進撃の兵長
□片思いの先には
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俺はその日、柄にもなく訓練に没頭していた。
間も無く一雨きそうな空模様は、俺の気持ちを代弁しているようだ。
こんなに訓練に打ち込んだのはどれくらいぶりだろうか。
ここ最近忘れかけていた……屈辱にも似た不快な味。
口の中が砂でザリザリになっている。
全身汗と泥まみれだ。
周囲には、俺の訓練を見学しようと、人が集まってきているのがわかったが…俺は無視して訓練を続行していた。
クソがゾロゾロとあつまりやがって……。
そんなところに居て、間違って切り落とされても文句は言わせねぇ。
機嫌の悪い俺のそばに来たのがそもそもの間違いだからな。
装置が全て止まり、訓練が終わる。
俺は、珍しく荒くなった呼吸をひとまず落ち着けながら周囲を見渡す。
俺のそばには立体起動装置の空のガス管がゴロゴロと転がり、仮想巨人の板は無残にも原型をとどめず、既に機能していないものもあった。
…どんなにやっても……手応えがねぇ………。
俺がここまで訓練に没頭する理由…………
…………それは…
…今日の午前中に遡る。
「クソが……てめぇはいくらやっても進歩がねぇな………。」
「いっそやめちまえ。」
「クズ。」
この言葉で、お前は俺の前で突然泣き始めた。
お前の瞳は涙でどんどん歪み…
まつ毛いっぱいまで目に涙を溜め…
そして、瞬きの瞬間、お前の目尻から一筋の涙が零れた………。
俺はその涙に躊躇し………
その場から走り去るお前をどうすることもできなかった。
この時のお前の顔が頭から離れない。
全てがスローモーションのように脳裏で無限ループしている。
「本当にクソだな……。」
「本当に……。」
心の底から湧いてきた言葉を、そのままボソリと呟く。
訓練に没頭することで、消し去れるかと思ったが、全く効果がないようだ。
「く……そっ………!!!!」
切りすぎで歯がこぼれたプレードを地面に投げ捨てる。
捨てたブレードは地面に半分突き刺さった。
この俺が、一人の女の涙ににこんなに心を支配されるなんて自分でも信じられない。
しかし事実、俺の心はこんなにもかき乱されている。
そしてその原因の全ては……
お前だから
なのだ。
いつから俺がお前に惹かれ始めたのかは正直覚えていない。
愛や恋など、そんな感情の名前も忘れるほど、俺には無縁なものだと思っていたが…。
気づいたらお前の姿を、声を求めるようになっていた。
これじゃあ単なるストーカーじゃねーか……。
セクハラを通り越してもはや犯罪者にもなりかねない。
しかし、日々募りゆく気持ちは変わらない。
俺はお前に気持ちを打ち明けることも考えたが……
俺だけがこんなにお前に惚れてるなんて……
……………悔しすぎて、伝えられるわけがなかった。
立場的に俺がお前に好意を持っていることを知られてはならない部分もあるが、それ以上に、俺のプライドがそれを許さなかった。
……今となってはそんな下らない思いは捨てて、お前を少しでも大切にしてやればよかったと後悔しているのだが…。
もう既に遅い……。
俺は結局、自分の気持ちを隠すために、常にあいつに対して必要以上に辛く当たりすぎてしまっていた。
この思いを悟られないように…。
自分の思いとは裏腹に……。
そして今日も…
必要以上にお前を傷つけた。
お前が楽しそうに他の男と話をしているのを見て…
…胸糞が悪くなって…
……やめた方がいいなどと、思ってもいないことを口にした。
その気持ちをお前にぶつけるところで、見当違いも甚だしいのだが、それだけお前への思いが俺の中で抑えられなくなっているということなのかもしれない。
それにしても、ようやく念願の俺の部隊に配置になるや……やめた方がいいなどと言われれば…相当傷つくに違いない。
そんな言葉を、俺は身勝手な理由で口にした。
マジで手に負えねぇ…。
情けなくて自分が嫌になる。
そして俺は、泣き始めたお前を見てどうしていいかわからず、その涙を拭ってやることも、そっと抱きしめてやることもできなかった……。
くそ……っ!!!
俺は何を恐怖している?
周りの目か?
メンツか?
プライドか?
それとも、俺にお前を幸せにできるかどうかか?
