Kiri

□envy
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それは、身を焼き尽くす程強い嫉妬だった。

「レジーナ?」

隣に居たナーディルが心配そうに私に問いかける。
私は今どんな顔をしているのか…きっと、どう転んでも普通とは言えないだろう。



今宵、仮面舞踏会。



仮面の下に隠れているのに、ナーディルは私の変化に気付くのだもの。私は、自分の激情に耐えられず、ナーディルに身を寄せ、彼のジャケットの袖をぎゅっと握り締めた。

「どうした?」

「ナーディル…嫉妬で可笑しくなりそう。」

多分、今の情景を分かってくれるのは彼しか居ない。私が、隠さずにそう言うと彼は苦笑して…もちろん、仮面の下だったけれど、私の肩を安心させるようにぽんぽんと叩いた。

「レジーナ、大丈夫。確かに…エリックの歌は…かなり不思議な魅力がある。君の言いたいことは分かるよ。だが、嫉妬しなくても、エリックは君に夢中なんだから。」

「でも…」

私が続けようとした言葉は、止められた。

「エリックが凄い目で私を見てくるから、少し移動しようか。」

ナーディルが、おどけた調子でそう言って、私達は移動する。エリックから見えない、いや、私からエリックが見えない所に。

ナーディルが差し出したグラスを、私は一気に飲み干して、また彼の苦笑を誘ったのだった。









ナーディルの奴…。
レジーナに触れるなんて、なんてことだ。
確かに二人は友人同士で、それ以外は何もないのは分かっている。触れたとはいえ、慰めの仕草だった。
それより、レジーナだ。ナーディルに近寄り、腕に触れながら俯いて…あれはどうしたというのだ?いつかラウルとやったみたいに、私に嫉妬させたくて?にしては、ナーディル相手はいささか微妙じゃないか。彼女なら、他の紳士を捕まえて、見せつける位は出来るのだから。



私は苛々しながら、住処へ急ぐ。



他にも面白くないことがあった。
仮面舞踏会なら、私だって普通なのだからと、マダムやクリスティーヌが誘ってくれたのは光栄だった。普通に、レジーナと仮面舞踏会を楽しむということをどれだけ夢みたか。いつもより煌びやかな、しかし上品な、よくよく見ると対になるマスクを、2つ作り上げた。私とレジーナのもの。それを着けて、ダンスに誘うつもりだったのに。

大階段の傍に作られた舞台で、ソプラノ歌手が歌い終わった後、悪気無くクリスティーヌが「マスターの歌を聞きたいわ」などと言ったのだ。そして、断ることも出来ず一曲。オーケストラで「The music of the night」を歌ったのだが。確かに、オーケストラとやるのは心地よかった。そこまでは。


問題はその後だ。


ナーディルとレジーナは連れ立って姿を消してしまったし、私はといえば、私がファントムなどと知らぬ紳士、淑女が賞賛を述べにやってくるのを相手せざるを得なくなった。殆ど聞いては居なかったが、相手はお構いなしにしゃべる。

そんなことをしているうちに、結局ダンスどころか仮面舞踏会が終わっていた。


…余りにも酷い夜だ。


怒りよりも、最後には哀しい気持ちになり、私は住処に踏み込んだ。




「レジーナ?」



彼女が、湖の傍に座り込んでいた。
私に気付くと、彼女は傍まで来て…なんという格好をしてるんだ…そう思った時には、彼女が私の胸にしがみついていた。躯に回された細い腕、ぴたりと胸に当てられた頬、彼女のまとっているのはノースリーブのシルクの下着一枚だけだ。
全く状況が飲み込めない私を見上げた瞳は、全く読めない色を湛えていた。


「エリック、今夜は私に抱かれて頂戴。」


さっぱり意味の分からない彼女の囁き。
そう言った通り、彼女は私の服を脱がす。ジャケットは落とされ、ドレスシャツを意外にも器用に開いていく。首筋に、彼女の唇が押し当てられ柔らかな感触が滑り落ちてゆく。鎖骨に歯を立てられたと感じた瞬間、傍のソファに押し倒され
ていた。

彼女を見上げることは、常であればほとんど無い。

私に馬乗りになってくる躯は軽く、本気になれば止めることも、逆に組み敷くことも出来る。

ナーディルが何か余計な事を吹き込んだのか?

そんな事を考えている間にも、彼女の愛撫は施され、彼女の手に、唇に触れられては…感じずにはいられない。腹筋に、僅かに力が入る。

暫くは好きにさせて、事の成り行きを見ていた私だったが…彼女が、ベルトに手をかけ…

「レジーナ!」

あろうことか、私を咥え込んだ。

「クっ、」

それは、強烈な快感で、耐え難い疼きが襲ってくる。私の反応に気を良くしたのか、娼婦にでもなったように、彼女は責め立てる。まさかこんな展開になるとは…。

「レジーナっ、」

とにかく、止めて欲しくて名を呼んだ。
ちらりと、こちらを上目遣いで見上げた視線。途端、私は冷水でも浴びせられたかの様に…醒めるのを感じた。


彼女の視線には、愛が無かった。
あったかもしれないが、私には無いように見えた。
あるのは…何かに追われるかのような、切羽詰まった表情だけ。


私の制止を無視して、彼女はシルクの薄物の裾を上げると、秘めやかな場所に、私を受け入れようとした。

「辞めるんだ」

私は、必死になり、彼女を止める。
起き上がり、彼女の腕を引けば、倒れ込んでくる躯を抱き留めた。
彼女の躯は、とてもじゃないが、私を受け入れられる様な状態ではなかった。何をしているんだ…一体。

「馬鹿なことをするんじゃない。こんな状態で私を受け入れようなんて…お前が傷付くぞ。」

「構わないわ。貴方が手に入るなら。」

抱き締めた躯。
私の肩に、頭を乗せて寄りかかる彼女が、耳元でそう言った。

「お前、今どんな目をしているか分かっているか?それは…私を欲しがっている目じゃない。一体、どうした?」

私の言葉に、顔を上げた彼女の表情はますます曇り、戸惑いを表す。

「お前は、私だからしたいのか?それとも、ただしたいだけなのか?」

そんな事は決して考えたくはないが。
ただ、受け入れたいだけなら、彼女ならいくらでも男を捕まえられる。

彼女は、視線を反らせた。

「…怖いのよ。貴方が、誰かに取られやしないかって。貴方の歌を聞いて…あぁ、あの彼女達の恍惚の表情!もし、誰かが貴方を愛したら…。貴方は、私だから愛したの?それとも私が傍に居たから?
私には、クリスティーヌの様に、貴方を満足させる歌も、何も、ないのに…。あるのは貴方へのどうしようもない程の愛と、せいぜい躯だわ。」

「レジーナ…」

言葉が、出なかった。
彼女が口にしたのは、愛するが故の不安と、嫉妬、そして至上の告白。

私は、いつも彼女の愛が欲しいのに。
私を救ってくれた唯一の愛が。

「お前だから、愛しているのだよ。自分で気付いていないだけで、沢山のものを私に与えてくれているのだから。レジーナ。私は、レジーナだから愛した。お前は?」

彼女の頬を両手で包み込み、真っ直ぐに視線を合わせる。私の言葉に、今日初めて、彼女は小さく微笑んでくれた。

「私は、貴方だから欲しいの。」


額を合わせて、至近距離の囁き。


「私に抱かれてくれないか。・・・愛させてくれ。」

彼女に煽られて、躯に溜まった熱がアツイ。
鎮められるのは、彼女の甘美な躯だけ。


私は、抱き締めていた躯を反転させ、彼女をソファに組み敷いた。






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