BAND FEAVER!! (部活もの)

□第2章 パッション・マーチャンツ
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翌日、正午。

煌々と輝くボタンの羅列を掲げる
食券販売機の前で頭を抱え、
セリアは半ば涙目になりながら
最上列の値札に目を注いでいた。



場所は学ヘタ敷地内の大食堂、
我先にと駆けつける生徒の波のピークは
どうにか過ぎ去ったものの、その代わりに
誰も並んでいない食券売り場には
限られたメニューしか残されていなかった。





あまり人気がないのか売れ残っている
四、五種類の選択肢を見比べ、
自分の手元に視線を落とす。



イルカのシルエットが可愛らしく踊る
財布の中身は全部で270ヘタ。

残された選択肢の中でもっとも安価な
日本料理のセットが320ヘタ。

もっとも安価なメニューを狙うつもりで
最低限の金額しか持ってこなかったのが
アダになってしまったようだ。





















「はぅ……18年間生きてきて
まさか50ヘタに泣くことになるなんて……

この裕福な現代社会で飢え死にの危機とか
あり得ねぇっすよマジで……」





















恨み言のようにボソボソ呟きながら
ぱちんと財布を閉じ、項垂れる。

ただでさえ今日は部活の初日とあって
気合いを入れねばならないというのに、
空きっ腹を抱えて楽器を吹くなど
とても出来た相談ではない。



がっくりと落ちた肩がもう一段階
深い溜め息と共に落ち込んだ。

苦々しく諦めの表情を現して
券売機に背を向けようとした、その時。





















「……だ〜れだっ!」



「うひぁっ!?」





















突然、背後に忍び寄っていた何物かが
彼女の肩越しに両目を覆った。

驚いて財布を放り投げかけるが、
その声が聞き覚えのあるものだと分かり
どうにか落ち着きを取り戻す。



弾ける笑顔が目に浮かぶように
明るく軽快な響きを伴う声音。

彼女は自分の顔に覆い被さる手を
恐る恐る掴んで口を開いた。





















「え―――あ、えと、
れ、れーうぇんf……っくさん!」



「あははっ、噛んどる噛んどる。
言いにくい名字やし名前で呼んでくれても
全然かまわへんねんで〜?」



「じゃ、じゃあプリムローザ……さん?」



「んー、自分で言うといて何やけど
あんまサン付けで呼ばれるのも
慣れてへんからくすぐったいわ〜(笑)

みんなローザってあだ名で呼ぶし、
そう呼んでくれたら嬉しいな」



「そ、それじゃローザさんで」



「うん、やっぱそっちのがシックリくるわ。



……ところで、ここすごい混んどるけど
セリアちゃんもお昼買いに来とンの?

ウチもさっき買うてきたとこなんよ〜」



「あ〜、はい……
そのつもりだったんですけど……」



「へ??」





















にっこりと爽やかな笑顔と同時に
投げ掛けられた言葉に反応して、
彼女とは対極に表情を暗くするセリア。

事情を説明するのももどかしく、
首をかしげる彼女の目の前で
無言のまま財布の口を開けてみせる。



プリムローザはその中をちらりと覗いて
券売機で光るボタンとを見比べ、
すぐに状況を察したらしく
「あらら」と残念そうな声を上げた。





















「なるほど……
ギリギリのお金しか持ってきてへんのに
安いの全部売り切れてもうたんか。

ウチも何回もなったことあるわ〜、
この時期は食べ盛りの新入生のおかげで
早いときは20分で売り切れたりするんよな」



「はい、お恥ずかしながら……。



学校の裏にコンビニはあるけど
そこまで行ってる時間はないし、
どうしたらいいか分かんなくて……」



「う〜〜ん、そうなんかぁ……」





















きゅう、と小さく鳴る空っぽの胃袋が
惨めさをより一層強調する。



一食ぐらい抜いても大丈夫だろうと
根性で耐え抜く決断もできるのだが、
いっぱしの学生にとって食事は
そう軽視できない重要な要素である。

というか、そもそも我慢できる気がしない。





しかしどう足掻いたところで
金欠の壁を越えられないのは事実だ。

諦めるしかないのかと再び溜め息を吐いて
財布をポケットへ仕舞おうとした時、
向かいにいた少女がぽんと手を打って
自分のポシェットから何かを取り出した。





















「……あっ、そうや!

そういうことならセリアちゃん、
コレあげるし使ってくれへん?」



「え? なんですか?」



「昨日ここでお昼買ったら
クーポン券もらったんよ!

でも今日までしか使えへんし
ウチはもうパン買うてもうたし……



今思い出せてよかったわ〜、
捨てるんも勿体ないし、良かったら使て?」



「へっ、い、いいんですか!?」



「ええよええよ、ちょうど50ヘタ引きやし
なんとか塩サバ定食くらいは買えるで」



「あ……ありがとうござますっす!
このご恩は必ずお返しします!」





















感激にたまらず直角に腰を折る。

柔道部の男子さながらの最敬礼に、
プリムローザはくすくすと笑いながら
事もなげに手を振って彼女を宥めた。





















「ぷっ、そんな深刻なことでもないのに
セリアちゃんってば律儀でオモロイなぁ」



「いえっ!
私を飢え死にから救ってくれたんすから
もう天使か女神の領域っすよ!

