創作世界

□海如く深い悲しみを堪えて
1ページ/1ページ






ろくな明かりもなく暗い闇のような空間に、
絶え間なく流れる水の音。

ここは、世界だ。

とある人生の全てを、其処に。







この場所で、目視で何かを認識するための光は道の先からである。
その光は小さなガラス窓越しに、小さなこの空間へ光を投げ入れていた。

ただ意図的ではない。
自然にそうなっているだけ。

室内自体に明かりは無い。
だから窓越しに射す光と呼んでも本当に微弱な明かりであった。


窓は少し高い位置にある。

冷たい壁床ではない別の素材、長方形の板の高いところに付いている。
開け閉めできる窓ではないらしく、窓には縦に数本の柱が伸びていた。

長方形の板は、部屋の中央からいくつかの段差を上った先に。

外側から見ただけでは分からないが、
板はある程度分厚く、板の中に仕掛けが施してあるようだった。


室内はそう広くない。

歩き回るには支障はない広さだが、
物がほとんど置いていない分、広く見えるだけである。

壁や床は大した色味も無くとかく地味で、
更に非常に硬い材質が利用されており、その冷たさは氷を連想させる。


部屋にはひたすら水が流れ込んでいる。
長方形の板を対面に置くと、右手側の壁からだ。

一部分に穴の空いた壁からは透明の水が一定の量で止めどなく。

反対側の壁には別の穴が空いているようで、
室内の一定量に達した水が流れていき、溢れない様子だ。

その水は室内から伸びる段差の半分ほどを沈めている。


そういった空間の中央には子供が1人倒れている。

倒れていると呼ぶのは語弊かもしれない。
この部屋には常に風呂場にある湯船以上のかさの水が張られている。

子供は水中に居るのだ。

だから倒れていると呼ぶのは語弊である。

とは言っても死んでいるわけではない。
子供は生きている。 子供は眠っているのだ。


乱雑な、毛先の揃っていない髪は水中に揺れ動いてる。
美しい海のような青緑色が靡いている。

瞼は伏せられてその色を確認することはできない。

薄く開かれた唇からこぽり、と気泡が水面へ上っていく。
苦しそうな様子も見せず、子供はすぅと寝息を立てるように肩を動かした。


ボロボロになった布を纏ったその身は、
子供であることを差し引いても異常に細い。

手首や脚、服で大方覆われてはいるが腹部も、
骨が浮き出るほどに肉の付いてない身体である。

水中に沈んだ子供の姿を頭から肩へ、腹部から脚へと追っていけば、
足首に引っかかっている輪に視線が行くだろう。

足首に引っかかった冷たい金属は、壁へと連なっている。
繋がった鎖はこの部屋の端まで行く長さも無い。


暗く、冷たい、水の中で。

子供が1人生きている。


ふと水中で重そうに瞼が持ち上げられる。
ぼんやりと虚ろな瞳は瞬きを繰り返した。

顎を引いた後に身じろぎさせる。

皮が貼っ付いてるだけのような細い指先を冷たい水の下にあった床へ当て、
ゆっくりとその身体を持ち上げた。

ぱしゃり、と水面から顔を出すと、
水で濡れた青緑色の髪が頬に張り付いたまま、瞬きを繰り返す。

水の中、冷え切った身体のせいか肌は嫌というほど白くて青い。


外の情報は一切入ってこない。

時間も分からない。
空も見ていない。

そもそもそれらの概念を、子供は知らない。

知っているのは自分がいつからかここに居ること。
足に輪を着けていない、自分以外の人が居ること。

顔を上げた時、微かに光の漏れる窓の先、
長方形の板の先にはどこかに通じていること。


それは鍵が施された扉である。
それは水が流れる牢獄である。

窓は鉄格子であり、壁と床はコンクリートであり、金属は足枷である。


心なんて、無かったのかもしれない。
自らが何者だと考えることもなかった。

自分は其処に居る。
そしてそれ以外は無い。


真っ暗で、冷たい水に浸かっていた
まるで深海のようなその場所が自分の世界だった





海如く深い悲しみを堪えて



(それが異常であると教える者も居ない)






文字と行を追うごとに沈んでく雰囲気を感じ取ってくだされば、
私はこの上なく嬉しいです。





 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