下らねぇ…。
お前を傷つけることほど、怖いことなんてないじゃねーか。
罪悪感が俺の心深くに突き刺さり、後悔が俺の気分をどん底に突き落とす。
………俺は力なく訓練場を後にした。
俺は部屋に戻ると、身につけていた装備を投げやりに脱ぎ捨て、服を着たままの状態でシャワールームへと入る。
服も、髪も、汗と泥塗れで気持ち悪い。
そして何より、一つひとつ脱いでいく気力など既になく、俺はシャワーにルームに入るや否や、頭上のシャワーを仰ぎ見ると、一気に蛇口を捻った。
冷たい水が勢い良く顔面を流れていく。
悶々とした気分にはちょうどいいかもしれない。
俺は、指で髪をすくと、髪についた泥を落していった。
服が徐々に水を吸い、体にまとわりついてくる………。
徐々に暖かくなる水が生温く、背を這う感覚が気持ち悪い。
結局、ここでも俺の気持ちが晴れることはないようだ。
どんなに俺が忘れ去りたくて、水で洗い流しても、俺は繰り返し繰り返しお前のあの時の表情を思い出し、思い出しては俺の心をえぐっていく。
そして、俺の心が傷つけば傷つくほど、お前への思いが増していく。
俺は服についた汚れを落としながら、一枚ずつ服を脱ぎ、体を洗いはじめるが…いつも以上に肌の汚れが気になる。
………洗っても洗っても……全くスッキリしないのはきっとそのせいなのだろう。
いっそのこと、掻き毟りたくなるのを堪え、最後に俯き加減にシャワーを頭から被る。
頭をもたげると、自己嫌悪がさらに俺を襲う。
俺は重くなった額を壁に付け、暫くシャワーを浴び続けていた。
シャワーから出ると、外はすっかり暗くなり、大粒の雨が窓を叩いていた。
俺の気分も大荒れだ。
俺はウイスキーを手に取ると、グラスに思うだけつぎ、一気に煽る……。
そして幾度となくそれが繰り返され……
これで何杯目なのか……よく覚えていない。
どれだけ飲めば、俺はお前の顔を忘れられるだろうか…。
泣いて立ち去るお前を引きとめようと伸ばした手が、力なく空を切った感覚すら、未だ尚、はっきりと記憶してしまっている。
ウイスキーも残り僅かだ。
俺は受話器を取ると、交換手にいつもの場所に電話を繋げさせた。
『何?リヴァイ。』
相変わらずノー天気な声に、俺は不機嫌な声で端的に答える。
「酒持ってこい。」
すると、即座に答えが返ってくる。
『………嫌だね。何でそんなことしなくちゃなんないのさ。』
電話のもこうもまた、ストレートな答えだ。
「………命令だ。」
俺は単なるわがままと知りつつ、口に出す。
こんなに、あからさまに甘えられるのは、ある意味こいつしかいないかもしれない。
『そんな命令、パワハラで訴えるよ。』
『…………てかさ、リヴァイ。』
『あんた酔っ払ってない?』
『だとしたらホント、あんた情けなさ過ぎるでしょ。』
「………黙れ。」
見事、図星である。
これ以外に言い返す言葉がない。
『ハイハイ。黙りますよ。』
『あたしちょっと、次の実験の仮説作ってたから忙しいの。』
『だから切るね。じゃ。』
呆気なく、プツリと電話が切れる。
俺が返事する間も無く虚しく切断音が繰り返された。
情けない…。
言えてるな。
本当に救いようがない。
グラスにつがれたウイスキーを灯りにかざし、じーっと眺めた。
俺はこれでお前を忘れられるのか………?
