Kiri

□into you
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私は、その日、オペラを見に行った。

オペラの開演日はいつも大抵満員御礼で、紳士淑女が集まる社交場となる広間は様々な噂話を仕入れるのに適している。

特に、女性達はおしゃべりなのだから。

角に集まった淑女グループの傍に行くと、あれこれ噂話が始まっていた。

「見て、フィリップ・ド・シャニーよ。ファウラー嬢と御一緒だわ。」

「ねぇ、あの話を知っているかしら。ラウル子爵と婚約破棄になったから、フィリップ伯爵はレジーナ嬢を自分の妻にしたいと思っているそうよ。」

「フィリップ伯爵は、彼女の兄と友人でしょう。下手な貴族に嫁がせるなら…って。」

「でも、彼にとってレジーナは妹の様な存在だと聞いたわ。そんな風になるかしら。」

「ラウル子爵ほどでないけど、フィリップ伯爵も魅力的だとは…。」

「オペラ座のバレエダンサーと良い仲の子がいるって聞いたけど。だから、私だったら嫌だわ。」

「でも、相手はレジーナ嬢よ?バレエダンサーと縁を切っても、欲しいと思う紳士は大勢いるわ。」


相変わらず、彼女は噂の標的になりやすい。

私は、彼女を遠目から見つめた…。クリーム色のドレスに身を包んだ彼女はいつも通りの美しさだ。胸元が浅めに空いているドレスなのは…あの下に、私の所有印が残っているはずだから。そう、彼女はどこにいても私のもの。

しかしながら、そう思っているのは私だけで、実際問題世間から見れば彼女は誰のものでもない。恋人すら居ないと思われているのだろう。

彼女が、私のものだと示せればどんなに良いか…。

貴族の娘なのだし、それなりの所に嫁がせたいと親は普通考えるものだ。彼女に親は居ないので、4人の兄達だが。それがシャニー家ならば、誰もが羨む縁談相手の一つだ。

「でも、フィリップ伯爵といるより、他の紳士といるほうが…彼女、楽しそうよ。だから、きっとフィリップ伯爵の一方的な気持ちだと思うわ。」

淑女の一言に私はとても安堵し、その言葉を言ってくれたことに感謝した。

開演前、シャニー家のボックス席に座った彼女を見やる。彼女はどこか疲れたように笑いながら、相槌を打っていた。

こうしている距離が、私と彼女の距離なのだろうか…。ボックス席で、優雅に鑑賞できる彼女と同じボックス席でも身を隠し、コソコソ鑑賞している私。私は、決してその隣には並べないのだ。二人とも好きなオペラを並んで鑑賞し、同じ場面で楽しんだり、感動しあったりすることなど無い。

いつか、彼女を手放してどこかの貴族に譲らなければならないのだろうか。

今は、まだ出来そうにない。

私は、そちらを見ないように努めながらオペラを鑑賞した。









結局、割と気に入っているはずの今日の演目も大して夢中になれず、終わってしまった。何か新しい話題でもないかとオペラ座内を散策するも、特に何もなく。仕方なく住処に帰り、気休めに気に入りのお茶でも淹れてみようかとキッチンの戸棚に向かう。
そこでも想い出すのは彼女のこと。戸棚に並ぶ紅茶の半分は、彼女が買い揃えたものだ。気付けば、彼女の気に入りのバニラティーを手に取っていたので、ミルクティーにしようとコンロに向かった。

その時に、外に気配を感じた。

その気配は対岸からで、対岸に人が来るのはナーディルか侵入者の二択しかない。ナーディルは週に一度しか会わないし、こんな深夜に来るはずはない。

侵入者かと気配を消して伺うと…対岸に居たのはレジーナだった。

「レジーナ?」

「エリック。良かった…気づいてくれて。」

私は、彼女の居る対岸まで小舟をだした。

「どうしたんだ?こちらから来るなんて…珍しいから、誰かと。」

彼女はいつも、対岸から来なくて済む通路を通ってくるのだ。

「中から行けなくて…驚かせてしまって、ごめんなさい。」

「構わないが…こんな真夜中にどうしたんだ?とにかく部屋に…、レジーナ?」

部屋に向かうために舟に促す私の胸に、彼女は不意に顔を埋め、抱きついていた。纏っていた漆黒のマントから伸びた腕は素肌で、ドレスは先程のクリーム色のものではなかった。

「ただ、少し逢いたかっただけなの。すぐに帰るわ。だから、少しだけこのまま…」

華奢な肩を抱きしめる。
結い上げていたはずの髪は、今は下ろされていて、さらりと肩に流れていた。それをひとすくい取り上げ感触を楽しみ、口付ける。

「レジーナ、どうか帰らないで。今、お前の好きなバニラティーを淹れようとしていた所なのだから。」

ずっと思考を占めていた人が、腕の中に居るのに帰すなんて出来るはずもない。一度触れると、ずっと閉じこめていたくなるのだから。

私を見上げてくるアメジストの瞳。
迷いを含んでいたから、私は帰さないと決意を少しだけ込めて、頬に口付けた。結局、私が引き留めたくても、最後は彼女の意思にかかっていることはよくよく分かっている。それでも、腕の中に囲っていたい。

手を引いて、小舟に乗せるのを彼女は拒まなかった。
ゆっくりと舟を出す。
此処に、こうやって着くと初めて逢った頃を思い出す。彼女の手を取ると、今でも彼女が傍にいる幸福に切なくなることがあるのだ。

