Kiri

□fleur d'interdit
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彼女が逢ってくれなくなった。



過去に、私から逢わなくなった時はあった。
けれど、そんな時も彼女は辛抱強く私に逢いたいと通ってくれたし、結果、彼女は私の心を開いた。
私が何かに夢中になると時間を忘れて没頭するのも分かっていて、そんな時も好きな事をして同じ地下で過ごしてくれる。それがとても心地良い。
いつも、どちらかといえば私の気紛れに彼女が付き合ってくれる事の方が多い。そして、その優しさを当然のように受け止めている私なのだ。

ひと月逢わないことだってある。
しかし、そういう時は私がオペラを手掛けていたり、クリスティーヌのレッスンをしていたり…時々は、彼女の用事ももちろんあるが、何か理由がある時だ。


しかし、今は思い当たることがない。
オペラは新作ではなく、むしろ私があまり好んではいない作品だし、クリスティーヌもバレエで出ている。通常のレッスンはしているが、それは理由にはならない。彼女が長期で出掛ける時は前もって何か言っているはずだから、それもない。



逢いたいと想う。



理由なく一人なのは、本当に苦痛だ。
昔なら、そんな事は考えなかったと思うけれど。

音楽に夢中になるのも、建築について考えるのも、アイシャと戯れるのも飽きた。彼女が居て、初めてどれかに夢中な時間を過ごせるようになってしまったんだと思う。オルガンを弾く私の視界の端に、彼女が映っているだけで安心できるから。

私の様な身なりで逢いに行く事は叶わない。
ナーディルやベルナールに頼むのも嫌だ。
というか、誰の手を借りるのも気が進まない。

しかし、いつまでもこのままでは居られない。
彼女から、長く遠ざかることなど出来はしないのだから。彼女を抱き締め、声を聞いて、同じ時間を過ごすのが何より幸福な一時なのだ。一度知った喜びは中々手離せはしない。

手始めに、クリスティーヌに彼女のことを聞いてみよう。クリスティーヌとメグは彼女の友人だから、何か知っているかもしれない。それが駄目なら、仕方なくラウル辺りだ。貴族同士の用なら、彼が知っているだろう。


そうと決めて、私はクリスティーヌのレッスンに出かけた。



「クリスティーヌ、一つ聞きたい事があるのだが…」

「珍しいですね、何でしょう?」

「…最近、レジーナに会っただろうか?」

非常に言いにくいといった雰囲気を不本意にも醸し出してしまったが、聞かないわけにはいかなかった。これを聞いて解決するなら、そうなるほうがよいのだ。

「まさか、マスターもですか?私とメグも最近レジーナに会えないと心配していて…。だって、私達がレジーナに会ったのは前の作品の最終日だったはずなんです。もう2ヶ月以上。流石に…。」

そうだ。
私もクリスティーヌと同じ日に逢って以来。

前の作品ではクリスティーヌがプリマドンナをしていて、その最終日、レジーナはとても良い作品だったと噛みしめていた。好きな曲を私に弾いてくれと言って、私に歌わせ、また嬉しそうにしていたのだ。

そんな彼女を見て、私も嬉しく、最後には見ているだけではいられなかった。彼女を腕に捕らえて、機嫌の良い、微笑みを浮かべた口唇を奪ったのだ。


「マスター、どうやら、ラウルは何か知っているみたいなんです。昨日その話をしたら、何か隠し事をしてるみたいで。」

「何を?」

「分かりません。また聞いてみます。私達も会えないのは寂しいし、心配ですもの。マスターは尚更でしょう。」

優しいクリスティーヌ…。
本当に心配そうに、私を見て、彼女を案じてくれた。それに少し慰められはしたが、ラウルが何か知っているのに私が知らないのは面白くないし、不安だった。良くないことが起こっているのだろうか?

「今夜の公演にラウルが来ます。ですから、聞いてみますね。どうか、マスター、気を落とさないで。」

「あぁ、ありがとう。クリスティーヌ。」

クリスティーヌと別れて、私は今夜、オペラ鑑賞に行くことに決めた。クリスティーヌは聞いてくれると言ったが、自分でラウルに聞いてみようと思ったからだ。一秒でも早く、彼女の不在の理由を知りたい。夜になるのを待つのも、今や苦痛だった。

いつ彼女が戻っても構わない様に改めて部屋を少々掃除などし、紅茶の残り具合を確かめる。バスルームには、彼女の愛用香水が瓶ごと置いてある。それを手に取ると、途端に切なくなった。僅かにボトルから香るそれは、すっかり慣れ親しんだ香り。けれど、香水は体臭と混ざって香るというから、結局それは彼女の香りであって、そうではないのだ。

「レジーナ…」


こんな感傷は知らなかった。





無理矢理感情を押さえつけるように、オペラに行くためのテイル・コートに着替えるとラウルと話をするために、地上へと向かった。


隙をついて、ラウルを5番ボックスへと引き込む。

「ファントムか…驚くじゃないか」

私が引っ張った袖口を直しながら、そういう。

「聞きたいことがある。…レジーナが最近姿を見せない理由を知っているんだろう?」

それを口にすると、ラウルの表情が変わった。私はそれを見逃さない。

「何を知っている?」

ラウルは、らしくなくキツイ視線で私を見てきた。しかし、それは長くは続かず、最後には溜息と哀しげな瞳になった。

「君には隠し続けるわけにはいかないと思っていたよ。ファントム、君は彼女を愛しているか?例え、何があっても。」

「あぁ、もちろん。」

聞かれるまでもない。
彼女は、私にとってどれほど大切な存在か言葉では表せない程だ。

「レジーナの兄たちが僕の所へ来た。君のことを聞くために。彼女には想い人がいると、以前から気づいていたらしい。君がどんな奴か聞いてきたよ。君が、どれほど彼女を大切に思っているのか知っているかと。
だから、僕は、彼はレジーナをとても愛していると応えた。それに、レジーナもそうだとね。だけど、二人には色々隔たりがあって、兄たちには中々話せないのだといういことも。」

あぁ、そうだ、私はこんな存在だ。
いくら彼女を愛し、愛されていても公に出来るはずもない関係なのだ。

「兄たちは、君が、どんなのことがあっても彼女を愛してくれると思うかと問いかけてきた。きっと、愛してくれるよと言ったんだ。兄たちは酷く困った、不安そうな様子だったから、何かあったのかと聞いた。
ファントム、どうか驚かないでくれ。そして、レジーナを捨てないでやってくれ。約束してくれるか?」

私が頷くと、彼は…決心した様子で言った。










「レジーナは、強姦されたんだ。」


小さく、苦しく零れた言葉が私には信じられなかった。





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