしまえるものなのよ。
そう真砂子が苦しそうに口にして、彼女の語ることが本意ではない事に気づく。

「じゃあ忘れないくらいにお前の総てを俺に刻み付けてくれよ。
何度記憶をなくしても、例えお前が俺の目の前から居なくなっても忘れようのないほどに。今以上に。」

彼女の中における冠葉や、祖父、父、マリオと同じ位、自分の中にも強く強く彼女を刻み込んで欲しい。
例えこれから先、なにがあってもどのような事に巻き込まれても。
二度と消えぬ位の強い強い輝きで。

「…ずるいわ、陽介。」

すると真砂子は陽介の頬に両手をつけて、今にも泣き出しそうな表情で目を潤ませて彼を見た。

「貴方がそうして私を求める度に、私の中の貴方も消える事が無くなってしまうと言うのに。」

◆だから、私は貴方が嫌い。

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