お礼に購買の手伝いでも何でも
やらせてくださいっす」



「飢え死にって……あははっ、
あかん、笑いすぎてお腹痛なるわぁ。



ん〜、お手伝いかぁ……

じゃあ、今ちょっと困ってんねんけど
一個だけお願いしてもええかな?」



「はいっ!」





















+++





















「あ、あのぅ、ローザさん……

お手伝いってこんな簡単なことで
本当によかったんですか……?」





















ばりっ、と手に取ったデニッシュの袋を
両手で力任せに開きながら、
セリアは頼まれた用事のあまりの呆気なさに
困惑を隠せずに傍らの少女を振り返った。

当のプリムローザはさも満足げに
パックのコーヒー牛乳を啜っている。



譲ってもらったクーポン券のお陰で
やっとこさ食糧難を脱することができた。

それに対して少女が求めた返礼は、
自分の昼食の席につき合って
購入したパンの袋や牛乳パックを
彼女の代わりに開封してやる事だった。



あまりに簡単すぎるような気がして
実のところ申し訳なくすらあるのだが、
本人がまったく気に留めていないので
蒸し返すのにも若干の勇気が要る。





















「大丈夫やよ、セリアちゃんが居てくれて
ウチすっごい助かっとるんやから!

このメーカーのパンはどれも安いし
美味しいんやけど、袋の糊が固くて
開けにくいのだけが難点なんよ。



片手じゃどーしても開けられへんくて
困ってた時にセリアちゃんに会うて……

せやから感謝すんのはこっちの方!
細かいことは言いっこなしやで」



「は、はぁ……。」





















軽やかな口調であっさりといなされ、
戸惑いながらも頷いて袋の中から
デニッシュを取り出し半分に裂く。

少女はなんとも気楽そうに言っているが
厳つい右手のギプスはやはり痛々しく、
利き手ではない手でストローの袋を
やりにくそうに開けている。



階段で転んだにしては膝や顔が綺麗だな、と
そんな事を何とはなしに考えたが、
きっと当たり所が良かったので
もう治っているのだろうと思い直す。





















「……なぁ、セリアちゃん」



「はい?」





















不意に、少女が小さく顔を上げて
彼女へ視線を向け、呼び掛けた。

軽い調子でそちらを振り向いたセリアは、
少女の表情に僅かではあるが
いつもの天真爛漫さとはどこか違う
暗い影が射していることに気づく。



ガヤガヤと騒がしい食堂の喧騒の中、
少女はしばし言葉を選んだのち
ぽつりと言葉を発していた。





















「話は変わるんやけどさ。

きのう屋上で助けてもらった時……
ウチのお兄ちゃんの話が出たやん?」



「あ、はい、エリザさんが言ってたっすね。



確か前にブラバン入ってて、
あの日はバイトがあるとか何とかで。

なんの楽器やってたんですか?」



「んと……おっきくて長くて金色で……。

あ、そうそう、サックス!
テナーサックスっていう大きいやつやよ。



同級生にアントーニョさんっていう
バリトンサックスの奏者の人がいて、
その人の薦めで入部したって言ってた」



「へぇ……」



「ガンコでお金にうるさい時もあるけど
ホンマはすっごく良い人やねんで。

最近バイトが忙しいせいで
あんまし顔会わせられへんのが
ちょびっとだけ寂しいけどな」



「そうなんですか……。





















うーん……けど、怪我してる妹さんに
購買の仕事を全部任せてまで
バイトする必要あるんですかね?



失礼かもしれないですけど、
その……薄情?っていうのか
冷たい感じに思えてしまって……

って、あああ、すいませんです!」





















包み隠さない率直な意見を投げ出した途端
少女の瞳が僅かに潤んだようで、
セリアは慌てて次の言葉を飲み込み
ぶんぶんと両の手を振って撤回する。



しかしプリムローザはすぐに首を振り
彼女の心配が無用であることを示すと、
目尻に浮かんだ滴を指で拭って
少し震えた声で続けた。





















「ううん……セリアちゃんは悪ないよ。

今の話聞いたら、皆きっとエリザや
セリアちゃんみたいにお兄ちゃんのこと
良くは思わへんやろうし。





けど……ちょっとだけ弁解さして。



実はな、購買部の仕事続けとるんは
ウチが勝手にやっとるだけやねん。

お兄ちゃんにもお医者さんにも
止めときって言われとるんやけど、
ただジッとしてるんが嫌で仕方なくて」



「―――…………。」





















「昨日このケガのこと聞かれて
階段でコケた、って言うたやん?



あれも……ホントは嘘。

エリザにも誰にも本当のことは
まだ一度も話してへん」



「―――え?」





















「……ごめん。 話つき合ってもらうの
もうちょっとだけ伸ばしていい?



セリアちゃんが吹部入ったばっかりの
新人さんやってことは分かってる。

でも、やっぱりウチも何かしたいんよ。
お兄ちゃんの頑張りに甘えて
ただ待ってるんは嫌なんよ」





















春爛漫に咲き誇る空の下、
蒸し暑いほどに人の群成す12時半。



少女は悲しげに細めた目をうつ向け、
思い通りにならない右手を押さえて
事のあらましを語り始めた。





















+++
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