原初の章
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降り立った屋敷内に踏み込むと、待ち構えていたように女官が両端に整列している
道中一言も音を立てず、動きもしなかった子供を下ろすと、男はその身柄を女官に渡した
「身なりを整えさせよ。私も湯に浸かる」
顔を隠した女性たちに自身の身を預けられたハクは、奥へと歩いていく姿を一度見た後、女たちに手を引かれるまま足を進めた
見たことのない造りをした通路を歩いた末に辿り着いたのか女たちの歩みが止まり、自然とハクの歩みも止まる
「体を綺麗になさいましょう」
「そのままでは、ヒュプノス様に失礼ですわ」
女たちが粗末な衣服に手を伸ばす
子供は何も知らないように抵抗をすることはなかった
そのまま女官達は慣れたように衣服を脱がしていっていたが、急に手が止まる
「この子…どうして」
衣服と土で汚れたことによって気付かなかったが、子供の体は無数の傷跡と痣が目立つ
恐らく血の大瀑布だけでなく、己の血によっても衣服を赤黒く染めていたのだろう
何故、表情一つ変えないまま居るのか
神であるヒュプノスに対して、必要以上に言葉を掛けることを禁じられている彼女らは心の内でそう思ったが、それを聞くことはなかった
円卓の前に腕を組んで、用件を伝え終えた女官が立ち去る音を耳にしながら、ヒュプノスは座していた
通常、生きたまま冥界に辿り着くことは不可能だが、稀に異次元に道を踏み外し迷い込む者がいる
その者らは最初は地上と変わらずに動けるが、次第に気力を奪われ亡者と化す
あの子供も放っておけば、近いうちにそうなっていただろう
だが…―――
「ヒュプノス様。お連れしました」
「…入れ」
思考はそこで終わり、男は扉の向こうに視線を移すこともなく、ただ扉が開きこちらに向かう音を聞いていた
そして、施されるまま自身の目の前に坐した子供を見やる
「悪くない色だ」
あれ程醜悪な身なりであった者とは思えない変わりように驚きが生まれる
くすんだ髪からは想像しなかった淡い白い髪
まるで真珠を糸にしたような色合いは、不釣り合いだと思っていた輝く瑠璃の瞳によく似合う
子供はその意味を理解出来ないのか、運ばれてくる料理によって色鮮やかに飾られるテーブルを見ていた
「食べないのか?」
あれだけやせ細っているのだから、すぐにでも手を付けるかと思っていたが、子供は見るだけであった
だがその言葉を聞いた後、子供は恐る恐るナイフやフォーク、それにスプーンが置いてある場所に手を伸ばす
少し手を止めて考えた後、スプーンを手に取り、一度男を確認してからスープを口に運んだ
「今までどのような食事をしていた?」
覚束ない行動を何も言わずに見ていたヒュプノスだったが、ようやく口を開く
不器用にスプーンでスープを飲んでいたハクは、動きを止めて応える
「スープとパンを貰ってた。でも、ない日もあった」
もちろん与えられていた物は、目の前に広がる物とは比べ物にならなかったが、それだけ言うとハクは黙った
「それでよく生きていたものだな」
同情する言葉ではない声にハクは気にするわけでもなく、頭の中でいつか聞いたことのある言葉と重ねていた
「まぁ、いい。だが、これからは私が主人なのだ。そのような行儀では困る」
椅子から立ち上がり扉の向こうに消えていった背中に何も言葉を掛けず、ただスープの水面を眺めていた