夢現そして無限たる夢幻(シリアス)

□Richard Dehmel 〜“夢魔”とはじまりを奏でる“片割れ(テリィ)”〜
2ページ/7ページ
















「 えっ…!? 」




















思わず、素っ頓狂な声が出た。

彼が振り返って歩き出そうとしたその矢先、
彼のいる石畳の道を塞ぐようにして、
小さな小さな男の子が佇んでいたのだ。





今まで何者の気配も、
何の物音もしなかった路地裏に
ふと現れた少年。

たった今足音も立てずに
背後に降り立ったのか、
それともずっと前から居たのに
気づかなかっただけなのか。



その立ち姿はあまりにも自然的で、
またあまりにも不自然だった。




















「ど、どうしたの、君…? ここの子?」




















ぎくしゃくとしながら声をかける。

どうやら一般のイギリス人少年らしいが、
この路地に住んでいるのだろうか。



少年は話しかけられたのが嬉しくて
たまらないという風に身をすくませると、
その嬉々とした表情のまま
ブンブンと首を横に振ってみせた。




















「ち…違うんだ。 えーと…

こんな奥まで何しに来たのかな?
ひょっとして迷子、とか?」




















我ながら無様な質問だと思う。

道に迷って右も左もわかっていないのは
自分の方なのに。




















「…………………。」




















少年はまっさらに澄んだ瞳で
彼を見つめ続けるだけだ。

灰色がかった艶めく銀髪が瞬くたびに揺れ、
そのどこまでも透き通った赤い目は
彼の緊張までも易々と
見通しているようだった。




















「……おにいちゃん……。」



「え…?」




















不意に少年が言葉を発したので、
カナダは再び驚きの声を上げてしまった。

行動の前兆をまったく予期させない
ビスクドールのような表情に見とれて、
相手が生身の人間であることすら
忘れかけていたのだ。





呆然とする彼などお構いなしに、
少年は数歩細く華奢な足を踏み出す。





















「……僕はね、アルヴ。

僕のことを知ってる人たちは、
誰しもみんながそう呼ぶんだよ。



だから僕も、僕自身のことを
メア・アルヴって呼ぶことにしてるんだ。

…おにいちゃんは、どう?
お兄ちゃんのことを知ってる人たちから
なんていう風に呼ばれているの?」



「えっ…  あ、えと…」




















純粋かつ無垢な表情で
見上げられて狼狽してしまい、
すぐに反応することができない。

たとえ即座に順応できたとしても、
その問いに答えることは憚られただろう。



難解な言い回しでこそあるが、
目の前の少年が尋ねた問いが
求める答えは自分の名前だろう。


“国”の腕中で暮らす国民たちに
無闇に自身が“国”であることを
明かしてしまうのは―――

―――やはり躊躇いがある。




















「ねぇ…おにいちゃんは?」



「あー、えっと、僕の名前ね…うん…

僕はマシュー。
マシュー・ウィリアムズだよ」




















もし一般人に扮して潜伏作業を
行うようなことになった場合の処置用に、
人間としての名前を考えておいて良かった。

最初は国として生まれた身ゆえ
人名を使うのにも抵抗があったのだが、
こうはっきりと名乗ってしまうと
案外心地良くすら思える。



大きな“国”という責務から
一時的に開放され、ようやく
自分の人格や性質といった
『人として』の自分が認められたような…





とは言い過ぎかも知れないが、
そんな感じがした。




















「……ま、しゅう……?」



「へ? あぁうん、そうだよ」




















一瞬不思議そうに首をかしげる少年に
目線を合わせ諭すように説く。

少年の表情に再び希望の光が輝くのが見え、
今度は目の前にずいと
異様に白い腕が差し出された。




















「……なんだか変だね? 僕はいままで、
君がその名で呼ばれているのを
ついぞ聞いたことがないけれど。

だけど、仕方がない。そもそも周りが
君の名を呼ぶのを聞いたことがない僕は、
君の言葉を鵜呑みにするしかないんだ。



マシュー、きみの名前、おぼえたよ!

君はマシュー・ウィリアムズ、
僕の記念すべき最初の“おともだち”!」




















新しい玩具を手に入れたかのように
はしゃいだ声音で言い放つ。

そのあまりに無邪気な様子に、
思わずカナダの口元もほころぶ。



かと言って会議開始の時間が
迫っていることも確かであり、
カナダは左の袖を捲くると
さりげなく腕時計の指針を確認した。




















「? あれ……」




















驚いたことに、時計の針は少年と
出会った時から数分も進んでいなかった。



少年の動きがあれほどゆったりとしていて、
自分はあれほどたどたどしく声を発し、

少年はあれほど長く耳に残る声で
くすくすと笑いをこぼしていたというのに。




















「僕のはじめての“おともだち”!

人ならざる君のために、
その人たる御名のために夢路の祝福を!」



「…………えっ!?

人ならざるって、君……!?」




















不意に投げかけられた嬉しげな言葉に
カナダが反応するよりも早く、

少年メア・アルヴは浮世離れした
陶器のような手を伸ばし、
驚愕に硬直した彼の指の隙間に
その細く白い指を深く絡ませていた。





天使のように幸福感に満ちた笑みを湛え、
悪魔のようにぞっとするほどの恍惚で、
過ぎるほどに整った目元を翳らせながら。















+++
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