「少し待ってくれるか。すぐに準備をするから。」

舟から降りた彼女は、私の言葉に頷くと自由にした。
舞台の模型には、今日の演目。プリンマドンナはクリスティーヌだ。以前は壁に貼り付けていたクリスティーヌの肖像画も今は無い。彼女の肖像画と共にしまい込んだ。本当は、彼女のだけは残したかったのだが、本人が嫌そうだったのだから仕方がない。

「レジーナ、待たせたね。」

私が、2人分のティーカップを持って来ると彼女はオルガンにそっと腰掛けていた。私のものにむやみに触ったりしないので、ただ腰掛けるだけだったが。

マントを取った彼女は、蒼色のドレスでパフスリーブから伸びた素肌の白が映えた。

呼ぶと、彼女は向かい側に座る。
私が注いだ紅茶に砂糖とミルクを淹れている彼女を見つめた。何かは分からないけれど、いつもの感じとは違う。嫌でも、淑女達の噂が頭をよぎった。

そんなはずはない。
彼女は…私のもの。

「…何かあったのか?」

聞きたくはなくても、聞かざるを得ない。彼女はその問いには応えず、私の横に座り直した。寄りかかられると、肩口に彼女の額が当たる。

「なにも…。ただ、そうね。少し会えればいいと思って来たけれど、逢えば…やっぱり傍に居たいわ。」

見上げてきた彼女の顎をそっと捕らえて、唇を重ねた。空いた手で細い肩を抱き寄せる。


逢えなければ、逢いたいと想う。
逢ってしまえば、傍に居たいと想う。
傍にいれば、触れたくなってしまう。
触れてしまえば…離せない。



触れ合った私達には、もう言葉はなく、お互いが一番素直になれる方法で確かめ合う。



ヴェルヴェットのシーツに豊かな黒髪が広がる。
華奢な躯は大人しく横たわり、あたかもピンで留められた蝶さながらに美しく私に囲われている。

羽根をもいでしまえば、自由を奪えば、私から離れず傍にいてくれるだろうか。

だが、彼女の自由さこそ…その自由さがあるからこそ私の様な哀れな男を愛してくれるのだ。羽根を持っていてもなお、彼女は今私の傍に居てくれる。それなのに、弱い私は彼女が私の所から飛び立つ日を恐れてやまない。不確かな未来を・・・約束出来はしないから。

広いレースで縁取られたドレスの胸元を引き下げると、薄まった所有印。それを紅く彩り直す。こんなもので彼女を囲えるのだとしたら、私は何度でもそうするだろう。

「難しい顔をして・・・何も考えないで。ただ、感じて頂戴。」

顔を上げると、彼女の真剣な、そして心配そうな眼差しとぶつかる。
私の心を読めるかのように、彼女はいつも私の欲しい言葉をくれる。彼女はいつも、心ごと私を裸にしてしまうのだ。

私が彼女の柔らかな肌に触れて愛撫すれば、鼓動は早まり熱を持つ。喉元に噛みつき、胸元に落ち直接的な刺激を与えればどこまでも甘い吐息。彼女の膝を割り、その奥。私の望みを叶えてくれるそこは、ゆっくりと開花し私の指先を飲み込んだ。

オクターブの声。
シーツを縋るように掴む指先は白い。


彼女が蝶だとするならば、高く羽ばたかせられるのは私。


細い足首を掴んで、肩に引き寄せる。
そうして私は、その甘美な躯に、私の楽園に迷い込んでゆく。



シーツにあった手を、私の首に回させるとより躯が合わさる。知らず、私に合わせるオクターブの声はどんな音楽より甘美に私を魅了して、時折私の名前を切れ切れに呼ぶのがまた堪らなく愛しいのだ。愛しい者を前にして、理性を保ってもいられない。

彼女を羽ばたかせる前に、私とて危うくなりそうな陶酔の中、愛しい名を呼んだ。



私の楽園は、今は此処にある。








眠る彼女を見つめている。

彼女の手をそっと取り上げて、離さないように包んだ。

「いつか・・・この手を離さなければならないのか?」

それは、誰に問うでもなく零れた言葉。

手放せるのだろうか。
もう二度と手に入らない愛しいと思える女性を、私を包む甘い抱擁と穏やかな日々、そして愛。


「貴方が離さないでくれれば、いつも傍にいるわ」

掠れた囁き。

「また変な噂を耳にしているのでしょう、エリック?でも、噂は噂なの。私は貴方の傍に・・・。」

彼女の手を包んだ、私の手に。
彼女のもう片方の手が添えられ、逆に包まれる。

そうして、彼女は眠たげな瞳で微笑むと、もう一度微睡に落ちた。

「・・・離さない」

私が、彼女の夢に届くようにと囁く。

ぎゅっと握り返してくれる手に、安心すると、やがて私にも微睡の時が訪れた。





end



***


1111HITリクで「嫉妬+エリックが一人でぐるぐる+甘裏」てな具合だったわけなのですが。
これもまた王道ネタ?かはわかりませんが、兄弟で女の取り合い(笑)何気にフィリップ注目なんですけどね。

イメージ的にはふとポルノの「アゲハ蝶」が浮かんだりもしたんですが、タイトルはカナ文字ってのもしっくりこなくて。最初ボトルが蝶の形の香水名からつけようとしてたんですが、あんまりで。

「into you」はCKの香水で、男女それぞれがあるらしいです。ペアフレグランスということでつけてみました。

まゆ様、こんなのですみません;
また、いらしてくださいませv






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