バレンタイン企画
□「名前忘れた」
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※GEBエンディング後
リンドウがそれに気付いたのは夜のことで、もうアナグラは静まり返っていた。アナグラのささやかな平和を打ち消すように、今日もアラガミはあちこちで発生した。ひとりふたり報告を終え、自室に帰る。最後に帰ってきたのがリンドウだった。
それは、ひっそりと置かれた小箱。最近新しく宛がわれたリンドウの部屋の扉の前に置かれた、リボンのかけられた小さな箱。
リンドウはそれを拾い上げ、そういえば今朝はクッキーを貰った、と思い出す。
バレンタイン・デー。感謝や恋慕の情を込めて、菓子を贈る日。時代のせいでそう特別なものを用意するのは難しいが、手製のクッキーなどを配ることは、極東の女性陣の間で一種のブームとなっていた。リンドウ自身も、朝からいろいろと貰っている。シンプルなクッキー、塩味のパイ菓子、奥さんと二人で空けることを約束した洋酒。
これは誰からだろうかと考えつつ、リボンを解いて箱を開ける。中にあったのはチョコレート色をしたケーキだった。きれいに丸く膨らんだカップケーキ。リンドウは手を止めて、それを眺める。
(このご時世に、贅沢なもんだ。チョコレート、小麦粉、砂糖、バター。……こんなによく手に入ったな)
同封されたメッセージカードは、おそらく自室ターミナルで作ったものだろう。あて先にコードネームで書かれた自分の名前を見て、リンドウは呆れ混じりの溜め息をついた。贈り主の名前はない。
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私がバレンタインデーを知ったのは、ずいぶん前のことだった。ターミナルで調べものをしていたときに脱線して見つけた、旧世代のイベント。今よりずっと豊かだったその時代には、いろいろなものを手作りしたらしい。手作りのお菓子をプレゼントして、想う人に気持ちを伝える日。
それから、私は少しずつ材料を集めた。ターミナルの蓄積情報に、レシピはいくらでもあった。任務に出れば出るだけ、嗜好品の要望が通る。第一部隊の隊長という立場も、それには便利だった。
今年のバレンタインは、私が考えていたよりもずっとにぎやかなものだった。誰かが、私のように情報を見つけたのだろう。感謝や恋慕の情を込めて菓子を贈る。その解釈は女性陣に広まって、私も一緒に、配るための小さな菓子を作った。それは日ごろの感謝を込めたもの。
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リンドウは疑うことなく、届いたケーキを食べる。
(誰かなんて判ったようなもんだ)
見た目の期待に違わないチョコレートの味。ふわふわと柔らかい食感。
リンドウは、それを作ることができるのは一人だけだと気付いていた。正確に言うなら、その材料を手に入れることは、恐らく彼女以外にはできない。第一部隊の隊長がどれだけ過酷だったか、リンドウは身をもって知っている。
(まったく、あいつもまた素直じゃないな)
丁寧に作られた菓子。材料を集めるのにも苦労しただろう。残された過去のレシピ通りではうまくいかないこともあっただろう。リンドウはそうと理解した上で、名無しのケーキを食べる。大昔の日本で、バレンタインのお菓子がどういう意味を持っていたか、知らないはずもない。
(知らないふりを、するべきだろうな)
最後の一口を飲み込んで、リンドウは煙草に火を点けた。ゆっくりと、思考に沈んでいく。
(無記名だから判らないとでも思ったか?)
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私には、無邪気な素振りなんてできない。特別お世話になったから、なんて、言って笑って渡すなんて、できない。
メッセージカードには、何も書かなかった。なるべくそっけなくなるように、コードネームを書いただけ。
あれは感謝の気持ちなどではない。私は、だから名前を書けなかった。名前を忘れたふりをして贈った恋心。身の程知らずな新兵からとでも、思えばいい。
好きだった。
名前忘れた(のは、もう、終わりにするため)
◎ひとこと
企画に参加することができ、とても嬉しいです。
GEBエンディング後のリンドウ夢小説です。苦手だった方はすみませんでした。