夢現そして無限たる夢幻(シリアス)

□Die Schale der Vergessenheit  〜“番犬(ツベルクスピッツ)”と忘却の果てに惑う“忠犬(シェーファーフント)”〜
3ページ/33ページ











「……あれ、こりゃまた珍しい。
まさかこんな所でお前に会うなんてな」
























……14時37分、十分前集合の通達を
見事に反故にして受け付けの前に立ち、
係員の顔を一目見たフランスは
軽くおどけるように片眉を上げた。



そんな彼の驚きの言葉を受け止めて、
椅子の上で組んでいた足を下ろし
手にした雑誌をカウンターに投げ出すと、
『関係者』の札を首から提げた“青年”は
うんざりしたような顔で口を開く。
























「ったく、どいつもこいつも開口一番
同じことばっか言ってきやがる。

俺様が多忙な可愛い弟を手伝って
事務やってんのがそんなに珍しいかよ?」



「はは、そりゃあ失敬。
なんせ公式の場で会う機会なんて
今じゃほとんどゼロじゃない?

スーツ着てるお前なんて、イベント以外では
もう百年単位で見てない気するし」



「マジかよ、もうそんなになるか?
……道理でヴェストや坊っちゃんに
やたらチェック入れられてた訳だ。

フォーマルな着こなしなんざ、
とっくに忘れてるんだっつぅの」



「ま、そう言う割にはキマってるけどね。
さすが腐ってもド真面目帝国って感じ」



「ダンケ、一応誉め言葉と受け取っとく。



……それはそうと、係員を申し出た以上
ちゃんと仕事もしねぇとな。

お前は先進国だから議室はルームBだ。
ここに名前書いて、札取って二階上がれ」



「はいはい……了解っと」
























机の上にきっちりと背表紙を揃えて
置いてある進行表になど目もくれず、
手持ち無沙汰に再び雑誌を捲りながら
そっけなく告げる彼の様子に苦笑する。

根は几帳面で真面目な彼のことだ、
きっと当日の日程や段取りなんてものは
昨夜のうちに暗記しているに違いない。





促されるまま参加者の名簿に記名する
フランスの横をすり抜けて、他の国々や
一般の議員たちも次々と門を潜ってくる。

受付を買って出たプロイセンは慣れたもので
彼らの顔を一目見るなり、各々割り振られた
議室ごとに違う資料を的確に渡していった。

東館はどこそこのエレベーターを降りた先の
渡り廊下を使えば早いとか、追加で資料が
欲しくなったらロビーの誰それを呼べとか、
細かい事項を付け加えるのも忘れない。



カリスマ性というか、昔から彼は
人や物事を取りまとめ判断する能力が
ずば抜けて高かったと記憶している。

普段は飄々として傍若無人なようでも、
いざという時に彼ほど頼れる者はいない。
一緒に仕事ができなくなった今になって、
フランスは彼の才気に舌を巻いていた。
























「あいよ……確認したぜ。
そんじゃ、会議テキトーに頑張ってこい。

またヴェストが監督モードに入ったら
押しの弱い国にも気ぃ使ってやれよ」



「うわ、腕組みで仁王立ちしてる
アイツの姿が目に浮かぶようだな。

……わかった、俺も精一杯フォローするさ」
























ぱちん、と万年筆の蓋を閉めて
投げ掛けられた挨拶に軽く手を振る。



そして二階へ続く階段へ向かおうと
広間から伸びた廊下へ入るその刹那、
また遠くで扉の開く音がした。
























+++
























「あいたたた…… うぅー……。

……あれっ? そこに居るのプロイセン!?
なんで普通の会議にプロイセンが?」
























玄関の大扉を体重をかけて押し開け
ふらふらと広間へ歩み入ったイタリアは、
真っ先に目に映った受付のカウンターに座る
青年の姿に素っ頓狂な声を上げた。



イタリアちゃんお前もか、と
半ば拍子抜けしたように返して、
プロイセンは『ヴェストの手伝い』という
何十回めかのフレーズを繰り返す。
























「なんだー、それなら納得だね。

ドイツったら朝から忙しいみたいでさ、