目を閉じ、そのグラスを額に乗せてみる。
冷たい感触がするものの何も変わらない……。
「ったく……どうしてくれるんだ…これ………。」
自分の思いの大きさに、行き着く先を見つけられず、完全に持て余してしまっている。
胸の奥が苦しい………。
じっと目を閉じ、グラスの中に想いを馳せる。
心が…つぶれそうだ………。
そこにノック音が鳴り響いた。
「………。」
こんな時間だ。
至急の時以外はハンジくらいしか訪ねてくることなどないが…。
ハンジにはあの通り、さっき断られている。
「誰だ。」
俺が警戒してそう答えると…
…ウイスキーのボトルとグラスを盆に乗せたお前が、そっとドアから入ってきた。
「あ…あの………。」
「お酒…お持ちしました。」
「…………。」
思いもよらない来客に、俺は礼どころか、かける言葉すら思いつかない。
正直、俺はこの時動揺していたのかもしれない。
よく見ると、お前の手は微かに震えていた。
俺が無言のままお前の様子を伺っていると、お前は手元をカタカタと震わせ、怯えた表情で俺の元に来て、テーブルに盆を置く。
「ここに…置きますので……。」
俺はその様子もじっと目で追っていた。
かける言葉も、するべきことも、思いつかないからだ。
すると、お前は用を済ませたのにもかかわらず、立ち去ろうとしない……。
俺は、相変わらずかける言葉を見つけられず、暫く見つめ合う状態になる。
そして突然お前は、
「あ…あのっ………兵長!!」
「いつも、お気に召さないことばかりして申し訳ありません!!!」
「私の悪いところがあればすぐにおっしゃって下さい!!」
「私直しますから!!!」
と、震える手を必死で堪えながら、言ってきた。
…………俺はてっきり、俺はお前に嫌われていると思っていたので、拍子抜けしたのだが……。
しかしそれ以上に、俺がお前のことを嫌っているとお前が思っていることに無性に腹が立った。
俺の今までの態度からすれば、それが妥当なのだが…。
俺は何処かでお前に受け入れて欲しいと願っていたのかもしれない。
俺は、相変わらず無言ですくっと立ち上がると…………
…………そのままお前の腕を引き、お前の両肩を抱き寄せる。
そして、これでもかと思うほどにきつくきつくお前をこの胸に抱きしめた。
「へい……ちょう…?」
お前に怯えた様子はないが、身を固くし、驚いている様子であった。
「お前の全部だ……。」
「お前の全部が俺は気にくわねぇ。」
行かないでくれ。
すまない。
そんな言葉すら今の俺の口からは出すことができず、歪んだ思いをお前にぶつけてしまう。
それでも……言葉とは裏腹に、俺はお前を心の底から振り絞るように抱きしめていた。
お前の細い体を抱きしめ、体温を感じるたびに、俺の心の重りが溶けていくのがわかる。
鉄の鎖で何重にも閉ざされていた何かが解き放たれ、心が軽くなる。
「気にくわねぇから…」
「…もうぜってぇ離さねぇ。」
掠れるような心許ない声が漏れる。
でもこれが魂の声なのかもしれない。
俺はお前の柔らかい髪に顔を埋め、ただただ、お前の存在を確かめていた。
初めは自分に起きたことが理解できず、身を固くしていたお前も、時間が経つに連れて、緊張が和らぎ、落ち着きを取り戻す。
「あ……あの………兵長??」
「………。」
「私……兵長に嫌われてるのではないのですか??」
「………てめぇ。」
「この状況下でもそう思うのか?」
「………いえ…。」
「でも、私ずっと、兵長は私のこと嫌いなんだと思ってました。」
俺たちは抱き合ったまま暫く会話を続ける。
「………。」
「だから私、なんとかして兵長に認めてもらおうと思って、頑張ってきたんです。」
「………。」
抱き合ったままだと、お互いの表情が確認できないが…。
今の俺には好都合かもしれない。
正直、こんな顔お前には見せられねぇ。
また暫く俺は無言のままお前を抱きしめる。
すると、
「あの…兵長??」
「離してもらえませんか??」
「結構…苦しいです。」
と、もじもじしながらお前が言う。
「………離さないと言った。」
俺は、身じろぐお前を腕の力を強めて抑えつける。
「……ですが…。」
「うるせぇ。我慢しろ。」
「俺がどれだけ我慢してきたと思ってる。」
戸惑うお前に、単なる押し付けなのはわかっているが、この想いはもう留めてなどおけなかった。
「……し………知りませんよ!!!」
そんな言葉とは裏腹に、お前の体温がどんどん上がっていくのがわかる。
そこで、俺はある質問をする。
「………ひとつ聞く。」
「お前、俺が嫌いか?」
「……………いえ。」
お前は暫くの間、その問いの意味をじっくりと考え、答えを導き出した。
そこにもう一つ……俺は究極の質問をぶつけてみる。
「ならばもう一つ……。」
「好きか?」
ある意味賭けである。
ここで否定されれば全て終了だ。
「………好きってそんな……尊敬してま……んんっ!!!!」
お前の体温は、その問いの直後からさらに急上昇していく。
しかし俺は結局、その先の言葉を聞きたくなくて、無理やり自分の唇でお前の口を塞いでしまった。
しかし………。
一度交わされた唇は、本来の目的など直ぐに忘れ去られ……。
俺の中の欲望に火を付ける。
気づけばお俺は、欲望のままにお前を味わい続けていた。
離された唇からお前の熱を帯びた吐息が漏れる。
そして、その体温と表情をして……お前の答えが理解できた。
もう…俺を引き止めるものは何もない………。
今まで抑えられていたものを全て解き放つように……。
俺は俺の想いを、お前にぶつけるのであった。