『ヘタレにっき。』
□いち。
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五月のこの、新緑の季節っていうのがまた、嫌だ。青々として、ピンとした、元気はつらつ!って感じの葉っぱは、何も悩みなんかないようで、私とは正反対。こちとら季節外れの枯れすすきですよ、どうせ。しょぼくれて終わっていくだけなんだ。それにほら、ちっとも楽しいことなんかひとつもないのに、それをあざ笑うかのように透き通った空。ああ本日も晴天なり。くそくらえって思う。
通学路を歩いていくみんなの「おはよう」が、私にかかってくることはない。
仮にかけられても、私はそれに返す笑顔も持っていない。
嫌だなあ。
「おはよう、朝比奈」
ああ、こいつがいたか。
振り向かなくても相手なんか分かっている。
「おはよう、遠山くん」
「ああ、朝比奈じゃなかったな、ヘタレか。ヘタレ、おはよう」
遠山健太。嫌な奴。後ろの席からいつもちょっかいを出してくる。周囲には一言も口をきかなくて、最近無視するとか、係の子が提出物を返さないとか、そういうチンケないじめみたいなのも起きているのに、そのスタンスを一向に変えようとしない。それが何故か私にばっかり話しかけてくるくせに、変えようとしないのは一緒のくせに、私のことを「ヘタレ」なんて呼ばわって笑う。
「ヘタレじゃないよ」
「ヘタレだよ。一緒に行こうぜ」
「嫌よ」
「いいだろ、教室一緒なんだから」
遠山くんの小憎らしい笑顔に、私はため息で返事をした。
初めて話しかけられたときの一言がまず、失礼だった。
「朝比奈が浮くの、俺分かる気がするよ」
あまりの出来事にきょとんとしていると、遠山くんは言葉をつづけた。
「だってお前、「私ってダメなやつ」って思ってるのに、変わろうとしてねえじゃん」
劣等感ばかりを挙げて、いつもしょんぼりしてて、そんなやつ、誰も近づかねえよ。面倒くさいだけだもの。その場にへたり込んで、立ち上がろうともしないで、うずくまっているようなやつ、向き合えるほど中一なんか大人じゃねぇもん。出来てねぇもん。
「お前、ヘタレだぜ」
分かったような口を利かないでよ、って言いたかった。
でも、言えなくってうつむいていたら、
「そういうところがヘタレなんだよ」
遠山くんは笑って去っていった。
でも、それ以来あいつは私には話しかけるようになった。
クラスではたちまち、私と遠山くんがデキているのではないかという噂が立ち、余計学校は居づらい場所になった。
でも、何故か離れてくれとは言えなかった。
遠山くんはそれを「ほら、またそうやって思ったことを主張できない、ヘタレの一面が出ている」とからかうけど、そうじゃないんだ。
こんなやつでも、話せるだけマシかと、思っている自分もいるんだ。言えないけど。
「今日、四限と五限の家庭科、何すんの?」
「調理実習だよ。エプロン持ってこいって言われたじゃん」
「忘れてたよ、そんなの。持ってきたってどうせ隠されるし」
「でも持ってこようっていう姿勢が大事でしょうが」
「結果が一緒じゃ意味がねえんだよ。先生が信じるはずもねえ」
「とか言って、言いたいことは言うくせに」
「当たり前だろ、俺が間違ってねえんだもの」
遠山くんは不思議な存在だ。
あれだけ嫌なことをされても、へのかっぱだ。何より周囲の目を全く気にしない。「こんなのおかしい」「それは違う」と思っていることでも、私なんかじゃ絶対に「それはこうなんじゃないの」なんて言うことが出来ない。でも、遠山くんは、はっきり言う。違うことは違う。正しいことは正しい。自分の意見はきっちり言うのだ。それで嫌われても、気にしないのだ。
だから私の孤立と、遠山くんの孤立は、一緒に見えて違う。
そういう意味では、私はやっぱりヘタレなのかな。認めたくない。面白くない。でも。
「おはようございます」
生活指導の先生が、遅刻を取り締まるために校門の前に立っている。
「おはようございます」
一言そう言ったら、先生はにっこり笑って言った。
「よかった、朝比奈さんにもお友達、出来たのね」
違うよ。すぐそうやって早まった、うがった見方をするんだから。
でも遠山くんは隣で、
「ヘタレなやつで困ってますけどね」
なんて言う。
あほらしかったけど、嫌な気はしない。遠山くんは本当に変な人だ。でも、私も変な人間だ。