今日はそろそろ電話くるかな〜って
待ってるうちに二度寝しちゃったよー」



「……イタリアちゃんよ。
奴が電話すんのは、それまでに起きてなきゃ
本気でヤバいって時間に、イタリアちゃんが
きちんと起きれてっか確認するためだ。

それをモーニングコールにしてたら
まず間に合わねぇし、目が覚めてんのに
電話が来る時間までベッドで待ってたら
本末転倒もいい所じゃねーか」



「え〜、でもなぁ……
やっぱり会議のある朝はドイツの

『もう起きているだろうなイタリア!?
何、まだ寝床だと!? お前という奴は……
今すぐ飛び起きて支度しろ!!
いいな、90秒で支度しろ!! 以上!!』

っていう元気な声が聞けないと
一日ヤル気出ないんだよね〜」



「もうパターン化されてんのかよ……。
ヴェストの努力の水の泡っぷりがやべぇな。

そのセリフ録音しといて、携帯のアラームで
目覚ましに使ったらどうだ?」



「うーん、それも一応は考えたけど
やっぱ生の声がいちばん起きられるし!

だから今日もドイツの声聞きたくて
電話かかってくる五分前くらいに起きて、
若干ワクワクして待ってたのに……」



「期待されてるっつーか、好かれてる点では
アイツも満更では無さそうだったけどよ。

もうちっと気持ちも汲んでやろうぜ……」
























まったく悪びれる様子もなく
あっけらかんと言い放つイタリアに、
プロイセンは呆れを含んだ、しかし何処か
その奔放さを楽しむような声音で
彼を諌めつつ書類を手渡した。



イタリアは然りげないお咎めに首を竦めて
はぁい、と軽く悄気た表情を作る。

だが差し出された冊子を手に取ろうとして
片手を上げたとたんに顔をしかめた。

























「あ痛ッ。 ……もう嫌になっちゃうなぁ、
昔は俺、ここまでヤワじゃなかったのに」



「おう、どうした? いい年して筋肉痛か?」



「あ、うん……ちょっとね。
ドイツに訓練されてた頃を思い出して、
久々にジョギングしてみたんだ。

そしたらもう全身ガッチガチで……
寝違えて首も痛いし、朝から最悪だよー」



「ははっ、慣れないことするからだ。
ま、たまにでも真面目にやってると聞けば
ヴェストは喜ぶだろうけどな。




……それにしたって、なんでまた急に
走り込みなんかする気になったんだ?

アレか、最近ヒョロっぷりが目立ってきて
ナンパの打率が落ちてきたとかか」

























取り落とした冊子を拾おうと屈むのにも
メリメリと痛んだ筋や骨の軋む音が
聞こえそうな苦悶の表情を浮かべている。

苦笑いしながら代わりに拾ってやると、
うまく首が回らないらしく機械のような
堅い動きで頭を下げて礼を言った。





弟との訓練を思い出して、と言うのだから、
国力増強政策やら軍備強化政策といった
“国として”の責務とは一切関係のない
個人的な思い付きによる行動だろう。

しかし骨折ですら数日で回復する程の
生命力に恵まれた身体を持つ彼が、
筋肉痛などという些細なものに
喘ぐのも実に珍しい現象だった。



“国”の役割を離れた自分はまだしも彼が、
しかも世界有数の機動力(と言っても
ごく限られた条件下でだが)を誇っていた
イタリアが翌日に疲れを残すなど
通常ではなかなか考えられない。

なにせ、あの手厳しい弟による特訓の日々を
何かにつけ文句を言い、脱走を図りつつも
難なくこなしていた人物なのだから。

























「え、理由? べつにプロイセンが思うような
大した事ってわけじゃないけど……」























青年の問いにきょとんとした目で
微笑を湛えて答えたイタリアは、
簡潔な言葉を選ぼうと思案するように
目を泳がせて返答の続きを考えている。



いつものように優しく微笑んだ口元が
その時は何故だか、らしくない憂いを持った
寂しげなものに見えてしまって、
プロイセンは手持ち無沙汰に目を伏せながら
イタリアの名を名簿に書き込んだ。

























+++
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